第25話:招待状と、整わない準備

月曜日の放課後。

 俺の足取りは、鉛のように重かった。


 目的地は学園の最上階、理事長室。

 カレンやアグニたちは、今日は先に寮へ帰らせた。俺一人で行くべきだと判断したからだ。

 アグニは「大将、万が一の時は呼べよ! 壁ぶち破って助けに行くからな!」と言ってくれたし、カレンは「帰ってきたら膝枕してあげる」と珍しく殊勝なことを言っていた。


 だが、俺の胃痛は治まらない。

 相手はこの学園の支配者、神代レイ。

 地下鉄事故の件で、どこまでバレているのか。ガンマの隠蔽は見抜かれているのか。

 一歩間違えれば、俺たちの平穏はここで終わる。


「……はぁ。気が重い」


 廊下の窓から夕焼けを見つめ、俺は深いため息をついた。

 その時だ。


「――よお。随分と死にそうな顔してるじゃないか、カイト」


 背後から、聞き慣れた声が掛かった。

 振り返ると、そこには気怠げに鞄を肩にかけた男子生徒が立っていた。

 少し癖のある黒髪に、眠そうな瞳。

 どこにでもいそうな、平凡なクラスメイト。


「……レン、か」


 俺の表情が、自然と緩んだ。

 彼の名はレン。入学当初からの付き合いで、俺にとって唯一無二の親友だ。

 カレンやアグニ、レオナードといった「人外」みたいなやつばかりに囲まれている俺にとって、彼のような「普通の人間」と話す時間は、砂漠のオアシスのようなものだ。


「どうした? またカレンさんに絞られたか?」

「いや、今日はもっと胃が痛い案件だよ。……これから理事長室に呼び出しなんだ」

「理事長室?」


 レンは少し驚いたように眉を上げたが、すぐにニヤリと笑った。


「へえ。ついに悪事がバレて退学か? 寂しくなるな」

「縁起でもないこと言うなよ。……ちょっと、心当たりがないわけでもないけどさ」

「あるのかよ」


 レンが可笑しそうに笑う。

 その屈託のない笑顔を見ると、張り詰めていた緊張が少しだけ解けていく気がした。


「……まあ、大丈夫だろ。お前は昔から、悪運だけは強いからな」


 レンが俺の肩をポンと叩いた。


「どんなに追い詰められても、ギリギリのところで生き残る。……まるで、誰かがシナリオでも書いているみたいにな」

「なんだそれ。買い被りすぎだ」

「事実は小説より奇なり、ってね」


 レンは窓の外に視線を移し、独り言のように呟いた。


「行ってこいよ。……案外、理事長も優しい人かもしれないぜ? 話せば分かるとか、さ」

「そう願いたいよ。……ありがとな、レン。少し気が楽になった」


 俺が礼を言うと、彼は「おう」と軽く手を振って、廊下の向こうへと歩いていった。

 その背中を見送りながら、俺は改めて思った。

 やっぱり、持つべきものは友だ。

 彼のような普通の日常を守るためにも、俺は頑張らなきゃいけない。


 俺は頬を両手で叩き、気合を入れ直した。

 目指すは最上階。

 待っているのは、この学園の理事長だ。


                ◇


 重厚なマホガニーの扉の前に立つ。

 俺は大きく深呼吸をし、震える手でノックをした。


 コン、コン。


「――入りたまえ」


 中から響いたのは、柔らかく、それでいて絶対的な響きを持つ美声だった。

 俺はドアノブを回し、その扉を開けた。


 ――【第1章・完】

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