第4章「見積もりと提案」
翌朝、建吾は日の出と共に起き出した。
与えられた部屋は、城の東棟にある小さな客室だった。壁には染みがあり、窓枠は歪んでいたが、雨漏りはなく、床も比較的しっかりしていた。城の中では、まだましな部屋だ。
顔を洗い、昨夜のうちに用意された簡素な朝食を取る。黒パンと、薄いスープ。質素だが、空腹は満たされた。
建吾は部屋を出て、城内を再び歩き始めた。
昨日は全体像を把握するための概略調査だった。今日は、より詳細な調査と、修繕計画の立案を行う。
まず必要なのは、図面だ。
この城の設計図は残っているだろうか。もし残っていなければ、自分で作成する必要がある。
建吾は、城の執務室でリーゼロッテを探した。
彼女は、大きな机の前で書類と格闘していた。領地経営に関する報告書や請求書の束。二十歳の若さで、これだけの重責を担っているのだ。
「おはようございます、ケンゴ様」
リーゼロッテは、建吾の姿を見て立ち上がった。
「ああ、おはよう。一つ聞きたいんだが、この城の図面はあるか」
「図面……建築時の記録ということでしょうか」
「そうだ。壁の厚さとか、部屋の配置とか、そういうことが書いてある図」
リーゼロッテは考え込んだ。
「書庫に、古い記録があるかもしれません。ただ、私も見たことがないので……」
「案内してくれ」
書庫は、城の地下にあった。
埃っぽい空間に、古びた本や巻物が積み上げられている。整理はされておらず、何がどこにあるのかを把握している人間もいないようだった。
建吾は、リーゼロッテと共に書架を探し始めた。
一時間後、彼らは一枚の羊皮紙を見つけた。
城の概略図だ。百年以上前、この城が建設された当時のものらしい。インクは褪せ、一部は虫食いで読めなくなっているが、基本的な構造は把握できる。
「これで、ある程度の見当はつく」
建吾は図面を机に広げ、じっくりと眺めた。
城の構造が、徐々に頭の中に組み上がっていく。主塔を中心に、東西南北に四つの棟。それを囲む城壁。中庭と、地下の貯蔵庫。
図面と、昨日の目視調査の結果を照合していく。
「問題は、この図面と現状が一致しているかどうかだ」
「と言いますと?」
「百年の間に、増築や改修が行われている可能性がある。図面に載っていない壁や部屋があるかもしれない。逆に、取り壊された部分があるかもしれない」
「確かに……私の祖父の代に、東棟の増築が行われたと聞いています」
「それは図面には載っていないな。現場で確認する必要がある」
建吾は図面を持って、再び城内を歩き始めた。
一部屋一部屋、図面と照合しながら確認していく。寸法は、自分の足で歩いて測る。歩幅は約七十センチ。これで概算の距離は出せる。
だが、より正確な測定には、道具が必要だ。
「この世界に、長さを測る道具はあるか」
「物差しのことでしょうか。職人が使う曲尺というものがあります」
「見せてくれ」
リーゼロッテは、城に出入りしている大工の一人を呼んだ。
やってきたのは、中年の痩せた男だった。名をヴィクトルという。彼が持っていた曲尺は、建吾が老婆の村で見たものと似ていた。
木製で、精度が低い。目盛りも大雑把だ。
「これでは、正確な測定ができない」
「は?」
ヴィクトルは、侮辱されたような顔をした。
「これは、私の師匠から受け継いだ由緒ある道具だぞ。何が不満なのだ」
「不満ではない。ただ、より細かい測定が必要だと言っている」
建吾は、自分の計画を説明した。
「壁の傾きを修正するには、ミリ単位の精度が必要なんだ。この曲尺では、せいぜいセンチ単位の測定しかできない」
「ミリ……?」
「一センチの十分の一だ」
ヴィクトルは、ますます困惑した顔になった。
どうやら、この世界には「ミリ」という単位の概念がないらしい。
建吾は考えを改めた。
「わかった。俺が測定用の道具を作る。材料を用意してくれ」
◇ ◇ ◇
その日の午後、建吾は城の工房で道具作りに没頭していた。
まず作ったのは、メジャー——巻き尺だ。
薄い革紐を用意し、自分の歩幅を基準にして目盛りを刻んでいく。一歩が約七十センチ。それを十等分すれば、七センチの目盛りができる。さらに十等分すれば、七ミリ。
完璧な精度ではないが、この世界の他の道具よりは遥かに正確だ。
次に作ったのは、水準器だ。
透明なガラス管——この世界では魔法で作られた「光管」というものがある——に水を入れ、気泡を一つ残す。これを水平な面に置けば、気泡が中央に来る。傾いていれば、気泡がどちらかに寄る。
さらに、下げ振り。
重りを糸で吊るすだけの簡単な道具だが、垂直を確認するには最も確実な方法だ。
ヴィクトルは、建吾の作業を興味深そうに見ていた。
「その道具は、何に使うのだ」
「壁が垂直かどうかを確認するためだ」
「壁が垂直? そんなことは、目で見ればわかるだろう」
「人間の目は、騙されやすいんだ。一度のずれ——壁一枚が一センチ傾いている程度では、目で見ても気づかない。だが、それが積み重なると、建物全体が歪む」
建吾は、下げ振りを主塔の壁に当てた。
糸が、壁面から離れていく。上部と下部で、約三センチのずれがあった。
「この壁は、三センチ傾いている。だから、上の階になるほど歪みが大きくなり、雨漏りや亀裂が生じている」
ヴィクトルの目が、わずかに見開かれた。
「そんなことが……わかるのか」
「道具を使えば、誰でもわかる。大事なのは、測定することだ。測定しないから、問題に気づかない。気づかないから、対処が遅れる」
建吾は、城内の各所を回り、詳細な測定を行った。
壁の傾き。床の勾配。天井の高さ。窓や扉の開口寸法。
すべてを数値化し、紙に記録していく。
日が暮れる頃には、建吾の手元に膨大なデータが蓄積されていた。
◇ ◇ ◇
三日後、建吾はリーゼロッテの執務室に、一枚の大きな紙を持って現れた。
「修繕計画書ができた」
リーゼロッテは、机の上の書類を脇に寄せ、建吾が広げた紙を食い入るように見つめた。
それは、この世界の誰も見たことがない種類の図面だった。
城の平面図。各棟の位置関係と寸法が、正確に描かれている。
その上に、色分けされた印が付けられていた。
赤——緊急修繕が必要な箇所。
黄——早期修繕が必要な箇所。
青——修繕が望ましいが、後回しでも可能な箇所。
「これは……」
「積算書だ。修繕に必要な工事の一覧と、概算の費用を示している」
建吾は、紙の下部に書かれた文字を指差した。
「優先度一。北東塔の構造補強。これは最も緊急性が高い。柱の増設と、基礎の補強が必要だ。必要な資材は、石材五十トン、木材三十本、鉄材——できればミスリル——五百キロ」
「五百キロ……」
「次に、優先度二。雨漏りの補修。屋根の張り替えと、防水処理。必要な資材は……」
建吾は、次々と説明を続けた。
リーゼロッテは、最初は圧倒されているようだったが、徐々に理解し始めた。彼女は頭が良い。数字の読み方を知っているし、優先順位という概念も理解できる。
「これを全部行うと、どのくらいの費用になるのでしょうか」
「正確な見積もりは、この世界の材料価格を知らないとできない。だが、概算で……」
建吾は、別の紙を取り出した。
この三日間で、建吾は城の職人や商人たちから、材料の相場を聞き出していた。それを基に、概算費用を計算したのだ。
「優先度一の工事だけで、金貨五百枚程度。全部やると、金貨二千枚以上になる」
リーゼロッテの顔色が変わった。
「そんな……領地の年間収入でも、金貨千枚がやっとです……」
「だから、段階的にやる」
建吾は、計画書を指差した。
「まず、優先度一の工事を行う。これで、当面の危険は回避できる。その間に、資金を調達し、次の工事に備える」
「資金を……どうやって」
「それは、これから考える。だが、一つ提案がある」
建吾は、リーゼロッテの目を見た。
「俺の工法を使えば、従来よりも速く、安く、城を修繕できる。この技術を他領に売り込めば、資金を得られる可能性がある」
「技術を……売る?」
「そうだ。修繕の手法そのものが、商品になる。他領の城や屋敷の修繕を請け負い、その報酬でこの城の工事費用を賄う」
リーゼロッテは、しばらく考え込んでいた。
それから、顔を上げた。
「ケンゴ様。貴方は本当に、ただの旅人なのですか」
「……どういう意味だ」
「このような計画書を作れる方が、ただの旅人であるはずがありません。貴方は、どこかの国の……高官か何かではないのですか」
建吾は、苦笑した。
「俺は高官じゃない。ただの……職人だ」
「職人……」
「ああ。壁を立て、天井を張る。それだけの仕事をしてきた」
リーゼロッテは、建吾の目をじっと見つめていた。
「それだけの仕事、ですか。……私には、それがとても大きな仕事に見えます」
「そうか」
「はい。人が住む場所を作る。人が守られる場所を作る。それは、とても……大切な仕事だと思います」
建吾は、少し驚いた。
この若い令嬢は、自分の仕事の本質を、一瞬で理解したのかもしれない。
「……ありがとう」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございます。この計画書、素晴らしいと思います。私一人では、何から手をつけていいかわかりませんでしたから」
リーゼロッテは、改めて計画書を見つめた。
「では、まず優先度一の工事から始めましょう。資金は……なんとかします。父が遺した宝飾品を売れば、金貨五百枚くらいは用意できるはずです」
「いいのか」
「ええ。城が崩れては、宝飾品があっても意味がありません。住民を守れなければ、領主の意味がありませんから」
建吾は頷いた。
「わかった。では、明日から工事を始める。……職人を集めてくれ。できるだけ多く」
「はい」
リーゼロッテが家臣に指示を出すのを見ながら、建吾は窓の外を眺めた。
北東の塔が、夕日に照らされている。
あの塔を、直す。
それが、この世界での最初の大きな仕事になる。
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