第36話:尋問と、消えない違和感

 氷の檻に閉じ込められ、影の鎖で縛り上げられた暗殺者。

 勝負は決したはずだった。


「……観念しろ。お前らの目的は何だ?」


 俺は氷結牢に近づき、尋問を開始した。

 仮面の暗殺者は、身動き一つ取れないまま、低い声で呻いた。


「……目的、だと?」

「そうだ。お前が、理事長が言っていた『不審な影』だな? なぜ生徒を狙う!」


 俺は語気を強めた。

 神代理事長は正しかった。やはり、この林間学校には外部からの悪意が入り込んでいたのだ。

 俺がここで食い止めなければ、学園の平和が脅かされる。


 だが、男は仮面の奥で――クスクスと笑い始めた。


「クク……。カハハハハッ! 『不審な影』? 『狙う』? 違うなぁ、全然違う」

「何がおかしい」

「笑わずにいられるかよ。……まさか『本番』前の『舞台稽古』ごときで、勝ったつもりになっているとはな」


 ――ドロリ。


 その瞬間、拘束されていた男の輪郭が崩れた。

 肉体が黒い泥のように溶け出し、氷の檻をすり抜けて地面へと染み込んでいく。


「なっ……!? 影分身!?」


 ノクティスが驚愕の声を上げる。

 影使いの彼女ですら見抜けなかったほどの精巧なデコイ。

 いや、これはただの分身じゃない。

 もっと異質で、強大な魔力の残滓。


 直後。

 森の空気が一変した。

 重力が倍になったかのような重圧。

 鳥たちのさえずりが止み、風すらも凍りつくような静寂。


 上だ。

 俺たちは弾かれたように頭上を見上げた。


 霧が晴れた高い木の枝の上に、その男は立っていた。

 月光を吸い込むような漆黒のロングコート。

 顔の半分を覆う、不気味な道化の仮面。

 彼はまるで舞台上の役者のように、優雅に一礼してみせた。


「――素晴らしい。実に見事な連携でした、英雄候補生諸君」


 男が指を鳴らすと、空中に燃えるような真紅の文字が浮かび上がった。


 ――――――――――――――――――――

 『七つの大厄災』 序列第六位

 【影の暗殺者(シャドウ・ストーカー)】

 ゼファー

 ――――――――――――――――――――


 格が違う。

 さっきまでの偽物や、以前戦ったアグニたちとは、纏っているオーラの「質」が桁違いだ。

 これが、組織の幹部。


「貴様……! 本物か!」


 アグニが炎を纏って吠える。

 ゼファーは仮面の奥で冷ややかな視線を向けた。


「吠えるなよ、のら犬。……組織を抜けた負け犬が、随分と飼い慣らされたものだ」

「あァ!? テメェ、ぶっ殺すぞ!」

「やめておけ。今の君たちでは、私の『影』すら踏めない」


 ゼファーは挑発に乗る様子もなく、淡々と俺たちを見下ろした。

 その余裕は、圧倒的な実力差の裏付けだ。


「今日のところは、顔見せだ。……我々が求めているのは、君たちが『絶望』の淵で、どのような輝きを見せるか。その一点に尽きる」


 彼は意味深な言葉を残し、コートを翻した。


「楽しみにしておけ。……『脚本』は、まだ書き出しに過ぎない」


 脚本……?

 誰かがこの状況を書いているとでも言うのか?

 いや、組織のトップの計画か何かの比喩か。


 彼が闇に溶けようとした、その時。


「――そこで何をしているのですか?」


 無機質な声が響いた。

 茂みの中から、一人の女子生徒が現れる。

 眼鏡をかけた真面目そうな少女。佐倉委員長だ。


 彼女はこの異常な状況――氷の檻や、木の上に立つ怪人を見ても、眉一つ動かさなかった。

 ただ、事務的にバインダーを開いている。


「現在、オリエンテーリングの最中です。部外者の立ち入りは禁止されています」


 あまりに場違いな指摘。

 だが、ゼファーは彼女を見ると、仮面の奥でニヤリと笑ったように見えた。


「……なるほど。『人形姫(アリス)』の仕事は順調というわけか」

「?」

「いいだろう。……邪魔をしたね、お嬢さん」


 ゼファーは佐倉に対して、奇妙なほど丁寧な態度を取った。

 そして次の瞬間、彼の姿は掻き消えるように消滅していた。

 気配も、魔力の残滓も、完全にゼロ。


「……逃げられた」


 俺は拳を握りしめた。

 勝ったつもりでいた自分たちが恥ずかしい。

 あいつは最初から、俺たちを「試して」いただけだったんだ。


「……あの、カイト君。どうかしましたか?」


 佐倉が首を傾げる。

 彼女の瞳には、目の前で起きた怪奇現象に対する恐怖も、疑問も浮かんでいない。

 ただのガラス玉のように、虚ろな光を宿しているだけだった。


 (……やっぱり、佐倉もおかしい)


 『七つの大厄災』の影。

 そして、学園内部で進行する異変。

 理事長が心配していた通り、事態は俺たちが考えている以上に深刻なのかもしれない。

 俺がもっとしっかりしなきゃダメだ。理事長の期待に応えるためにも。


 俺は背筋に冷たいものを感じながら、去っていった暗殺者の言葉を反芻していた。

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