鳶職人×異世界転生_俺の手が世界を建てる~鳶職人、異世界で伝説の塔を築く~

もしもノベリスト

第1章 落ちた先は異世界

足場が、崩れた。


鷹野蒼太の視界が反転する。灰色の空、飛び散る鉄パイプ、誰かの悲鳴。すべてがスローモーションで流れていく中、腰の安全帯が金属音を立てて外れるのを、蒼太は不思議なほど冷静に見つめていた。


ああ、これで終わりか。


台風十四号の接近により、現場は朝から騒然としていた。風速二十メートルを超える突風が断続的に吹き荒れ、本来なら作業中止が妥当だった。しかし元請けからの指示は「足場のメッシュシートを畳め」の一点張り。シートが帆のように風を受ければ、足場全体が倒壊する危険がある。それは分かっていた。分かっていたから、蒼太は自ら最上部に登ったのだ。


風がシートを煽り、鉄パイプが軋む。クランプが一つ、また一つと弾け飛ぶ。蒼太は咄嗟に柱を掴もうとしたが、雨で濡れた手袋が滑った。


落下。


十五メートル。ビルの五階相当の高さから、蒼太の身体は真っ逆さまに落ちていく。


死ぬな、と思った。


同時に、妙な後悔が胸を過ぎる。親父と同じ死に方か。笑えねえ。


蒼太の父、鷹野健一もまた鳶職人だった。蒼太が中学二年のとき、足場の倒壊事故で亡くなった。あのとき母親が見せた顔を、蒼太は今でも鮮明に覚えている。泣きもせず、怒りもせず、ただ空っぽになったような目。


俺は絶対に現場で死なない。そう誓って、この世界に入った。十年間、一度も大きな怪我をしなかった。安全帯は必ず二丁掛け。KY(危険予知)は誰よりも真剣にやった。それでも、こうなるのか。


地面が迫る。


意識が、途切れた。


    *    *    *


最初に感じたのは、土の匂いだった。


湿った腐葉土。苔。遠くで水が流れる音。蒼太はゆっくりと目を開けた。


視界に広がるのは、見たこともない森だった。


巨木が天を突くように聳え立ち、その隙間から淡い緑色の光が差し込んでいる。木々の幹は人間の何倍も太く、根が地面を這うように広がっている。空気は澄んでいて、肺の奥まで染み渡るような清涼感がある。


「……は?」


蒼太は身体を起こした。驚いたことに、どこも痛くない。十五メートルから落ちたはずなのに、骨折どころか擦り傷一つなかった。作業着のニッカポッカは泥で汚れていたが、破れてはいない。腰には工具袋が下がったままで、中にはハンマーとラチェットレンチ、安全帯のフックが残っていた。


「夢……か?」


つねってみる。痛い。


立ち上がり、周囲を見回す。どこを見ても森、森、森。人工物は一切見当たらない。携帯電話を取り出すと、画面は真っ黒で起動しなかった。


「おいおい、マジかよ……」


状況が理解できない。ここがどこなのか、なぜ自分が無傷なのか、何もかもが分からない。ただ一つ確かなのは、東京の建設現場から遥か遠くに来てしまったということだけだった。


とにかく歩くしかない。蒼太は太陽の位置を確認しようとして、また困惑した。木々の隙間から見える空は、妙に青みが強い。まるで絵の具を溶かしたような、人工的にすら見える鮮やかな青。太陽は……二つ?


いや、一つは太陽で、もう一つは月のようだった。白昼に浮かぶ巨大な月。その表面には、見たこともない模様が走っている。


「……なんだよ、これ」


蒼太の胸に、じわりと恐怖が滲んだ。


これは夢じゃない。異常事態だ。


深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。高所作業でパニックを起こせば死ぬ。それは骨身に染みて分かっている。どんな状況でも、まずは冷静になること。次に、情報を集めること。そして、行動すること。


蒼太は地面に膝をつき、土を触った。普通の土だ。湿り気があり、腐葉土特有の柔らかさがある。立ち上がって木の幹に触れる。樹皮はザラザラとしていて、手のひらに引っかかる感触がある。


現実だ。間違いなく。


森の奥から、微かに煙の匂いがした。焚き火だろうか。人がいるのかもしれない。蒼太は匂いのする方向へ歩き始めた。


下草を踏み分け、倒木を跨ぎ、岩を避けながら進む。足場の悪い場所を歩くのは慣れている。現場では常に不安定な足元で作業をするからだ。三十分ほど歩いたところで、森が開けた。


眼下に、集落が見えた。


それは蒼太の知る「村」とは異なる光景だった。石造りの建物が数十軒、円形に配置されている。中央には広場があり、井戸のようなものが見える。屋根は藁葺きで、窓には硝子がなく、代わりに布が垂れ下がっている。


中世ヨーロッパの村。映画で見たような風景が、目の前に広がっていた。


「……マジで、どこだよ、ここ」


蒼太は丘の上から集落を見下ろしながら、呆然と呟いた。


村の外れに、崩れかけた石壁があった。その周りで、人影が動いている。遠目にも、何か作業をしているように見えた。蒼太は目を凝らす。


石を積んでいる。それも、かなり雑に。


足場もなく、梯子一本で三メートル以上の高さに登り、重い石を持ち上げようとしている。見ているだけで冷や汗が出る光景だった。案の定、一人が足を滑らせ、石を落とした。下にいた別の人間が悲鳴を上げて飛び退く。


「危ねえ!」


蒼太は考えるより先に駆け出していた。丘を下り、集落に向かって走る。石壁に近づくと、作業をしていたのは兵士のような格好をした男たちだった。革の鎧に剣を帯び、しかしその手は明らかに労働者のものではない。


「おい、大丈夫か!」


蒼太が声をかけると、男たちが一斉に振り向いた。怪訝そうな顔。それはそうだろう。見知らぬ男が突然現れて、聞いたこともない言葉で叫んでいるのだから。


いや、待て。通じてる?


「お前、何者だ」


先頭の男が剣の柄に手をかけながら問うた。その言葉が、蒼太には完全に理解できた。日本語ではない。しかし意味は分かる。


「俺は……鳶職人だ。建設作業員」


答えながら、蒼太は自分が何を言っているのか不思議に思った。口から出ているのは日本語のはずなのに、男たちは当然のように頷いている。


「トビ……? 聞いたことのない流派だな。どこの国の者だ」


「国? 日本……東京から来た」


「ニホン? トウキョウ? 知らんな。東方の蛮族か?」


男たちの中に、嘲笑の気配が走る。しかし先頭の男は真剣な目で蒼太を見つめていた。


「流派はともかく、建設ができるのか?」


「ああ、できる。つうか……」


蒼太は崩れかけた石壁を見上げた。積み方が滅茶苦茶だ。石の大きさがバラバラで、目地も揃っていない。しかも下から三段目あたりに、明らかに不安定な石がある。あれが崩れたら、上の石も連鎖的に崩落する。


「これ、誰が積んだ?」


「我々だが……何か問題でも?」


「問題しかねえよ」


蒼太は遠慮なく言い放った。「このまま積み上げたら、あと一メートルで崩れる。下から三段目の石、見ろ。傾いてるだろ。荷重が偏ってる。それに足場がねえ。よく今まで死人が出なかったな」


男たちの顔が強張る。


「貴様、我々の仕事に文句をつけるのか」


「文句じゃねえ、事実だ。俺はこういう仕事を十年やってきた。見りゃ分かる」


先頭の男が剣を抜こうとした瞬間、蒼太の視界に光が走った。


半透明の板が、宙に浮かんでいる。


文字が並んでいた。見たことのない書体だが、なぜか読める。


『ステータス確認』


『名前:鷹野蒼太』


『年齢:28』


『種族:異界人(転移者)』


『称号:なし』


『スキル:【匠の手(クラフトマンズ・ハンド)】Lv.1』


スキル説明:


・建設作業における精度と速度が向上する


・触れた構造物の強度を感知できる


・一定範囲内の仲間の技能を一時的に底上げする


「……は?」


蒼太は呆然と光る板を見つめた。ゲームみたいだ。いや、これはゲームじゃない。現実だ。


では、これは何だ。


「ステータス……スキル……」


口に出してみる。男たちは不思議そうな顔をしていたが、光る板が見えていないらしい。蒼太だけに見えているのか。


【匠の手】。建設作業の精度と速度が向上する。構造物の強度を感知できる。


試しに、崩れかけた石壁に近づいて、手を伸ばした。指先が冷たい石に触れた瞬間、脳裏に情報が流れ込んできた。


この石の重量は約三十キログラム。内部に微細なひび割れあり。圧縮強度は周囲の石の七割程度。配置の適正度、低。崩壊リスク、高。


「……マジかよ」


蒼太は思わず笑った。笑うしかなかった。


異世界。スキル。ステータス。漫画やゲームで見たことのある設定が、現実として目の前にある。


しかも、与えられたスキルが戦闘系ではなく、建設系。剣を振る力でも、魔法を使う才能でもなく、足場を組む技術。


「笑えるぜ……」


蒼太は深く息を吐いた。


状況は相変わらず理解できない。なぜ自分がここにいるのか、どうすれば帰れるのか、何も分からない。


だが、一つだけ確かなことがある。


目の前に、危険な現場がある。このまま放っておけば、誰かが怪我をする。最悪、死ぬ。


それだけは、許せなかった。


「おい」


蒼太は先頭の男に向き直った。


「この壁、俺に直させろ」


「何だと?」


「足場を組む。安全に作業できる環境を作る。そうすりゃ、お前らでもまともに積める」


男は眉を顰めた。「足場とは何だ」


「見てりゃ分かる。材料は……」


蒼太は周囲を見回した。森から切り出したらしい丸太が、無造作に積まれている。縄もある。釘は……ないか。


「縄でいけるな。おい、その丸太、使っていいか」


「勝手にしろ。だが、何かの罠なら——」


「罠なんかじゃねえよ。見てろ」


蒼太は工具袋からハンマーを取り出し、丸太の山に向かった。


十年間、身体に叩き込んできた技術がある。設計図なんか読めない。計算もできない。だが、足場を組むことだけは、誰にも負けない。


丸太を選び、縄を結び、組み上げていく。


この世界がどこであれ、俺にできることは変わらない。


高いところに登り、安全に作業する。それが鳶の仕事だ。


蒼太の手が、異世界で最初の足場を組み始めた。

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