第5話:悪夢の体温

 深夜二時。

 世界が寝静まる丑三つ時、俺は凍えるような寒さで目を覚ました。


「……寒い」


 客用寝室のベッドから身を起こす。

 空調は切っているはずなのに、吐く息が白い。

 嫌な予感がして、俺は隣を見た。


「……ん……ぅ……」


 そこには、当然のようにカレンがいた。

 純白のネグリジェを纏った彼女が、俺の布団の中に潜り込み、俺のシャツの裾を力一杯握りしめて眠っている。


 鍵はかけたはずだ。だが、この屋敷の主である彼女に、物理的な錠前など何の意味も持たないのだろう。

 俺はため息をつきつつ、彼女の寝顔を覗き込んだ。


 昼間のクールな鉄仮面とは違う、年相応のあどけない少女の顔。

 だが、その眉間には深い皺が寄せられ、脂汗が滲んでいる。

 うなされているようだ。


「……行かないで……カイト、君……」

「……ごめんなさい……私が、弱いから……」


 悲痛な寝言。

 俺は『英雄の器』を発動し、彼女の深層心理を覗いた。


 ――――――――――――――

 【対象:天堂カレン】

 ■ 現在の状態:睡眠(悪夢)

 ■ 脳内思考ログ(記憶のフラッシュバック):

 『カイト君の腕が千切れた。私の氷魔法の巻き添えで』

 『どうして? 守るって誓ったのに』

 『血が止まらない。温かい。嫌だ、冷たくならないで』

 『やり直さなきゃ。次の世界へ。次こそは完璧に。間違えないように』

 『……助けて。誰か、私を止めて』

 ――――――――――――――


 (……なんだ、この夢は)


 俺は背筋が粟立つのを感じた。

 単なる悪夢にしては、描写が具体的すぎる。

 「やり直す」「次の世界」という言葉。まるで、彼女が何度も俺の死を経験しているかのような……。


 これが、彼女が俺に執着する理由なのか?

 俺の知らないどこかで、俺は彼女にこれほどのトラウマを植え付けてしまったのか?


「……カレン」


 俺は無意識に、震える彼女の頭を撫でていた。

 冷たい銀髪の感触。

 すると、カレンの呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 ――――――――――――――

 ■ 脳内思考ログ:

 『……温かい』

 『カイト君の手だ。生きてる。ここにいる』

 『……愛してる。今度こそ、絶対に』

 ――――――――――――――


 苦悶の表情が消え、安らかな寝息へと変わる。

 俺は複雑な思いで天井を見上げた。

 彼女を魔王にしないために「攻略」するつもりだった。

 だが、攻略が必要なのは彼女だけじゃないのかもしれない。

 彼女をここまで追い詰めた「何か」から、俺は彼女を救わなければならない気がした。


                ◇


 翌朝。

 重苦しい空気を切り裂いたのは、リビングのテレビから流れる緊急警報だった。


『――緊急放送です。昨日火災が発生した第4工業地区にて、正体不明の覚醒者が警察部隊と交戦中』

『警察は「災害級」と認定し、周辺住民に避難命令を――』


 画面には、炎上するパトカーと、その中心で狂ったように笑う男の姿が映し出されていた。

 逆立った赤い髪。学ランを崩したような不良ファッション。

 『紅蓮の皇帝』アグニ。


「ヒャハハハ! 燃えろ燃えろ! 俺の火を消せる奴はいねぇのかよォ!?」


 画面越しでも伝わる熱波。

 未来の記憶と合致する。奴は「戦う相手」を求めて暴走している戦闘狂だ。

 放置すれば、被害は市街地にまで拡大する。


「……朝から不愉快ね」


 エプロン姿で朝食(完璧な和食だった)を運んできたカレンが、氷点下の声で言った。

 彼女はテレビのリモコンを手に取り、電源を消そうとする。


「カイト君、見ちゃダメ。あんな野蛮なものを見ると、目に毒よ」

「待ってくれ、カレン」


 俺は彼女の手を止めた。


「あいつを止めに行きたい」

「……は?」


 カレンの動きが止まる。

 部屋の気温が一気に下がり、窓ガラスにピキピキと霜が走る。


「正気? あんな化け物のところに、貴方を行かせるわけないでしょ」

「俺が行くんじゃない。俺たちが行くんだ」


 俺はカレンの目を真っ直ぐに見据えた。

 彼女の過保護さを突破するには、論理ではなく「感情」に訴えるしかない。


「あいつを放っておけば、いずれこの街にも被害が出る。俺たちの生活も脅かされる」

「私がここを守るわ。結界の中で、一生暮らせばいい」

「俺は……君と、外で笑って過ごしたいんだ」


 俺は賭けに出た。

 彼女の最も弱い部分を突く。


「君の力があれば、あんな奴すぐに止められるだろ? 君は世界で一番強いんだから」

「ッ……」


 カレンが言葉に詰まる。

 ステータス画面には『カイト君に頼られた』『世界一って言われた』『私なら守れる』という文字が踊っている。


「……条件があるわ」


 カレンはため息をつき、渋々といった様子で指を一本立てた。


「私の背中から離れないこと。絶対に前に出ないこと。……もし約束を破ったら」


 彼女の瞳が、妖しく赤く輝いた。


「一生、氷の檻に閉じ込めて飼うから。……いいわね?」


 冗談に聞こえないのが彼女の恐ろしいところだ。

 だが、今はそれでもいい。

 俺たちは、最初の大厄災を止めるために「氷の城」を出る決意を固めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る