第6話 土曜日の一乗寺、夕方六時は“戦争の二周目”
夕方十八時。
一乗寺の空が、ほんのりオレンジに染まり始める頃。
観光客が「そろそろ帰ろか」と言い出す時間帯――
ラーメン屋カブキモノの前は、逆に人が増える。
「……なんで増えるん」
暖簾の内側から、まつが外を見て呟いた。
行列は、昼より長い。
「土曜の夕方はな、みんな“今日は食うた”っていう達成感が欲しなるんや」
たけ子が笑いながら伝票を揃える。
笑顔やけど、手は一切止まらん。
「達成感、ラーメンで得るもんなん?」
水を運びながら、うめが首を傾げる。小六の疑問は、だいたい正しい。
「得るんや。ここ一乗寺やで」
オーダーを取って戻ってきたさくらが、即答する。
中一になって、すっかり“店の顔”や。
カウンター奥。
慶三は寸胴の前に立ち、今日も黙って湯気とにらみ合っている。
この人にとって、寸胴は生き物や。
一乗寺ラーメン戦争。
夕方は、第二ラウンド。
「いらっしゃいませー!」
扉が開いた瞬間、空気がわずかに変わった。
「……今日は、まつちゃんおるんや!」
常連中の常連が声を上げる。
でかい声。でもこの店では、それが合図になる。
「ほな、日替わりと」
その一言で、店内の数人がピクリと反応した。
「日替わり?」 「え、そんなのあんの?」 「裏の上、ってこと?」
一般客がざわつく。
常連ですら、目を丸くしている。
肘をついた常連中の常連が、得意げに言った。
「そらそうや。まつちゃんおる日やし」
「いや偉そうに言うな」
まつが即ツッコむ。
「指定されてへん人は、黙ってラーメン食うのが礼儀やで」 「出た、京都の圧」 「圧ちゃう。文化や」
さらっと言い切る。
たけ子が、一般客に向けて柔らかく補足する。
「日替わり言うても、毎日あるもんちゃうんよ。今日は“まつの日”やねん」
「まつの日……?」 「祝日?」
観光っぽい兄ちゃんが小声で言うと、うめが真顔で返した。
「祝日みたいなもんやで。ラッキーデイ」
「小六で何学んでんねん」
まつは奥の準備台を見る。
出すのは二十食。
それ以上は、回転が死ぬ。店が死ぬ。家族が死ぬ。
「よし、いくで」
まつが言うと、慶三が一回だけ頷いた。
それで十分や。
本日の まつの日替わり(限定20)
※慶三が首を縦に振った日だけ
・白味噌ラーメン(まつ手打ち麺)
・白味噌炒飯
※セットのみ
「白味噌ラーメンて……京都っぽ」 「せやろ」
まつが、にやっと笑う。
「白味噌は甘いんちゃう。扱いが難しい。温度上げすぎたら香り飛ぶし、煮立てたら角立つ。火加減で、料理人の人格出る」
「人格……ラーメンで出るん?」
一般客が一瞬引く。
「出る」
慶三が、ぼそっと言った。
一瞬、静まる。
父ちゃんが喋った。
「父ちゃん、喋ったらスープびっくりするで」 「黙れ」
短い。通常運転。
麺を切る音が、厨房に小気味よく響く。
湯気が柔らかい。
季節は春やのに、京都の冬みたいな匂いがする。
「……これ、店で出してええやつ?」 「ええから黙って食べ」
常連中の常連がまたドヤる。
「ドヤるな。それお前の手柄ちゃう」
秒速で潰す。
出てきた丼を前に、店内の口数が一気に減る。
うまい時ほど、京都は黙る。
「あの……僕も日替わり……」 「無理」
まつ、即答。
「二十食限定。今日は戦争や。公平は“普段のラーメン”にある」
兄ちゃん、ぐうの音も出ん。
その時、扉が開いた。
「……ただいま」
かすれた声。
利家や。
練習帰り。
髪は濡れ、肩は落ち、足取りはゾンビ。
身長190のゾンビは、迫力がある。
「利家!?」 「走りすぎた……」
まつは一瞬で観察する。
目の焦点、呼吸、汗の質。
(脱水ぎみ。塩分いる。糖もいる。胃は……まだ動く)
(――ほんま、無茶しよる)
「座れ。水。ゆっくり」
「はい……監督」
常連中の常連が、無言で席を詰めた。
まつは、日替わり最後の一食を、利家の前に置く。
「今日のん、食べ」
利家は丼を見て、目を丸くする。
「……白味噌?」 「手打ち麺。白味噌炒飯付き」 「うまそう」 「うまいに決まってる。うちが作った」
ドヤ。
利家は震える手で箸を持ち、一口すすった。
「……ああ……」
「どう」 「……走れるやつや……」
店内に、静かな笑いが広がる。
「そらそうや」
常連がぽつり。
「あいつは、走るために食う男やし」
「ドヤるな言うてるやろ」
まつが言う。
たけ子が笑い、慶三が黙って頷く。
さくらとうめが走り回る。
外の行列は、まだ伸びている。
一乗寺ラーメン戦争。
今日も通常運転。
ただし――
それを知ってる奴だけが、土曜日の一乗寺に並ぶ。
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