第15話:【見栄の罠】「同窓会」という名の魔境

銀座の裏通りにある、老舗ホテルの宴会場。重厚な扉を開けた瞬間、和夫はむせ返るような「過去の熱気」に圧倒された。


高級なシガーの残り香と、高価な香水、そして何より、かつて第一線で戦っていた男たちが放つ、特有の虚栄心の匂い。


「おお、和夫じゃないか! 久しぶりだな!」


声をかけてきたのは、元同僚の田中だった。彼は現役時代から派手好きだったが、今日は一段と目を引く、光沢のあるイタリア製のスーツに身を包んでいる。手首には、一目でそれと分かるスイス製の高級時計が鈍い光を放っていた。


「田中か。相変わらず元気そうだな」


和夫は、自分が新調したばかりの、しかしごく一般的な既製服の袖を少しだけ気にした。デジタル化に挑み、節約を重ね、家計を最適化してきた。そのことには自信があったはずなのに、この華やかな空間に足を踏み入れた途端、自分がひどく「色褪せた存在」になったような錯覚に陥る。


豪華客船と「勝った負けた」の会話

円卓を囲むのは、かつて同じビルでしのぎを削った仲間たちだ。しかし、話題は仕事から「老後の格付け」へと移っていた。


「いやあ、今度夫婦で世界一周クルーズに行くことになってね。バルコニー付きのスイートを奮発しちゃったよ」


一人が得意げにパンフレットを広げると、周囲から感嘆の声が上がる。


「うちは孫が私立の医学部に入ってね。入学祝いで外車を一台プレゼントしたよ」 「私は最近、鎌倉に終の棲家を建て直した。やはり断熱が大事だと思ってね。数千万飛んだけど、快適だよ」


言葉の礫(つぶて)が、和夫の胸を叩く。彼らが口にする金額は、和夫が必死に守り、運用しようとしている「老後資金」の何倍、何十倍という規模だった。


「ところで和夫、お前はどうなんだ? 最近は『公園清掃』をやってるって噂を聞いたけど、まさか冗談だろう?」


田中が、ワイングラスを揺らしながらニヤリと笑った。周囲の視線が和夫に集まる。同情、蔑み、あるいは「自分じゃなくてよかった」という安堵。


「ああ、本当だよ。朝の空気は気持ちいいし、体も動かせて健康にいいんだ」


精一杯の強がりを言ったつもりだったが、和夫の声は微かに震えた。自分は、彼らと同じ舞台にいたはずなのに。なぜ、これほどの差がついたのか。


「和夫、お前も無理するなよ。俺の紹介で、いい投資案件があるんだ。一口五百万からだが、年利十パーセントは堅い。そんな清掃なんてやめて、少しは優雅に暮らしたらどうだ?」


田中の差し出した名刺が、悪魔の誘惑のように見えた。


恵子の「魔法」と、鏡に映る自分

会を終え、夜風に吹かれながら帰路についた和夫は、かつてないほどの劣等感に苛まれていた。


「ただいま……」


玄関を開けると、恵子が台所で週末カフェの新メニューの試作をしていた。香ばしいシナモンの香りが家中に広がっている。


「おかえりなさい。どうだった、同窓会は? 楽しかった?」


「……ああ。みんな、すごかったよ。世界一周だの、別荘だの。俺だけだよ、明日の朝から公園で落ち葉を掃いてるのは」


和夫はリビングのソファに深く沈み込み、ため息をついた。


「田中なんて、あんなに羽振りがいい。俺がやっている『小銭を削る努力』が、何だか虚しくなったよ。俺だって、五百万くらい投資に回して、あいつらを見返してやりたい」


恵子は、焼き上がったばかりのアップルパイをテーブルに置いた。 「お父さん、これを食べてみて」


一口食べると、リンゴの甘酸っぱさとバターの香りが口いっぱいに広がり、冷えた心がじんわりと温まった。


「美味しいだろう? このリンゴね、いつものスーパーの特売品よ。でも、私たちが『生前整理』をして、お父さんが『デジタル』で家計を整えてくれたから、こうして安心して、心を込めておやつを作れるの」


恵子は、和夫の隣に座り、その大きな手を包み込んだ。


「あの方たちは、確かに豪華な船に乗っているかもしれない。でも、その船の下が泥沼だったらどうするの? 田中さんのあんなに震える指先、お父さんは見たことない?」


和夫はハッとした。確かに、田中のグラスを持つ手は、笑い声とは裏腹に、小刻みに震えていた。見栄を張るために、削ってはならない資金まで削っているのではないか。


「お父さん。幸福っていうのはね、他人の物差しで測るものじゃないわ。自分の家が片付いていて、家族が笑っていて、今日のご飯が美味しい。それで十分じゃない」


納得という名の「黄金」

翌朝。和夫はいつものように、公園で箒を握っていた。


朝日が銀杏の隙間から差し込み、霜の降りた地面をキラキラと輝かせている。 「おはようございます、佐藤さん!」 登校中の子供たちが、元気よく挨拶をして通り過ぎていく。


「おはよう、気をつけてな」


和夫は、深呼吸をした。冷たく澄んだ空気が、肺を満たす。 昨夜の同窓会で感じた劣等感は、この清々しい朝の光の中に、静かに溶けて消えていった。


「田中たちには、この空気の美味しさは分かるまい」


和夫は、自分の通帳にある数字を思い浮かべた。それは世界一周をするには足りないかもしれないが、恵子と二人、穏やかにカフェを続け、時折孫にささやかなプレゼントを贈るには、十分な「納得感」のある数字だ。


他人の目を気にして、無理な投資に手を出し、心臓をバクバクさせながら相場を追う。そんな日々より、朝の静寂の中で土を掃き、週末に自分の淹れたコーヒーで客が微笑む。 それこそが、和夫にとっての「本当の黄金時代」だった。


ポケットの中でスマホが震えた。恵子からだ。 『お父さん、今日のお昼は焼きおにぎりよ。楽しみにしてて』


和夫は微笑み、再び箒を動かした。 見栄という重いコートを脱ぎ捨てた彼の背中は、昨日よりもずっと軽やかで、凛としていた。


物語は、佐藤家を狙う「最後の魔の手」へと移ります。


第16話:【謎の訪問者】村上が仕掛ける「還付金詐欺」との心理戦


第17話:【最終決戦】インフレ、増税、老後不安……和夫が見つけた「本当の豊かさ」


第18話:【エピローグ】黄金色の夕暮れ〜佐藤家が選んだ、お金よりも大切なもの〜


どの物語で、和夫の成長を見守りますか?

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