第33話:傷跡と、嘘と、雨音
バンガローに逃げ込んだ頃には、外は激しい雷雨になっていた。
雨音が屋根を叩き、森の静寂をかき消していく。
「――っつぅ……。いってェな、畜生」
リビングのソファで、アグニが苦悶の声を漏らす。
左肩の傷は深かったが、幸い骨には達していなかった。
「動くなよアグニ。今、止血するから」
「悪いな、大将。……俺としたことが、あんなネズミ野郎に遅れをとるとはよ」
俺は救急箱を開け、手早く消毒と包帯を巻いていく。
その横で、レンが心配そうにタオルや水を運んでくれていた。
「すごい出血だったな……。でも、命に別状がなくてよかった」
「ああ。レン、悪いけど氷を持ってきてくれないか? 患部を冷やしたい」
「了解。冷蔵庫を見てくる」
レンがキッチンへと向かう。
その背中を見送った後、俺はふと視線を横に向けた。
そこには、窓際で不機嫌そうに腕を組んでいるカレンがいた。
彼女はずっと無言だ。
美しい顔が、今は曇っている。
「……カレン?」
「別に。……なんでもないわ」
カレンはプイと顔を背けた。
だが、その周囲の空気がピキピキと凍りついている。明らかに「なんでもなくない」合図だ。
「……あの影女(ノクティス)。いい気になって」
ボソリと呟いた言葉が、全てを物語っていた。
彼女は悔しいのだ。
自分の目の前で俺が襲われたのに、霧のせいで魔法を使えず、あまつさえ大嫌いなノクティスにいいところを全部持っていかれたことが。
「カレン。……ちょっと手伝ってくれないか?」
「え?」
「アグニの傷、冷やしたいんだけど氷が足りないんだ。カレンの魔法で、患部だけ冷やせるか?」
俺が頼むと、カレンは驚いたように目を瞬かせ、それから溜息をつきつつ近づいてきた。
「……仕方ないわね。カイト君の頼みだから、特別よ」
彼女はアグニの肩にそっと手をかざした。
普段なら全てを凍結させる魔力が、今は繊細にコントロールされ、患部の熱だけを奪っていく。
その手つきは驚くほど優しかった。
「うおっ、すげェ。痛みが引いていく……」
「感謝なさい。私の魔力をこんな治療に使うなんて、前代未聞なんだから」
憎まれ口を叩きながらも、カレンは真剣な眼差しで治療を続けている。
俺はその横顔を見て、改めて思った。
この子は、ただの破壊兵器じゃない。
「ありがとう、カレン。……やっぱり、頼りになるな」
「っ……!」
俺が礼を言うと、カレンの頬がほんのりと朱に染まった。
彼女は照れ隠しのように視線を逸らし、ボソボソと言う。
「……当たり前でしょ。私は『天堂カレン』なのよ。あんな霧ごとき、本気を出せば森ごと消し飛ばせたんだから」
「ああ、知ってる。でも、それをしなかったカレンが一番偉いよ」
もしカレンが暴走していれば、アグニやレンまで巻き込んでいたかもしれない。
彼女が「我慢」を覚えたこと。それは、ノクティスの勝利以上に大きな成果だ。
「……ふん。調子いいこと言っちゃって」
カレンはそう言いながらも、空いている方の手で、俺の服の裾をキュッと摘んだ。
「……次は、私が守るから。あの影女なんかに、カイト君の隣は譲らない」
「ああ。頼むよ」
上目遣いで訴えるカレンの頭を、俺はポンポンと撫でた。
彼女の冷たい銀髪が、指の間をさらさらと流れる。
カレンは目を細め、猫のように俺の手に擦り寄ってきた。
――ガチャ。
「おーい、氷あったぞー……って、お邪魔だったか?」
タイミング悪く、レンが戻ってきた。
手には製氷皿を持っている。
「ッ! ……ち、違うわよ! 治療の一環!」
カレンは慌てて俺から離れ、すまし顔に戻った。
だが、耳まで真っ赤だ。
「ははは。仲が良いのはいいことだ。……さて、アグニも落ち着いたし、これからのことを話そうか」
レンがソファに座り、真剣な表情になる。
外の雨音は強くなる一方だ。
森は閉ざされ、助けは呼べない。
そして、あの透明な暗殺者は、まだこの雨の中に潜んでいるはずだ。
今夜は、長い夜になりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます