第9章「ボード工事と遮音の魔法」
シルヴァが建吾の工房に現れたのは、ある雨の日の午後だった。
背が高く、細身の体躯。長い銀色の髪を後ろで束ね、鋭い緑色の瞳を持つ。耳は人間より長く、先端が尖っている。
エルフだ。
「あなたが、ケンゴという人間ですか」
シルヴァは、感情の読めない声で言った。
「ミスリルを薄く加工し、壁の骨組みに使う技術を持つ者だと聞きました」
「そうだが。お前は?」
「シルヴァ。森の民です。木工を生業としています」
シルヴァは、工房内を見回した。
積み上げられたミスリル製のLGS材。設計図が広げられた机。道具が整然と並べられた棚。
「興味深い。人間にしては、整理が行き届いている」
「褒め言葉か?」
「事実を述べただけです」
シルヴァの口調は、どこか冷淡だった。エルフという種族は、一般的に人間を見下す傾向があるという話を、建吾は聞いていた。
「それで、何の用だ」
「一つ、聞きたいことがあります」
シルヴァは、建吾の目をまっすぐに見た。
「あなたの技術は、どこから来たのですか」
「……どういう意味だ」
「ミスリルの加工技術は、ドワーフが数百年かけて磨き上げたものです。それを、あなたはわずか数ヶ月で革新した。しかも、彼らとは全く異なるアプローチで」
シルヴァは、一歩、建吾に近づいた。
「私は三百年、木工に携わってきました。その経験から言えることがある。あなたの技術は、この世界のものではない」
建吾は、沈黙した。
シルヴァの洞察は、正しい。建吾の技術は、元の世界で培われたものだ。この世界の常識からは、完全に外れている。
「……答えなければならないか」
「いいえ。強制はしません」
シルヴァは、首を振った。
「ただ、知りたかっただけです。あなたが何者なのかを」
「俺は、ただの内装工だ」
「内装工……聞いたことのない言葉です」
「壁を立て、天井を張り、床を敷く。それが俺の仕事だ」
シルヴァは、しばらく建吾を見つめていた。
それから、微かに口角を上げた。
「面白い。……あなたに、一つ提案があります」
「提案?」
「私の知識を、あなたに提供します。その代わり、あなたの技術を、私に教えてください」
「お前の知識とは?」
「魔法素材についてです」
シルヴァは、懐から小さな木片を取り出した。
それは、淡い青色の光を放っていた。
「これは、響木(きょうぼく)と呼ばれる木材です。音を吸収する性質を持っています」
「音を吸収?」
「はい。この木材で部屋を囲めば、外部の音を完全に遮断できます。ただし、加工が極めて難しい」
建吾は、木片を受け取った。
手に持つと、不思議な感触があった。普通の木材よりも、わずかに柔らかい。指で弾くと、音がしない。正確に言えば、音が吸い込まれている。
「これは……凄いな」
「森の民は、この木材を楽器の製作に使います。不要な共鳴を消すために」
「遮音材として使えないか」
「使えます。ただし、薄く加工することができない。厚いままでは、重すぎて実用的ではありません」
建吾は、考え込んだ。
遮音材。元の世界では、グラスウールや石膏ボードが使われる。しかし、この世界にはそれらがない。代わりに、この響木がある。
問題は、加工だ。
「この木材、熱には強いか」
「いいえ。熱には弱い。森の民が加工するときは、水で湿らせながら削ります」
「水で……」
建吾は、木片を見つめた。
熱で柔らかくする方法は使えない。だが、水を使うなら——
「蒸気はどうだ」
「蒸気?」
「水を沸かして、その蒸気を当てる。木材が水分を吸収すれば、柔らかくなるかもしれない」
シルヴァの目が、わずかに見開かれた。
「……それは、試したことがない」
「試してみよう」
◇ ◇ ◇
実験は、その日のうちに行われた。
建吾は、マルタ——火の魔法使い——を呼び、水を張った大きな鍋の下で火を焚いてもらった。
蒸気が立ち上る。
その蒸気を、響木の板に当てる。
一時間後。
響木の表面が、わずかに軟化していた。
「切れる」
シルヴァが、薄い刃を当てて言った。
「この状態なら、薄く削ることができます」
「やってみてくれ」
シルヴァは、熟練の手つきで響木を削っていった。
一枚、また一枚。
蒸気で軟化させ、薄く削る。その繰り返し。
夕方には、厚さ五ミリほどの響木の板が、数枚完成していた。
「これなら、ボードの表面に貼れる」
建吾は、板を手に取りながら言った。
「ミスリルの骨組みに、響木を貼った板をつける。そうすれば、軽くて遮音性の高い壁ができる」
「理論上は、可能です」
シルヴァは、珍しく感心した様子で頷いた。
「しかし、響木だけでは強度が不足します。何か、芯になる材料が必要です」
「芯材……」
建吾は、考えた。
元の世界の石膏ボードは、石膏を芯にして、両面を紙で覆った構造だ。同じような構造を、この世界の材料で再現できないか。
「この世界に、石膏に相当するものはあるか」
「石膏……白い ite石のことでしょうか。建築には使われませんが、彫刻の材料としては知られています」
「それだ。その石を粉にして、水で練れば、板状に固められるはずだ」
シルヴァは、首を傾げた。
「そのような加工は、聞いたことがありません」
「俺の世界では、普通にやっている」
「……あなたの世界」
シルヴァは、その言葉を繰り返した。だが、それ以上は追求しなかった。
「試してみましょう」
◇ ◇ ◇
白石の粉と水を混ぜ、型に流し込んで固める。
単純な作業だが、配合比率の調整に時間がかかった。水が多すぎると固まらず、少なすぎるとひび割れる。
試行錯誤の末、建吾とシルヴァは、最適な配合を見つけた。
さらに、魔力を持つ鉱石の粉——マジカライトと呼ばれるもの——を少量混ぜることで、強度が大幅に向上することがわかった。
こうして完成したのが、「マジックボード」だった。
白石とマジカライトを練り合わせた芯材を、両面から響木の薄板で挟んだ構造。厚さは約二センチ。重量は、同じ大きさの石壁の十分の一以下。
そして、遮音性は——
「完璧だ」
建吾は、テスト用に作った小部屋の中で言った。
外でゴルドが、金槌で金属を叩いている。普通なら耳を劈くような轟音のはずだが、部屋の中には一切聞こえない。
「すごい……」
シルヴァも、珍しく素直に感嘆の声を漏らした。
「響木の遮音効果は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした」
「響木だけじゃない。芯材のマジカライトも効いている」
建吾は、壁を指で弾いた。
低く、くぐもった音。振動がすぐに減衰する。
「この壁は、音を反射せずに吸収する。だから、部屋の中でも反響が少ない」
「確かに。私の声も、いつもより近くで聞こえます」
シルヴァは、自分の声を確かめるように呟いた。
「この部屋で楽器を演奏したら、素晴らしい音色が楽しめそうです」
「楽器だけじゃない。会議室や、寝室にも使える。外の騒音を気にせず、静かに過ごせる」
建吾は、新しい可能性に胸を膨らませていた。
遮音性のある内装材。これは、この世界に存在しなかった概念だ。石壁は厚ければ音を遮るが、重くて工期もかかる。木壁は軽いが、音が筒抜け。
マジックボードは、その両方の欠点を解消できる。
◇ ◇ ◇
マジックボードの噂は、すぐに広まった。
最初に反応したのは、音楽家や劇団だった。練習用の防音室を作りたいという依頼が、次々と舞い込んできた。
次に、貴族たちが興味を示した。密談のための部屋。隣室に声が漏れない寝室。プライバシーを重視する上流階級にとって、遮音性は大きな魅力だった。
そして——
「王宮からの発注です」
リーゼロッテが、興奮した様子で報告してきた。
「国王陛下の執務室と、謁見の間の改修工事を、ケンゴ様に依頼したいと」
「王宮か……」
建吾は、少し考え込んだ。
王宮への進出は、大きなチャンスだ。しかし、同時にリスクもある。王都には、旧来の建築ギルドが根を張っている。彼らとの軋轢が、さらに深まる可能性がある。
「どう思う、ゴルド」
建吾は、傍らにいたドワーフに尋ねた。
ゴルドは、腕を組んで考え込んだ。
「王宮の仕事を断るのは、得策じゃないな。断れば、敵を作ることになる」
「受ければ、別の敵を作ることになるが」
「どっちにしても敵はできる。だったら、味方も増える方を選ぶべきだ」
建吾は、頷いた。
ゴルドの言う通りだ。受けるリスクより、断るリスクの方が大きい。
「受けよう」
建吾は、リーゼロッテに答えた。
「ただし、条件がある」
「条件……ですか?」
「俺の職人チーム全員で行く。そして、工事の全権は俺に任せてもらう。ギルドの連中に口出しはさせない」
リーゼロッテは、少し困った顔をした。
「それは……交渉が必要ですね」
「交渉は、お前に任せる。俺は、技術の話しかできない」
リーゼロッテは、微かに笑った。
「わかりました。私が、何とかします」
◇ ◇ ◇
王宮への出発は、一ヶ月後に決まった。
その間、建吾は準備に追われた。
必要な材料の調達。職人チームの編成。工程表の作成。そして、何より重要なのが、マジックボードの量産体制の確立だった。
グスタフの工房と、シルヴァの協力で、マジックボードの生産ラインが整備された。白石の粉砕、マジカライトの調合、響木の蒸気加工、そして最終組み立て。
それぞれの工程を、専門の職人が担当する分業体制。元の世界の工場生産に近い仕組みだ。
「これで、月に百枚は作れる」
建吾は、生産計画を見ながら言った。
「王宮の工事には、三百枚ほど必要だ。三ヶ月で完了できる」
「三ヶ月……」
グスタフが、感嘆の声を漏らした。
「石壁を作るなら、一年はかかる工事だぞ」
「だから、この工法に価値がある」
建吾は、窓の外を見た。
遠くに、王都の方角が見える。まだ行ったことはないが、いずれ行くことになる場所だ。
王都には、何が待っているのか。
味方か、敵か。
あるいは、両方か。
建吾には、わからなかった。ただ、自分にできることは、ちゃんとした仕事をすることだけだ。
それは、この世界でも、元の世界でも、変わらない。
◇ ◇ ◇
出発の前日。
シルヴァが、建吾の元を訪れた。
「私も、王都に行きます」
「お前も?」
「はい。響木の加工は、私にしかできません。それに……」
シルヴァは、少し言いよどんだ。
「あなたの技術を、もっと学びたいのです」
建吾は、シルヴァの顔を見た。
最初に会ったときの冷淡さは、だいぶ薄れていた。代わりに、知的好奇心と、微かな敬意のようなものが見える。
「いいだろう。来い」
建吾は、あっさりと答えた。
「ただし、王都では気をつけろ。エルフは、人間社会ではあまり歓迎されないと聞いている」
「承知しています。三百年、生きてきましたから」
シルヴァは、淡々と言った。
「差別には、慣れています」
「……そうか」
建吾は、それ以上は何も言わなかった。
差別という問題は、元の世界にもあった。建設現場でも、外国人労働者への偏見や、女性職人への風当たりを見てきた。
それを変えることは、建吾の仕事ではない。
だが、自分のチームの中では、そういうことがないようにすることはできる。
「うちのチームでは、種族も性別も関係ない。できる仕事をする奴が、認められる。それだけだ」
シルヴァは、建吾の言葉を聞いて、わずかに目を見開いた。
それから、初めて、本当の笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。当たり前のことだ」
建吾は、そう言って、作業に戻った。
明日から、王都への旅が始まる。
新しい現場が、待っている。
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