第3話
昨夜の再会は、夢だったのではないか。
そう思いたくなるほど、翌朝のソウルはいつもと変わらない騒がしさで幕を開けた。
ユナはオフィスビルのエレベーターの鏡に映る自分の顔を見て、ため息をついた。寝不足のせいで、目の下に薄くクマができている。
「ユナさん、これ、昨日の修正案。確認お願いね」
ソンミが資料をデスクに置く。
ユナはパソコンに向かったが、画面上のコードやデザイン案が、昨夜のジフの冷徹な瞳と重なって見えた。
(「もう会うことはないと思う」……)
なぜ、あんな風に言われなければならなかったのか。
喧嘩をして別れたわけではない。
10年前のあの春、ジフは何も言わずにユナの前から姿を消したのだ。
卒業式を目前に控え、進路も決まっていたはずの彼が、突然大学を辞め、連絡先も変えて消えてしまった。
傷ついたのは私の方なのに。
そう思うと、悲しみはやがて小さな怒りに変わった。
ユナは仕事が終わると、吸い寄せられるように再び新村へと向かっていた。
彼を探すつもりはなかった。
ただ、彼があの店に通っているなら、もう一度だけ会って、せめて「消えた理由」を聞きたかった。
しかし、ジフは『ブルー・ムーン』には現れなかった。
三日目、四日目。
ユナは仕事帰りに一時間だけ店で待つのが日課になりかけていた。
「ユナさん、彼は毎日来るわけじゃないよ。特に最近は、時間が不規則なんだ」
マスターが申し訳なさそうに言った。
その時、店のドアが開いた。
期待に胸を膨らませて振り向いたユナの目に飛び込んできたのは、ジフ……ではなく、見知らぬ女性だった。
清楚なブラウスに、どこか疲れたような、しかし芯の強そうな瞳をした女性。
彼女は慣れた手つきでカウンターの端に座った。
「マスター、いつものを。ジフの分はテイクアウトでお願いできますか?」
その名前が聞こえた瞬間、ユナの指先が止まった。
彼女が、ジフの「恋人」なのだろうか。
「今日はジフ君、来られないのかい?」
「はい。少し……家の方がバタバタしていて。
私が代わりに夕食を買いに来たんです」
女性は穏やかに笑った。
その笑顔には、ジフとの長い年月を共有してきた者にしか出せない、確固たる「所有権」のような落ち着きがあった。
ユナは自分が、ひどく惨めな部外者のように感じられた。
ユナは逃げるように席を立ち、会計を済ませて店を出た。
夜の新村は、冷たい霧雨が降り始めていた。
傘を持っていないユナは、建物の軒下で雨宿りをしながら、自分をあざ笑った。
(何してるの、私。彼女がいる人に、今さら何を期待してるの?)
その時、雨の中を走ってくる人影が見えた。
黒いフードを深く被った男。
彼はユナが雨宿りしている建物の前で立ち止まり、中の自動販売機で温かい缶コーヒーを二つ買った。
「……ジフ」
思わず声が漏れた。
男がフードを上げ、こちらを見る。
やはりジフだった。
しかし、再会した彼の顔には、驚きよりも先に、明らかな「嫌悪」の色が浮かんだ。
「まだこんなところにいたのか」
ジフの声は、雨の冷たさよりも鋭くユナの胸を刺した。
「偶然よ。雨が降ってきたから……」
「嘘をつくな。わざわざ俺を待ち伏せしていたんだろう」
「……何が悪いの? 10年ぶりに会ったのに、あんな言い方されて。私はただ、あの時どうして消えたのか聞きたかっただけよ!」
ユナが感情をぶつけると、ジフは一歩、彼女との距離を詰めた。
彼の体からは、雨の匂いと、微かな消毒液のような匂いがした。
「理由なんて、もうどうでもいいだろ。俺には今の生活がある。お前が入り込む隙間なんて、一分一秒もないんだ。二度と、俺の前にも、この店にも現れるな」
彼は手に持っていた温かいコーヒーの一本を、ゴミ箱に叩きつけるように捨てた。
そして、ユナが言葉を失っている間に、再び雨の中へと消えていった。
頬を伝うのは、雨なのか涙なのか分からなかった。
ただ一つ確かなのは、10年前の優しいジフは死んでしまったということ。
そして、今の彼にとってユナは、平穏を乱す「邪魔者」でしかないということだった。
To be continued
10年ぶりに再会した彼は、私に知らないふりをした。 ポルコ @porco_07
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