第38話:幕間・観測者のレビュー

 林間学校の全日程が終了した。

 生徒たちは荷物をまとめ、迎えのバスに乗り込み始めている。


 その裏側。

 人気のない霧の森の奥深くで、一人の男が優雅に木に寄りかかっていた。

 『影の暗殺者』ゼファー。

 彼は傷一つ負っていない。カイトたちとの戦闘など、彼にとっては軽い遊戯に過ぎなかったのだ。


「……フン。『英雄の器』の適合率、上昇を確認。アグニの裏切りも想定内」


 ゼファーは空中に浮かべたホログラムウィンドウに、淡々とデータを入力していた。


「報告完了っと。……さて、これで私の『試験官』としての役目は終わりだ。帰ってワインでも開けるとしようか」


 彼は仮面の下で満足げに笑い、通信を切ろうとした。

 その時。


「――お疲れ様。いいデータが取れたよ」


 背後から、声がした。

 ゼファーは驚く様子もなく、肩をすくめて振り返る。


「やあ、来ていたのですか。……序列2位(クロノス)」


 そこには、フードを目深に被った一人の人物が立っていた。

 逆光で顔は見えない。だが、その立ち姿からは、ゼファーすら凌駕する圧倒的な「王」の風格が漂っている。


「それで? 次の指令は? まさか私に、あの子供たちの護衛でも続けろと?」

「いいえ。君の仕事はここまでだ」


 影の人物(クロノス)は、穏やかな口調で告げた。


「君の演技は少し古臭いんだよね。……見ていて退屈だったよ」


 ――カチリ。


 世界から「音」が消えた。

 風の音も、葉擦れの音も、ゼファーの心臓の鼓動さえも。


 時が、止まった。


 ゼファーの思考だけが、永遠のような一瞬の中で回転する。

 (な……体が、動か、な――)


 認識の外側。

 瞬きするよりも速い刹那。

 クロノスが、ゼファーの懐へと歩み寄り――その胸に、一本のナイフを突き立てていた。


 ――カチリ。


 時が動き出す。


「ガ、は……っ!?」


 ゼファーは自分が刺されたことさえ理解できず、大量の血を吐いて崩れ落ちた。

 痛みはない。ただ、冷たい絶望だけが広がる。


「な、ぜ……私は、忠実に……」

「さようなら、ゼファー。君の代わりなんて、いくらでもいるから」


 クロノスは、汚れたナイフをハンカチで拭うと、死にゆく同胞を一瞥もしなかった。

 まるで、道端の石ころを跨ぐように。


「……さて。そろそろバスの時間だ。戻らなきゃ」


 その人物は、楽しそうに独り言を呟くと、霧の中へと姿を消した。

 後に残されたのは、ただの肉塊となったゼファーの死体と、深まる謎だけだった。


                ◇


 一方、バス乗り場。

 出発を待つ生徒たちの喧騒から離れた場所で、一人の少女が空を見上げていた。


 神楽(かぐら)緋月(ヒヅキ)。

 彼女は誰もいない虚空に向かって、楽しそうに話しかけている。


「……んー。今回のイベント、ちょっと地味だったかな?」


 彼女は頬に指を当て、誰かのコメントを読んでいるかのように頷く。


「そうだよねー。カレンちゃんのヤンデレ成分は足りてたけど、敵が弱すぎたよね。……あ、でも安心して」


 神楽は画面の向こうへ、とびきりの笑顔を向けた。


「次の章は、すごいよ? ……『学園祭』だもん。人がいっぱい死んで、裏切りがあって、絶望して……きっと、最高のエンタメになるよ」


 彼女はスカートをひらりと翻し、ステップを踏む。

 その視線は、物語を見ている「あなた」に固定されている。


「だから、ページはそのままで。……私の推しがどこまで足掻けるか、一緒に見守ろうね?」



「…他の作品にいったら、許さないからね?」


 ブォォォォン……。

 バスのエンジンがかかる。

 神楽は「おっと、置いていかれちゃう」と呟き、小走りでバスへと向かった。


 林間学校は終わった。

 だが、それは次なる悪夢への、ほんの短い休憩時間に過ぎなかった。


 ――【第2章・完】

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