第3話:氷の女王の融点

 俺たちは無人の生徒会室に逃げ込んだ。

 ここなら誰も来ないはずだ。俺は乱れた息を整えながら、握っていたカレンの手を離した。


「……ふぅ。ここまで来れば大丈夫か」


 俺が手を離した瞬間。

 カレンが、まるで生命線を断たれたかのような、悲痛な顔をしたのを俺は見逃さなかった。

 彼女は自分の手を名残惜しそうに見つめ、それからギュッと胸元で握りしめる。


 俺は恐る恐る、ステータス画面を確認する。


 ――――――――――――――

 【対象:天堂カレン】

 ■ 現在の感情:喪失感、渇望

 ■ 脳内思考ログ:

 『冷たい。カイト君の熱が消えちゃった』

 『あと5秒、いや1秒でいいから触れていたかった』

 『……ううん、贅沢言っちゃダメ。カイト君が「そこにいる」だけで、もう奇跡なんだから』

 ――――――――――――――


 (……なんだろう、この重みは)


 ただの手繋ぎに対する感想にしては、言葉の選び方が切実すぎる。

 まるで、何年も会えなかった恋人に再会したかのような……。

 まあ、好感度がカンストしている彼女にとっては、それくらい重大事なのかもしれない。


 俺は気を取り直し、努めて真剣な表情を作る。

 ここが正念場だ。彼女との関係性を再定義し、今後の「協力体制」を作らなければならない。


「天堂さん。さっきは助けてくれてありがとう。君がいなかったら、みんな死んでた」

「……当然の処置をしただけよ。騒がしいのは嫌いだから」


 カレンはいつもの「クールな仮面」を被り直して答えた。

 だが、その耳が赤いのは隠せていない。


「それでも、俺は君に救われた。だから……これからは、俺が君の力になりたい」


 俺は一歩踏み出す。

 未来で彼女を孤独にさせないために。魔王化させないために。


「俺と一緒にいてくれないか? 君のその強すぎる力を、俺が制御するよ」


 これは「共闘」の申し出だ。

 だが、カレンの脳内では、またしても極端な翻訳がされていたらしい。


 ボォォォォンッ!!

 カレンの顔が一瞬で林檎のように赤くなり、ステータス画面がバグったように乱舞する。


 ――――――――――――――

 ■ 脳内思考ログ:

 『一緒にいて=プロポーズ!?』

 『制御する=私を自分のモノにしたい!?』

 『はい! 喜んで! 貴方の所有物にしてください!』

 『ああ、神様。本当に……諦めないでよかった……』

 ――――――――――――――


 最後の一文に形容しがたい重みを感じたが、とりあえず承諾は取れたようだ。

 俺はカレンが失神しないかヒヤヒヤしながら、今後の予定を立てることにした。


                ◇


 放課後。

 ダンジョンブレイクの影響で学校は早退となり、俺たちは並んで帰路についてもた。

 夕暮れの商店街。

 カレンは俺の半歩後ろを歩いている。

 先ほどまでのデレデレ具合とは打って変わって、彼女は周囲を油断なく警戒していた。


 まるで、見えない敵から俺を守る騎士のように。


「(……ん?)」


 俺の『英雄の器』が、微かな違和感を捉えた。

 殺気ではない。もっと無機質な、世界の「歪み」のような悪寒。

 ――死線予知。


 頭上だ。

 建設中のビルの足場から、数本の鉄骨がバランスを崩し、俺の頭上へと落下してくるのが見えた。

 避けるか? 間に合うか?


 俺が反応するよりも早く。

 背後から、凄まじい冷気が吹き荒れた。


「――させないッ!!」


 カレンの悲痛な叫び声。

 ドォォォォン!!

 巨大な氷の槍が地面から突き出し、落下してくる鉄骨を空中で粉砕した。

 鉄屑と氷の破片が、キラキラと雪のように舞い散る。


 あまりにも速すぎる反応速度。

 まるで「こうなることを知っていた」かのような迎撃だった。


「はぁ……はぁ……ッ」


 カレンは肩で息をしていた。

 俺が礼を言おうと振り返った瞬間、言葉が喉に詰まった。

 彼女は、泣きそうなほどに顔を歪ませて、何もない虚空を睨みつけていたからだ。


 ――――――――――――――

 ■ 脳内思考ログ:

 『ふざけないで。ふざけないでよ』

 『やっと会えたのに。やっと触れたのに』

 『「運命」だか何だか知らないけど……私のカイト君を奪おうとするなら』

 『神様だって、殺してやる』

 ――――――――――――――


 (……うわぁ)


 俺は呆気にとられた。

 「運命」とか「神様」とか、スケールのデカい言葉が出ているが、要するに「偶然の事故ですら許せないほど、俺を過保護に守ろうとしている」ということだろう。

 ありがたいが、その殺意の向け先が天に向いているのが、彼女のヤンデレ具合を際立たせていて少し怖い。


「……カレン?」


 俺が声をかけると、彼女はハッとして表情を戻し、駆け寄ってきた。

 俺の身体をまさぐるように確認する。


「怪我はない、カイト君? どこも痛くない?」

「あ、ああ。助かったよ。凄い反応速度だったな」

「……ええ。虫の知らせがあったの」


 カレンは安堵のため息をつくと、強い力で俺の手を握りしめた。

 その手は小刻みに震えている。

 よほど、目の前で俺が死にかけるのが怖かったのだろう。


「帰ろう、カイト君。私の家へ」


 カレンが俺を見上げて言った。


「今日はもう、一歩も外に出さない。……私の目の届く場所にいて」


 それは懇願だった。

 拒否すれば泣き出しそうな、あるいは俺を氷漬けにしてでも連れ帰りそうな、鬼気迫る瞳。

 

 俺に拒否権はないらしい。

 俺は、彼女の震える手を握り返すことしかできなかった。

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