第二話 熊は斯く語りき ※喋れません

私が目の前の熊の動きを見つめている中、カメラで視聴している人々からのコメントがパソコンのディスプレイの上に流れていく。


:かなちゃんはどうしてる?

:口をあんぐり開けてクマを見ているぞ

:今のうちに逃げた方がいいんじゃ

:クマは冷蔵庫を覗き込んだまま動かないな

:何か食べられるものがあるかどうか物色しているんじゃなかろうか

:何を食べるんだ?

:ツキノワグマは通常どんぐりとか植物を主食にしてるから野菜じゃないか?


「私の食料が危ない!」


 私は無意識に叫んだ。引き籠もるからには部屋に冷蔵庫を設置するのは当然であり、私好みの食材が溜め込まれているからだ。


:食料が危ないw

:自身の命よりもそっちが大事か?

:案外図太いなこの娘

:本当に大丈夫?

:一安心と見せかけてガブリと行かれない?


  そうこうしているうちに、熊が前足を冷蔵庫に伸ばして500mlのビール缶一本を取り出す。

 ねえ、気の所為かもしれないんだけど、どうやって缶を掴んだの?

 持っているようには見えないんだけど。どっちかと言うと貼り付いてない?

 熊はビールを持ったまま三本足でパソコンの前まで戻ってくると、椅子の上に座っている私の太ももにビールを持っていない方の前足でポンポンと叩くと顔を横に一度振る。

 もしかしなくとも、どいてくれって事?

 おずおずと椅子から降りるとパソコンの置いてある机の上にビール缶を置いて椅子の上によじ登り始めた。

 どうやら椅子に座りたいみたいだけど、案の定すってんころりんと椅子から転げ落ちる。


:お、戻ってきた

:手に何か持ってるぞ

:机に置かれたのは、まさかビールか?

:クマってビール飲むの?

:昔アメリカのニュースで山小屋にあったビールを飲み尽くして泥酔したっていうニュースが

:あ、かなちゃんが退いた

:クマが椅子に乗っかるのか

:おい、座ろうとしてないか?

:無理だろ

:ちょw落ちたw

:頼むから癇癪起こすなよ


 熊が両前足を椅子の座面に乗せて私の顔を見つめる。

 手伝ってって事なのかな?

 再度、熊がよじ登って座ろうとするのを私は椅子の後ろから両手で熊の胴体の脇に手を回して支えてあげる事にした。

 うわ、ゴワゴワする。ふわふわだと思ってた。

 熊がパソコンのキーボードに前足を伸ばして、伸ばして…… 届かない。

 人間と比べて前足が短い上、胴体が長すぎるのだ。

 仕方がないなとため息を吐いて、椅子の下にあるレバーを押して中にある空気を抜いて高さを調節してあげる。

 座席が下がり丁度良い位置にまで来ると熊が私に顔を向けて前足を上げた。

 何だろう、物凄く人間臭い。とりあえず私に対して敵意はないみたい。それにしてもビールなんて持ってきてどうするつもりなんだろう?

 まさか本当に飲むの?

 熊は右に置かれたビールに前足を伸ばすと手を添えてビールを持ち上げた。

 あれ、私の目おかしくなったのかな?

 掴んでるようには見えないんだけど。

 熊はビールを左手に持ち替えて右前足の爪でプルタブに引っ掛けると、それを引き起こしてプシュッという音と共に缶が開いた。

 そしてそれを口元に持っていって傾ける。缶の中身から黄金色の液体が流れ出て、綺麗に放物線を描いて開いた口の中へと消えていく。

 表情が分からないけれど、何となく美味しそうに見えた。

 熊ってその気になればお酒も飲めるんだ。

 どこか場違いな感情を抱きながら私はただただその光景を眺めている他なかった。


:今度は何をするつもりだ?

:クマがかなちゃんを見てるな

:襲うわけではないようだが

:お

:もう一度乗っかろうとするのか?

:お?

:ちょw

:かなちゃんw

:クマを介護w

:で、クマがパソコンを操作する、と

:ちょw

:うはw手が届かないw

:かなちゃんがあからさまにため息吐いてるw

:ん?

:かなちゃんがしゃがんだ?

:クマが下にずれてる?

:あー、座面の高さ調整か

:かなちゃん優しいな

:これでキーボード操作可能なわけだ

:ぶw

:クマがw

:クマ「あんがとよ(キリッ」

:吹いたw

:駄目だ笑うw

:腹痛ぇw

:こいつ、絶対中の人いるだろw

:可愛いw

:ビール缶を手にしたぞ

:本当に飲むつもりか?

:手、何かおかしくね?

:缶、握れてないよな?

:どうやって持ってるんだ?

:お、開けようとしてる

:爪でプルタブ起こしたぞ!

:何と器用な

:つか、飲めるの?

:口からこぼれそうな気が

:さて どうなる?

:お?おお?

:するすると入っていくなw

:一滴もこぼさないの凄いw

:もうこれだけで食っていけるだろw

:良い飲みっぷりだw


 熊は一頻り飲んで満足したのか、まだ中身が残っていると思わせる音を立てながらビール缶を脇に置き、両前足をキーボードに置く。

 その姿があまりにも様になっていたので、もしかしたらこの熊は人間の生まれ変わりかもしれないと思い始めた。

 こうして元人間の転生熊はいよいよその本領を発揮するため、前足から伸びた爪で軽やかにキーボードを打ち込み始めた。

 メモ帳には私たちでは読み取れない意味のない文字の羅列が次々と表示されていく。

 ……って、あれ?

 日本語入力になってるから前世は元日本人だと思ってたけど、外国の人なのかな?

 熊の観察を続けていると、上手く文字が打ち込めない事に気づいた熊がキーボードから離した自身の両前足を見下ろす。爪のある指をワキワキと動かし、再度キーボードに前足を置き打ち込み始めた。

 けれども、メモ帳に表示される文字は意味を為さないもので前世と違うから慣れない指でキーを打つのは大変なんだろう。

 熊の打ち込みが止まった。

 どうしたのだろうと横から覗き込むとディスプレイを見つめていた熊の目から透明な液体が溢れ出てこぼれ落ちていく。

 ひょっとして泣いてる?

 キーボードから離した前足をだらんと垂らし、誰が見てもはっきりと分かるくらいがっくりと項垂れる。

 無造作に左前足をビールに伸ばして取ると一気飲みを始めた。

 これは誰にでも理解できた。

 やけ酒だ。

 恐らく、私や視聴者さんたちに対して何か伝えたいことがあったんだろう。でも、それができなくて落ち込んでるんだ。

 私は熊のゴワゴワした頭を優しく撫でて慰める。


「熊の体になってからまだ慣れてないんだよね? 大丈夫、私も手伝ってあげるから頑張ろう」


 私の言葉に熊が涙を流しながらコクコクと頷く。熊が泣き止むまで私は彼の頭を撫で続けた。


:クマw

:満足気な吐息w

:これが最後の晩餐なのかもしれないね…

:そういや警察や猟友会は?

:通報済

:この動画サイト教えて一緒に見てるぞ

:どんな反応?

:困ってるw

:それはそうw

:一応出動するってさ

:害は無さそうだから平和的解決してほしい

:つか同接数が万を超えたw

:無名が初日で!?

:おめでとう

:めでたいのか?

:どうなんだこの場合

:クマがキーボード使ってる!?

:爪で打ち込んでやがる

:なんつー器用な

:滑らかすぎんか?

:明らかに慣れてるよね

:これではっきりした、中の人は転生者だな

:クマも社会人の仲間入りか!?

:でも文字がめちゃくちゃだ

:何て意味?

:読めねえ

:止まった?

:クマが両方の前足の指を動かしてる

:可愛いw

:もう一度打ち込みだした

:意味不明な文字しか出ないな

:頑張れー

:止まった?

:止まったな

:どうした?

:お

:わ

:涙!?

:クマ「わぁ……ぁ……」

:泣いちゃった!

:うなだれたぞ

:かわいそう

:あっ

:ビール掴んだ

:呷ってるw

:やけ酒w

:クマ「酒っ飲まずにはいられないっ」

:かなちゃんがクマの頭を撫でてるw

:優しい

:癒されるな

:天使はここにいた!

:慰められたクマが頷いてるw

:明らかに意思疎通できてるな

:天国はここにあったんだ……

:警察はどんな反応してんの?

:予想外すぎて様子見してるよw


 しばらくして泣き止んだ熊はのそのそと椅子から下りる。

 どうしたんだろう?

 熊は真っしぐらに冷蔵庫へ向かっていく。

 この時、私には嫌な予感が走った。

 熊なのに、人間みたいに手慣れた様子で冷蔵庫の扉を無造作に開けると扉の内側に入れてあったビールの缶を一つ取り出した。


「あっ」


 危機感を抱いた私が見つめるその先で熊が缶のプルタブを開けると勢いよく中身の黄金色の液体が口の中へ吸い込まれていく。


「あああああああ!」


 私は声にならない叫びを上げた。

 いや、何となく理解はしたよ? 熊が転生者なんじゃないかってさ!

 けれど、だからと言って私が溜め込んでおいたビールに手をつけるのはどうかなって!?


:ん?

:おや?

:クマが椅子から下りて?

:冷蔵庫、ってまさか

:クマ「酒っ!」

:まだ飲むんかいっw

:よっぽど気に入ったんだなw

:かなちゃんの顔w

:絶叫w

:ワロタ

:ひでえw

:ちょw同接数w

:10万超えたw

:おい、コメントに外国語がw

:かなちゃん凄いなw

:世界でも一躍有名人w


「私の貴重なビールぅぅぅうううう!」


 私は今日、何度目になるか分からない絶叫を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る