第32話:影 VS 影
金属音が響き渡り、火花が散った。
何もない空間で、見えない刃が「黒い槍」に防がれていた。
俺の足元の影が、まるで生き物のように蠢き、立体化していく。
その闇の中から、ゆらりと一人の少女が姿を現した。
「……遅いわよ、カイト君。もっと早く呼びなさい」
漆黒のゴシックドレスに身を包んだ、紫の瞳の少女。
『境界の魔女』ノクティスだ。
彼女は不満げに頬を膨らませながらも、その手には影で形成された大鎌を握っている。
「う、うわっ!? か、カイト! お前の影から女の子が出てきたぞ!?」
隣でレンが腰を抜かすような声を上げた。
当然の反応だ。普通の人なら心臓が止まる。
俺は冷や汗をかきながら叫んだ。
「説明は後だ! ノクティス、そいつを止めろ! 姿が見えないんだ!」
「分かってるわ。……影の中でコソコソしてるネズミなんて、私の庭に土足で入ってくるようなものよ」
ノクティスが指を鳴らす。
瞬間、周囲の森の影が一斉に波打った。
――『影縫い(シャドウ・バインド)』
ズズズズッ……!
地面の影が棘のように隆起し、無差別に空間を刺し貫く。
「……ッ!?」
何もない空間から、微かな呻き声が漏れた。
霧が揺らぐ。
ノクティスの瞳が鋭く光った。
「そこね」
彼女は大鎌を一閃させた。
ギャギィィンッ!!
再び金属音。
霧が晴れ、一瞬だけ敵の姿が浮かび上がった。
黒いタイトスーツに身を包み、顔を仮面で覆った小柄な人物。
『影の暗殺者』ゼファーだ。
「……チッ」
ゼファーは舌打ちし、再びバックステップで霧の中へ消えようとする。
だが、ノクティスは逃がさない。
「逃げる場所なんてないわよ。……この森の影は、全部私の味方だもの」
彼女が手をかざすと、木の枝の影、葉の影、俺たちの影、すべてがゼファーの足に絡みついた。
透明化していても、地面に落ちる「影」までは消せない。
影使いにとって、ステルスなど無意味だ。
「捕まえた」
ノクティスが笑みを浮かべ、追撃を加えようとした、その時。
――ヒュオッ!
ゼファーが自らの手首を切り裂くような勢いで、何かを投げつけた。
煙玉だ。
ただし、ただの煙ではない。魔力を撹乱する漆黒のガスが爆発的に広がる。
「げほっ、ごほっ……!?」
「視界が……!」
俺とアグニが咳き込む。
ノクティスも一瞬、影の制御を乱された。
「……引き際だけは一流ね」
煙が晴れた頃には、ゼファーの気配は完全に消えていた。
逃げられた。
だが、あの一瞬の攻防で、敵はこちらの戦力を警戒したはずだ。少なくとも、一方的に蹂躙される状況は脱した。
「……ふぅ。カイト君、怪我はない?」
ノクティスが鎌を消し、俺に振り返る。
俺は大きく息を吐き、頷いた。
「ああ、助かったよ。ありがとうノクティス」
「別に。……カイト君が死んだら、私が住む場所がなくなるから守っただけよ」
彼女はそっけなく言うが、その表情はまんざらでもなさそうだ。
「……ちょっと。いつまでイチャイチャしてるの?」
絶対零度の声が響いた。
カレンだ。
彼女は不機嫌そうにノクティスを睨みつけている。
「私のカイト君の影に住み着いてる害虫が、偉そうにしないでくれる? 今回は『貸し』にしておいてあげるけど」
「あら、女王様こそ。大雑把な魔法しか使えないから、こういう繊細な状況で役立たずだったんじゃない?」
「なんだと……?」
バチバチと火花が散る。
一難去ってまた一難だ。
「お、おいおい……。カイト、これは一体どうなってるんだ?」
レンがおずおずと割り込んでくる。
彼は目を丸くして、ノクティスとカレンを交互に見ていた。
「影から人が出るわ、カレンさんはキレてるわ……。俺、夢でも見てるのか?」
ごもっともな反応だ。
俺は頭をかき、苦しい言い訳をひねり出した。
「あー……紹介するよレン。こいつはノクティス。……俺の、その、遠い親戚みたいなもんで、ボディガードとして契約してるんだ」
「ボディガード? 影の中で?」
「……一種の家系能力なんだよ。深いことは気にしないでくれ」
「へえ……世界は広いな」
レンは「すげえな!」と笑って納得してくれた。
こいつの鈍感さというか、受容力の高さには本当に助けられる。
「それより大将……。傷が痛むぜ」
アグニが苦悶の声を漏らす。
左肩の傷は深く、血が止まっていない。
リュックの中のガンマも、「兄ちゃん……血の匂いがする……」と怯えている。
「一旦、退こう。このまま森にいるのは危険すぎる」
俺は決断した。
敵は一時撤退したが、まだ森の中に潜んでいる。
アグニの手当てをしつつ、安全なバンガローまで戻って立て直す必要がある。
俺たちは警戒を強めながら、霧の森を抜け出した。
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