第4話 朝のカブキモノ、湯気は嘘つかへん
朝の一乗寺は、まだ眠そうやのに、カブキモノだけは起きている。
シャッター半開き、店内は湯気。
寸胴の前で、慶三は今日も黙ってスープとにらみ合っていた。
「……おはよ」
まつが暖簾をくぐる。
その瞬間、家の匂いが肺に入る。豚骨、醤油、油。
――今日も、戦場や。
「おはよー、まつ」
たけ子は電話口で軽やかや。
「はい、ほなそのロットで……ええ、今日も多めで。せや、明太は切らさんといてくださいね」
仕入れ先とのやり取りは、もう呼吸みたいなもんや。
「まつ、朝ごはんできてるでー!」
声が高いのは、さくら。
洛西大学附属伏見中学一年。エプロンがまだ新品や。
「姉ちゃん、早よ! 冷めるで!」
うめは小六。声がでかい。将来有望。
テーブルに並ぶ朝食は、まつ仕様。
ご飯、味噌汁、焼き魚、野菜。
余計なもんはない。
「いただきます」
家族五人、同時。
「……うま」
さくらが言う。
「やろ? 朝はこれでええねん」
うめが胸を張る。
まつは、妹らの箸の進みを見て、心の中でチェックを入れる。
(昨日の運動量、問題なし。朝から食える)
「姉ちゃん、これな、昨日より魚ふっくらしてる」
「焼きすぎへんかったからな。水分飛ばしたら、タンパク質が可哀想や」
「たんぱく……なに?」
「筋肉の味方」
「筋肉、正義!」
うめ、よくわかってないが納得。
「ほな、仕込み入るで」
慶三の一言で、空気が変わる。
寸胴の前。
蓋が少し開き、湯気がどわっ。
「まつ」
それだけで、意味は通じる。
まつは柄杓を取り、少量すくう。
香り、油、舌。
「……今日は、骨の甘み前に出てる。ええけど、後半ダレる」
慶三、眉一つ動かさん。
「どうする」
「火、ほんの気持ち落として、追い骨は昼前一回だけ」
「……了解」
寸胴と、再びにらみ合い。
「父ちゃん、会話短すぎへん?」
さくらが小声。
「スープ相手に、喋りすぎはあかん」
まつが即答。
たけ子は電話を切り、帳面を閉じる。
「今日も並ぶで。天気ええし、学生多い」
「通常運転やな」
「せや」
妹らはエプロンを締め直す。
「さくら、オーダーな」
「了解!」
「うめ、箸と水」
「任せて!」
11時、営業開始。
暖簾が揺れた瞬間、外の気配が一段上がる。
――行列。
いつもの顔、初めての顔。
一乗寺の昼が、ここから始まる。
「いらっしゃい!」
声が重なる。
まつはカウンター奥から全体を見る。
常連の目線、初見の戸惑い。
スープの減り、麺の回転。
(今日の戦況、悪ない)
慶三は黙々。
たけ子は笑顔で回す。
妹らは走る。
そして、まつは――
料理で、戦争を制御する側。
「まつ、味どうや」
「今はええ。昼ピーク、もう一段上げる」
頷き合うだけで、通じる。
外の行列は、まだ伸びている。
湯気は、嘘をつかへん。
――今日も、カブキモノは平常運転。
それが、一乗寺ラーメン戦争の、朝やった。
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