第29話:霧の森、忍び寄る殺意
バスに揺られること3時間。
車窓の景色は、いつしか深い緑に覆われていた。
目的地である『
その名の通り、昼間だというのに乳白色の霧が立ち込めており、5メートル先も見通せない。
「うわぁ……なんか雰囲気あるな」
「ホラー映画のロケ地みたいだぜ」
バスを降りた生徒たちが、口々に不安そうな声を上げる。
俺もまた、肌にまとわりつくような湿気に不快感を覚えていた。
「……ねえ、カイト君」
バスから降りたカレンが、俺の袖をキュッと掴んだ。
「この森、嫌な感じがする。……魔力の『流れ』がおかしいわ」
「流れ?」
「ええ。自然な霧じゃない。誰かが意図的に結界を張って、外部からの干渉を遮断しているような……」
カレンの直感は鋭い。
俺は『英雄の器』を起動し、周囲をスキャンしようとした。
――ザザッ……!
視界にノイズが走る。
【測定不能】【ERROR】の文字が明滅する。
(……妨害されてる?)
俺の索敵能力が効かない。
この霧自体が、センサーを狂わせるジャミングの役割を果たしているのか。
理事長が「不審な影」と言っていたのは、これのことか。
「おいおい、そんなに警戒するなよカイト」
背後からレンが声をかけてきた。
彼は大きく伸びをして、深呼吸をしている。
「空気が美味いじゃないか。……絶好の『狩り』日和だとは思わないか?」
「狩り?」
「ああ、いや。オリエンテーリングの話だよ。ポイントを狩るっていうだろ?」
レンは屈託なく笑った。
変な言い回しだが、彼なりのジョークだろう。
「それより急ごうぜ。佐倉さんが呼んでる」
レンが指差した先では、佐倉委員長がバインダー片手に点呼をとっていた。
「1班、集合してください。部屋割りの鍵を渡します」
その声を聞いて、俺は猛烈な違和感を覚えた。
声が、あまりにも平坦すぎる。
佐倉といえば、入学当初、教室が凍りついた時に真っ先に俺に駆け寄ってきて、「大丈夫!? 怪我はない!?」と涙目で俺の腕にしがみついてきたような、感情豊かな女子だったはずだ。
あの時は彼女の距離感が近すぎて、カレンの嫉妬ゲージが爆発しそうになり、俺が慌てて引き剥がしたのを覚えている。
それなのに、今はどうだ。
目の前にカレンがいるのに、眉一つ動かさない。
まるで、人間としての「感情」のスイッチを切られたかのように。
「……はい、これがバンガローの鍵です。男子はA棟、女子はB棟。夜間の出歩きは禁止です」
「サンキュ、佐倉」
鍵を受け取ろうとした時、俺の指先が彼女の手に触れた。
ヒヤリとした。
まるで死体のように、体温が低い。
「……佐倉? 顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
「問題ありません。……任務を遂行します」
「任務?」
「……い、いえ。学級委員としての『職務』です。気にしないでください」
佐倉は機械的に首を振り、次の班の呼び出しに戻った。
あんなキャラだったか?
まるで何かに憑かれているような……。
ドサッ。
横でアグニが重そうなリュックを地面に置いた。
「ふぅ……重かった。大将、早く部屋に行こうぜ。ガンマの奴、酸欠で死にかけてるかもしれねェ」
「そうだな。とりあえず荷物を……」
その時だった。
ふと、視線を感じた。
森の奥でも、佐倉の方でもない。
もっと別の場所……まるで、「空の向こう」から見られているような感覚。
俺は思わず振り返った。
そこには、2号車のバスから降りてきた一人の少女が立っていた。
神楽(かぐら)緋月(ヒヅキ)。
色素の薄い髪に、白いワンピースのような私服。
彼女は木の陰に佇み、常に半分眠っているようなトロンとした瞳で、ぼんやりとこちらを見ていた。
いや。
彼女が見ていたのは、俺じゃない。
俺の「背後」にある、何もない空間だ。
「……? 神楽?」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと首を傾げ、薄い唇を動かした。
『――ふふ。始まったね』
声は聞こえなかったはずなのに、なぜか脳内に直接響いた気がした。
彼女はふわりと微笑むと、天使の羽のような軽やかさで、霧の中へと消えていった。
「……なんだ、あいつ」
不思議な奴だ。
保健室の主だとは聞いていたが、あんなに浮世離れした雰囲気だったか?
「……ッ、カイト! 伏せろ!」
思考を遮ったのは、アグニの鋭い叫び声だった。
ヒュッ!!
風を切る音がして、俺の頬を何かが掠めた。
直後、背後の木の幹に、一本の『黒いナイフ』が突き刺さっていた。
「な……!?」
殺気がない。
『英雄の器』が反応しなかった。
完全に気配を消した一撃。
俺は戦慄しながら森を見た。
霧が濃くなる。
誰もいない。だが、間違いなく「敵」がいる。
「カイト! 大丈夫か!?」
レンが駆け寄ってきて、俺の肩を掴んだ。
彼はナイフが刺さった木を見上げると、呆れたようにため息をついた。
「おいおい、危ないなぁ。……風で枝が折れたのか? それとも誰かの悪戯か?」
「悪戯で済むかよ、これ……」
俺は冷や汗を拭った。
レンは「気にしすぎだって」と笑い飛ばして俺の背中をバンバン叩くが、俺の震えは止まらなかった。
見えない暗殺者。
感情を失った委員長。
空間を見つめる不思議な少女。
この林間学校は、何かがおかしい。
俺たちは、知らず知らずのうちに「誰かの盤面」の上に乗せられてしまったのかもしれない。
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