第2章 この世界の「現場」

丸太を四本、縦に立てる。それぞれの間隔は人が一人通れる程度。横木を渡し、縄で固定する。クサビがないから、縄の結び方で強度を出すしかない。蒼太は「男結び」と呼ばれる結索法で丸太を締め上げた。


作業を始めて三十分。簡易的な足場が一段、完成した。


「……何だ、これは」


先ほどまで敵意を向けていた兵士の一人が、呆然と呟いた。


「足場だ。この上に乗れば、高いところでも安全に作業できる」


「乗って、大丈夫なのか?」


「俺が先に乗る。見てろ」


蒼太は足場に飛び乗った。丸太が軋むが、崩れる気配はない。体重をかけて揺すってみる。多少の揺れはあるが、許容範囲内だ。


「ほら、この通り。次にお前らが乗る。一人ずつな」


兵士たちは顔を見合わせた。やがて、一番若い男がおずおずと足場に登ってきた。足元を確認しながら、慎重に体重を移動させる。


「……落ちない」


「当たり前だ。俺が組んだんだから」


蒼太は淡々と答えた。「いいか、高所作業ってのは怖いのが普通だ。怖くない奴は、危険を舐めてる馬鹿だ。怖いからこそ、安全対策をする。足場を組む。命綱をつける。それが職人の仕事だ」


若い兵士は真剣な目で蒼太を見つめていた。


「あなたは……本当に建設の技術者なのですね」


「ああ。鳶——高いところで足場を組む仕事をしてた。もっとも、こんな世界に来る予定はなかったがな」


「この世界……?」


「気にするな。それより、この壁、何のために作ってるんだ」


若い兵士の表情が曇った。


「魔王軍の侵攻に備えて、です。この砦が、王都への最後の防衛線なのです」


「魔王軍?」


「ご存知ない? もう三年も戦争が続いています。人類の領土は、かつての二割にまで追い詰められました」


蒼太は眉を顰めた。魔王。戦争。ファンタジー小説やゲームでよく聞く単語が、現実の問題として語られている。


「それで、素人がこんな危ない作業をやってるのか」


「職人は、皆、前線に送られました。残っているのは、私たちのような兵士だけです」


若い兵士——名をエドと言った——は、悔しそうに拳を握った。


「本当は戦いたい。でも、この砦がなければ、王都は丸裸です。だから——」


「分かった」


蒼太は言葉を遮った。「事情は分かった。なら、俺が手伝う」


「え?」


「足場を組む。安全に作業できる環境を作る。そうすりゃ、素人でもまともな壁が積める」


エドの目が大きく見開かれた。


「しかし、あなたは——」


「俺がどこから来たかなんて、今は関係ねえ。目の前に危ねえ現場がある。このまま放っておいたら、誰かが死ぬ。それだけだ」


蒼太は足場から降り、崩れかけた石壁を見上げた。


全長約二十メートル。高さは完成すれば五メートルほどになるはずだ。現状は三メートルで止まっている。そこから先に積み上げる技術がないのだろう。


「おい、お前らのリーダーは誰だ」


先ほどから黙って見ていた、髭面の中年男が進み出た。


「私だ。砦守備隊長のガレス」


「ガレス、お前に聞く。この壁をいつまでに完成させなきゃならない」


「半月後に魔王軍の先遣隊が来る。それまでに完成させたい」


「半月で二メートル。できなくはねえ。だが、今のやり方じゃ無理だ」


ガレスの眉がぴくりと動いた。


「具体的に言え」


「まず、足場がない。高所で作業するのに足場がないのは、死にに行くようなもんだ。次に、石の積み方がなってない。大きさも重さもバラバラの石を、適当に積んでる。これじゃ上に行くほど不安定になる」


蒼太は石壁に近づき、下から三段目の石を指差した。


「この石、触ってみろ。グラグラするだろ。こいつが崩れたら、上の石も一緒に落ちる。下にいる奴が巻き込まれたら、死ぬ」


ガレスは渋々といった様子で石に手を当てた。確かに、僅かに動く。


「……認めよう。我々には、建設の知識がない」


「だったら、俺の言う通りにしろ。足場を組む。石の選び方を教える。積み方も教える。半月で五メートル、いけるはずだ」


「お前を信用しろと?」


「信用するかどうかは、お前が決めろ。俺は目の前の危ねえ現場を見過ごせねえだけだ」


ガレスは暫く蒼太を睨んでいた。やがて、大きく息を吐いた。


「いいだろう。ただし、お前が先頭に立て。失敗したら、責任は取ってもらう」


「上等だ」


蒼太はニヤリと笑った。


    *    *    *


翌朝から、作業が始まった。


蒼太はまず、全員を集めて「朝礼」を行った。


「いいか、これから毎朝、作業前にここに集合する。今日やることを確認して、危ないことを洗い出す。これを『朝礼』と『KY』って呼ぶ」


「KY……?」


「危険予知の略だ。危ない作業をする前に、何が危ないか、どうすれば防げるかを全員で話し合う。これをやるのとやらないのとで、事故の数が全然違う」


兵士たちは困惑した顔をしていた。しかしエドだけは真剣にメモを取っている。どこから持ってきたのか、羊皮紙のようなものに、羽ペンで書き付けていた。


「今日の作業は、足場の設置だ。丸太を運ぶ班、縄を準備する班、穴を掘る班に分かれる」


「穴?」


「足場の支柱を埋める穴だ。地面に直接立てるより、安定する」


蒼太は地面に棒切れで図を描きながら説明した。現場では、口だけで説明しても伝わらない。図を描く、実際にやって見せる、やらせてみる。この三段階を経て、初めて技術は伝わる。


「じゃあ、始めるぞ。俺についてこい」


最初の作業は、丸太の選別だった。


森から切り出された丸太は、太さも長さもバラバラだ。蒼太は一本一本手に取り、叩き、匂いを嗅ぎ、曲がり具合を確認した。


「これは駄目だ。中が腐ってる」


「これは使える。真っ直ぐで、芯がしっかりしてる」


「これは……微妙だな。足場の横木には使えるが、支柱には弱い」


【匠の手】のスキルが、丸太の状態を教えてくれる。含水率、繊維の密度、内部の損傷。触れるだけで、まるでCTスキャンのように情報が脳に流れ込んでくる。


便利だ、と蒼太は思った。現代日本にいた頃は、経験と勘で判断するしかなかった。このスキルがあれば、誰でも材料の良し悪しが分かる。


いや、待て。


蒼太は自分の考えを訂正した。スキルがあっても、それを活かす知識がなければ意味がない。【匠の手】は、蒼太が十年かけて身につけた技術を増幅しているだけだ。ゼロに何を掛けてもゼロ。土台がなければ、スキルも役に立たない。


「お前ら、よく見とけ」


蒼太は選んだ丸太を肩に担いだ。ずっしりと重い。三十キロはある。


「丸太を運ぶときは、重心を意識しろ。真ん中より少し太い方を肩に乗せる。バランスが取りやすい」


実際にやって見せる。兵士たちは最初、蒼太の動きをぎこちなく真似ていたが、何度か繰り返すうちにコツを掴んでいった。


昼過ぎには、足場の一段目が完成した。


「よし、次は二段目だ。一段目と同じ要領で——」


「待ってくれ」


ガレスが手を挙げた。「休憩を取らないのか」


「ああ、そうだな。悪い」


蒼太は頭を掻いた。現場に入ると、つい夢中になってしまう。現代日本でも、先輩によく「お前は休憩を忘れる」と叱られたものだ。


「昼飯にしよう。午後からまた始める」


兵士たちは安堵の表情を浮かべた。蒼太についていくのは、体力的にきついらしい。


木陰に腰を下ろし、配給された食事を受け取る。硬いパンと、塩漬けの肉。味は悪くないが、量が少ない。


「食料も厳しいのか」


隣に座ったエドが、小さく頷いた。


「農地の多くが魔王軍に奪われました。残った土地だけでは、全員を養うことができません」


「そうか……」


蒼太は黙ってパンを齧った。


戦争。飢餓。追い詰められた人々。現代日本で暮らしていた蒼太にとって、それらは画面の向こうの出来事だった。ニュースで見て、気の毒だと思って、それで終わり。


今、それが目の前にある。


「なあ、エド」


「はい」


「お前、家族はいるのか」


「……妹がいます。王都で、パン屋の見習いをしています」


「そうか」


「この砦が破られたら、王都も終わりです。妹も、町の人たちも、皆殺しにされる。だから、私は——」


エドの声が震えた。蒼太は黙って、その肩を叩いた。


「壁は、俺たちが作る。間に合わせる。お前は妹のところに帰れ」


「……はい」


エドは目を擦った。


午後の作業が再開される。


蒼太は足場の二段目、三段目と組み上げていった。日が暮れる頃には、石壁と同じ高さまで足場が完成していた。


「よし、今日はここまでだ」


兵士たちは疲労の色を滲ませながらも、どこか誇らしげな表情をしていた。自分たちの手で、何かを作り上げた達成感。蒼太はその顔を見て、少しだけ安心した。


「明日から、石積みを始める。今日教えたことを忘れるなよ」


「はい!」


声が揃った。


蒼太は足場を見上げた。まだ粗削りだが、形にはなっている。この足場があれば、素人でも安全に高所作業ができる。


「……やれるかもな」


呟きは、誰にも聞こえなかった。


    *    *    *


その夜、蒼太は砦の片隅で眠りについた。藁を敷いた簡素な寝床。星空が見える。


現代日本では、こんなに星が見えることはなかった。街の明かりが強すぎて、空は常に薄ぼんやりとしていた。


ここには、それがない。


純粋な闇と、無数の星。そして、あの巨大な月。


「……帰れるのかな」


独り言が漏れた。


母親の顔が浮かんだ。父の死後、女手一つで蒼太を育ててくれた人。中卒で働き始めると言ったとき、反対しなかった。「あんたの人生だ、好きにしな」とだけ言った。


今頃、心配しているだろうか。それとも、もう蒼太は死んだことになっているのだろうか。


考えても仕方ない。今は、目の前のことに集中するしかない。


蒼太は目を閉じた。


明日も、現場が待っている。

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