第5話 土曜日の一乗寺、裏が表になる日

土曜日、正午。

 一乗寺は、ラーメンを食うために人が集まる街になる。

 ――いや、平日も似たようなもんやけど、土曜だけは密度が違う。

 ラーメン屋〈カブキモノ〉の暖簾は、今日も揺れている。

 外の行列は、普段の倍。

 “通常運転”が、土曜になると“通常の上”に変わる。

「……伸びたなぁ」

 カウンター奥で、まつが外を見て言う。

 声は平常。目は戦場。

「土曜やしな」

 たけ子は笑いながら伝票をそろえる。

 笑顔やけど、手は一切止まらん。

 京都の母は、忙しいほど静かや。

「並ぶん好きやなぁ、みんな」

 水を運びながら、うめが言う。

 小六にして、世の中を一段引いて見ている。

「並ぶんちゃう。ここに“用事”があるんや」

 オーダーを取り終えたさくらが戻ってきて、得意げに言う。

 中一になって、店員の顔が板についてきた。

「用事って何」

「ラーメンに決まってるやろ」

 まつが即座に切る。

「うめ、遊んでへんと箸補充」

「してるぅ!」

 口は達者、動きも早い。

 この店で育つと、反射神経が勝手に鍛えられる。

 寸胴の前。

 慶三は、黙っている。

 黙っているのに、空気が張り詰める。

 湯気の向こうで、スープとにらみ合いながら、戦況を読む顔。

 ――たぶんこの人、世界で一番、寸胴を見つめてる。

「まつ」

 短く呼ばれる。

 まつは頷き、柄杓ですくう。

 香り、油の浮き、温度。舌。

「……今日、回転速い。泡が軽い。ええ感じ」

 慶三は何も言わず、火をほんの気持ちだけ落とした。

(会話、これで終わりかい)

(終わりや。職人は喋りすぎへん)

 まつは内心でツッコみながら、視線で店全体を押さえる。

 土曜の一乗寺。

 前田屋も、竹ちゃんも、他所も、みんな全力。

 客を奪い合うんやなく、胃袋と時間を取り合う街。

 それが、一乗寺ラーメン戦争。

「いらっしゃいませー!」

 扉が開いた瞬間、空気が一段変わった。

 数人の視線が、同時に動く。

 ――秀吉や。

 羽柴秀吉。

 膝リハビリ中。

 最近は「食べたい」と「食べられへん」の間で、静かに揺れてる男。

「……お邪魔します」

 声が小さい。

 淡々主人公のくせに、今日は妙に丁寧や。

「秀吉くんやん」

 たけ子が笑う。

「今日は、普通でええんか?」

 さくらが気さくに聞く。

 秀吉はメニューを見る前に、視線を泳がせた。

 カウンター端――“席”がある。

 常連中の常連が座る場所。

 そして、そこから低い声。

「……ほな、裏。いつもので」

 一般客の首が、ほぼ同時に傾く。

「え、裏メニューとかあるんすか?」

 観光っぽい兄ちゃんの声。

 ――その瞬間、空気が凍る。

 常連の目が、ゆっくり動いた。

「……兄ちゃん」

 笑ってる。

 でも目は、笑ってへん。

「裏はな、あるんやなくて“出る”んや」

「……出る?」

 兄ちゃん、完全に置いてけぼり。

 そこへ、まつが静かに入る。

「説明したるわ。『裏メニュー』言うても、秘密組織ちゃう」

 指を一本立てる。

「仕込みの都合で“出せる時だけ出す”。材料、回転、時間。全部そろった時だけや。黙って頼む。断られても文句言わん。それが条件」

 常連が無言で頷く。

 一般客は「へえ……」と息を呑む。

 秀吉が、小声で聞く。

「……俺、頼んでええやつ?」

「無理。今の膝やと脂が重い」

「即答やん」

「管理や」

 秀吉は苦笑して、丼を見る。

 無意識に、膝をさすった。

 ――うまいもんほど、今の自分には遠い。

「ほな、普通のラーメンで」

「はいよ」

 湯気。

 香り。

 一口すすって、目を細める。

「……うまい」

「それでええ」

 その奥で、慶三が低く言う。

「……裏、出しすぎるな」

「了解。戦況見て調整する」

 まつは伝票を見て、行列の伸びと回転を計算する。

 外の列は、まだ伸びている。

 一般客は“裏”にざわつき、

 常連は、何事もなかったように黙って食う。

 その時――

 まつのスマホが震えた。

【利家】

 練習終わった。腹減った。

 まつは画面を見て、口の端を上げる。

(……来る気やな)

 ――裏が表になる日。

 そして、夕方からが本番や。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る