第12話:硝子の平和、あるいは地下からの足音

 非常ベルの音が、遠くで鳴り響いていた。


 俺たちは学校を抜け出し、タクシーを飛ばして現場近くの封鎖線までやってきた。

 大江戸線のとある駅周辺は、既に警察と消防によって厳重に封鎖されている。


「……酷ェな。こりゃ事故じゃねェ、災害だ」


 隣でアグニが低い声を漏らした。

 彼の言う通りだ。駅の入り口があったはずの場所は巨大なすりばち状に陥没し、アスファルトが飴細工のように捻じ曲がっている。

 野次馬たちの悲鳴、怒号、サイレンの音。


 俺の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。

 ――『地下鉄崩落事故。死者・行方不明者数千名』。

 ――原因不明のまま処理されたその悲劇の正体が、たった「一匹」の捕食活動だったことを、俺だけが知っている。


「カイト君。警察が邪魔で入れないわ」


 カレンがつまらなそうに封鎖テープを指差した。

 彼女にとって、数千人の被害などどうでもいいことだ。彼女の世界には俺しかいない。


「強行突破する? 全員凍らせれば3秒で通れるけど」

「燃やして煙幕張るか? 大将の命令なら派手にやるぜ」

「どっちも却下だ。……隠密で行くぞ」


 俺は二人を制し、アグニに視線を向けた。


「アグニ。匂いの元は?」

「あそこの換気口だ。……凄まじく濃いのが漂ってきやがる。腐ったドブと、血と、鉄の匂いだ」


 アグニが指差した雑居ビルの裏手。業務用のダクトがひしゃげている場所があった。

 あそこなら地下へ直結しているはずだ。


「よし、行くぞ。……カレン、俺たち全員に『認識阻害』の魔法をかけてくれ」

「えー。魔力の無駄遣い……」

「頼む。デートの続きだと思って」

「……! 分かった、全力でやる!」


 チョロい魔王様のおかげで、俺たちは誰にも気付かれることなく封鎖線を突破し、暗闇のダクトへと侵入した。


                ◇


 地下空間は、異様な湿気に満ちていた。

 配管から水が滴り落ち、足元には瓦礫が散乱している。

 照明は落ちており、カレンが指先に灯した小さな氷の光だけが頼りだ。


 進むにつれて、奇妙な「音」が聞こえてきた。


 ――バキッ。ゴリッ。グチャ、ムシャ……。


 岩を砕き、鉄を噛み砕く音。

 そして時折聞こえる、赤ん坊の泣き声のような呻き。


「……おい、大将」


 先頭を歩いていたアグニが足を止め、鼻を覆った。

 あの戦闘狂が、青ざめた顔で吐き気を堪えている。


「引き返さねェか? こいつは……『喧嘩』じゃねェ」

「……ああ」

「ただの『食事』だ。……強さとか弱さとか関係ねェ。ただただ、ひたすらに食い散らかしてやがる」


 アグニの本能が恐怖しているのだ。

 戦いを楽しむ彼にとって、相手を「餌」としか見ない存在は理解の範疇を超えている。


 俺は震える手を握りしめ、自分に言い聞かせるように頷いた。


「だからこそ、止めるんだ。……これ以上、食わせるわけにはいかない」


 俺たちは崩れたトンネルの先、かつてホームだった場所へと出た。

 そこには、地獄があった。


 電車が、ひっくり返っていた。

 ステンレスの車両が、まるで食いかけのトウモロコシのように無惨に千切られている。

 そして、その中央に「それ」はいた。


 巨体。

 身長は5メートルを超えているだろうか。

 ぶよぶよとした肉塊のような身体。皮膚は鋼鉄のように硬質化し、背中からは水晶のような突起が無数に生えている。

 顔には目も鼻もなく、あるのは身体の半分を占める巨大な「口」だけ。


「う……あ……ぅぅ……」


 怪物は泣いていた。

 涙を流しながら、鉄骨を、コンクリートを、そして車両の一部を、巨大な手で掴んで口に放り込んでいる。


 ――バキンッ! グチャッ!


 俺は『英雄の器』を発動し、震える視界でステータスを凝視した。


 ――――――――――――――

 【対象:???(個体名:ギガント)】

 ■ 序列:七つの大厄災・第五位

 ■ 状態:極度の飢餓、暴食

 ■ 思考ログ:

 『おなかすいた』

 『たべなきゃ』

 『石はまずい。鉄は硬い。もっと柔らかくて、甘いものが食べたい』

 『……魔力が食べたい』

 ――――――――――――――


 その瞬間。

 怪物の動きがピタリと止まった。

 目はないはずなのに、その巨大な口が、ゆっくりとこちらを向く。

 いや、正確には俺の隣――膨大な魔力を放つ「極上の餌」を向いたのだ。


「……あら?」


 カレンが首を傾げる。


「なあに、あの醜いブタ。……私をそんな目で見ていいのは、カイト君だけよ?」


 カレンの身体から冷気が噴き出す。

 それが合図だった。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」


 ギガントが咆哮した。

 空腹の赤子がミルクを見つけたような、純粋で残酷な歓喜の叫び。

 巨体が跳躍する。

 数百キロはある瓦礫を蹴散らし、砲弾のような速度で俺たちに突っ込んできた。


「来るぞ! 迎撃ッ!」


 俺の叫びと同時に、地下空間でのレイドバトルが幕を開けた。

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