第30話:肝試しと、消えた生徒
夜。
霧幻の森は、昼間以上に濃い乳白色の闇に包まれていた。
視界は最悪。ライトの光すら数メートル先で霧に吸い込まれてしまう。
そんな中、林間学校の恒例行事『肝試し』が決行されることになった。
「えー、それでは1班から順に出発してください。ルート上のチェックポイントでスタンプを押し、ゴールを目指すこと」
スタート地点の広場で、佐倉委員長が淡々と説明する。
その声には抑揚がなく、まるでテープレコーダーを再生しているようだ。
やはり、おかしい。
いつもなら「怖いです……」とか言い出しそうな雰囲気なのに、彼女は暗闇を前にしても瞬き一つしていない。
まあ、委員長としての務めを果たすためか?
「……行くぞ、カイト」
「おう」
俺たち1班(俺、カレン、アグニ、レン)は、霧の森へと足を踏み入れた。
アグニは背中のリュック(幼児入り)を大事そうに抱えながら、周囲を警戒している。
「おい大将。……なんか気配が変だぞ」
「ああ、分かってる」
森に入った瞬間、空気が変わった。
静かすぎる。虫の声一つしない。
昼間に感じた「見えない視線」が、今は四方八方から俺たちを取り囲んでいる気がする。
「きゃっ! 怖い……!」
カレンがわざとらしく悲鳴を上げ、俺の腕にギュッとしがみついてきた。
「カイト君、離れないでね。……もし離れたら、この森ごと凍らせて更地にしちゃうから」
「それは別の意味で怖いからやめろ」
カレンの体温は冷たいが、今はそれが少し心強い。
彼女の絶対零度の結界がある限り、生半可な敵は近づけないはずだ。
「ははは。カレンさんはカイトが好きだなぁ」
レンが懐中電灯を揺らしながら、能天気に笑った。
こいつは本当に肝が据わっているというか、鈍感というか。
この異様な雰囲気を感じていないのだろうか?
「レン、お前怖くないのか?」
「ん? まあ、お化けより怖いものが隣にいるしな」
レンはチラリとカレンを見て(すぐに睨まれて視線を逸らした)、肩をすくめた。
「それに、俺たち4人がいれば無敵だろ。カイトもいるし、アグニも喧嘩強いし」
「……買いかぶりすぎだ」
そんな軽口を叩きながら、俺たちは森の奥へと進んでいった。
異変が起きたのは、第1チェックポイントを過ぎたあたりだった。
「……あれ?」
最後尾を歩いていたアグニが、ふと足を止めた。
「どうした、アグニ?」
「いや……後ろの班、遅くねェか?」
肝試しは5分間隔で出発している。
俺たちのすぐ後ろには、2班(男子4人組)がいるはずだった。
話し声や、草を踏む音が聞こえてもいいはずだ。
だが――。
シーン……。
背後の闇からは、何の音も聞こえない。
ただ、濃密な霧が渦巻いているだけだ。
「……道に迷ったのかな」
「あるいは、ビビってリタイアしたか?」
レンが楽観的な意見を言う。
だが、俺の『英雄の器』は、嫌な予感を告げていた。
――――――――――――――
【警告:生体反応消失】
■ 対象エリア:後方50m
■ 状態:反応なし(ロスト)
――――――――――――――
消えた?
さっきまで微かに感じていた後続の気配が、プツリと途切れた。
悲鳴も、争う音もなく。
まるで、霧に溶けるように。
「……ちょっと見てくる」
俺は来た道を引き返そうとした。
その時。
ガサッ……。
すぐ近くの藪が揺れた。
全員が緊張して身構える。
出てきたのは――。
「……ふあぁ。眠い……」
白いワンピース姿の少女。
神楽緋月だった。
彼女は幽霊のようにふらふらと、藪の中から現れた。
「神楽!? お前、一人か? 班はどうしたんだ?」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げ、トロンとした瞳で俺の背後を見た。
「んー……。迷子になっちゃった」
「迷子って……こんなところで?」
「うん。でも大丈夫。……『彼ら』が見てるから」
神楽は虚空に向かって、またニコリと微笑んだ。
ゾッとするような美しさと、不気味さ。
「……カイト君。この子、何か変よ」
カレンが警戒を露わにする。
その時、神楽が俺の耳元で、そっと囁いた。
「(気をつけて。……『役者』が一人、減らされたよ)」
「え?」
俺が聞き返そうとした瞬間。
森の奥から、ついに「音」がした。
ズルッ……ズルズルッ……。
何か重いものを引きずるような音。
霧の向こうから、誰かが歩いてくる。
現れたのは、2班の男子生徒の一人だった。
だが、様子がおかしい。
目は虚ろで、口からは泡を吹き、夢遊病のようにふらふらと歩いている。
そして――彼の背中には、真っ黒な『短剣』が深々と突き刺さっていた。
「……あ、あ……」
彼は俺たちの方に手を伸ばし、糸が切れたようにドサリと倒れ込んだ。
「ひっ!?」
「おい! しっかりしろ!」
俺たちが駆け寄る。
だが、霧はさらに濃くなり、俺たちの視界を白く塗りつぶしていく。
見えない。
敵がどこにいるのか分からない。
ただ、確かなことが一つある。
この肝試しは、ただのイベントじゃない。
俺たちを「狩る」ための、処刑場だ。
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