3
男は懐から小さな器具を取り出した。
銀色の細い棒。先端には小さな水晶のような石が嵌め込まれている。
「魂源測定器です。この子の魂源量を計測させていただきたい」
「好きにしろ」
ヴァルハルトが頷いた。
男は器具をゼノンの胸元にかざした。水晶が淡い光を放ち始める。
その光は——徐々に強さを増していった。
男の目が見開かれた。
「これは……」
「どうした」
「規格外です。生後六ヶ月の乳児が持つ魂源量ではない。成人の騎士——いや、それ以上かもしれません」
ヴァルハルトの口元が、かすかに歪んだ。笑みとも取れる、冷たい表情の変化。
「やはり、成功だったか」
「成功どころではありません、公爵。これほどの素体は——千年の歴史の中でも類を見ないでしょう」
素体。
その言葉が、ゼノンの心に刻まれた。
『聞いたか』
アルスが言った。
『素体、と言った。お前は人間ではなく、素体として扱われている。道具として、兵器として』
ゼノンは黙って、二人の会話を聞いていた。
生後六ヶ月の赤子に、言葉を発する術はない。だが、聞くことはできる。理解することもできる。
そして——記憶することも。
---
「しかし、問題もあります」
男が器具を懐に戻しながら言った。
「魂源量が多すぎる。このまま成長すれば、制御が困難になる可能性がある」
「制御?」
「魂源は、ある種の精神エネルギーです。これほどの量を持つ者は——往々にして、暴走する。千年前の『原初の王』がその典型例です」
男の声が、かすかに震えていた。
「あの存在も、最初は制御できていた。だが、力が大きくなりすぎて——結果、世界の半分を滅ぼした」
「知っている」
ヴァルハルトの声は冷静だった。
「だからこそ、私は対策を講じている」
「対策、とは」
「幼少期からの訓練だ。魂源の制御法、感情の抑制法——全てを叩き込む。この子が暴走する前に、完全な制御を身につけさせる」
「それで十分でしょうか」
「十分かどうかは、やってみなければ分からん。だが——やらねば話にならん」
ヴァルハルトがゼノンを見下ろした。
その目には、期待があった。だがそれは、息子への期待ではなかった。
道具への期待。
完璧な兵器が完成することへの、冷徹な期待。
『分かるか、ゼノン』
アルスが囁いた。
『この男は——父親は、お前を愛していない。お前を利用することしか考えていない。お前がどれだけ成長しても、どれだけ強くなっても——それは変わらない』
分かっている。
ゼノンは内心で答えた。
愛というものを知らない彼にとって、父の態度は特に異常には感じられなかった。これが「普通」なのだと、無意識に受け入れていた。
だが——アルスの言葉は、記憶に刻まれた。
父は、自分を愛していない。
その事実を、ゼノンは静かに受け止めた。
---
「では、定期的な検査をお願いしたい」
ヴァルハルトが言った。
「三ヶ月に一度、この子の状態を確認してくれ。異常があれば、すぐに報告しろ」
「承知しました。報酬は——」
「金に糸目はつけない。必要なものがあれば、全て用意する」
男の目が、貪欲に輝いた。
「それは心強い。では、早速——次回の検査は三ヶ月後ということで」
「ああ。ラルフに案内させる」
ヴァルハルトが手を振ると、扉の外で待機していた執事が姿を現した。
銀髪の、痩身の男。ラルフ・ヴェルナー。アルカディス家に長年仕える執事長である。
「お客様をお送りしろ」
「かしこまりました」
ラルフが一礼し、白衣の男を連れて退室した。
部屋には、ヴァルハルトとゼノンだけが残された。
---
沈黙が流れた。
ヴァルハルトはゼノンを見下ろしていた。その目は相変わらず冷たく、感情の色が見えない。
「お前は、全て聞いていたな」
父が言った。
ゼノンは答えなかった。答える術がないからだ。
だが、その目は——父を真っ直ぐに見つめていた。
「その目だ」
ヴァルハルトが呟いた。
「生まれた時から、その目をしていた。泣かず、笑わず、ただ見つめる目。普通の赤子ではあり得ない目だ」
父が一歩近づいた。
「お前には期待している、ゼノン。お前は私の——アルカディス家の悲願を叶える存在だ」
悲願。
その言葉の意味を、ゼノンはまだ知らなかった。
だが、父の声には——異様な熱がこもっていた。普段の冷たさとは相反する、焼けつくような執念。
「強くなれ。誰よりも。何よりも。そして——」
父の目が、暗く燃えた。
「——全てを喰らい尽くせ」
その言葉を残して、父は部屋を出て行った。
扉が閉まる。足音が遠ざかる。やがて、静寂だけが残った。
---
『全てを喰らい尽くせ、か』
アルスの声が響いた。
『大層な期待だな。だが、あの男の期待に応える必要はない。お前はお前の意志で生きればいい』
ゼノンは天井を見つめていた。
父の言葉が、頭の中で反響している。
全てを喰らい尽くせ。
その言葉には、何か——惹かれるものがあった。
喰らう。蓄える。強くなる。
それが自分の存在意義なのだとすれば——それは、悪くないことのように思えた。
『おや』
アルスが驚いたように言った。
『今、何かを感じたな。微かだが——感情の萌芽のようなものを』
感情の萌芽。
ゼノンには分からなかった。何も感じていないと思っていた。だが——確かに、何かが動いた気がする。
『興味、かもしれないな』
アルスが言った。
『お前は「喰らう」ことに興味を持った。自分の力に、可能性に——好奇心を抱いた』
好奇心。
それが感情の一種なのだとすれば——自分は完全に空っぽではないのかもしれない。
『そうだ。お前は完全な虚無ではない。極めて薄いが、感情の種はある。それがいつか芽吹くかどうかは——これからの経験次第だ』
ゼノンは静かに目を閉じた。
まだ何も分からない。何も感じられない。
だが——いつか分かる日が来る。
いつか、感じられる日が来る。
その日まで——生きろ。成長しろ。そして、喰らえ。
父の言葉と、兄の導きが、空虚な心に刻まれていく。
生後六ヶ月。
ゼノン・アルカディスの物語は、まだ始まったばかりだった。
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