第3話 鉄人調理師まつの朝の弁当箱
四月。
洛西は、もう春の二段構えに入っていた。
ソメイヨシノは散り始め、代わりに牡丹桜が、これでもかというほど咲き誇っている。
花びらは重たそうで、風に揺れるたびに「どや」と言わんばかりや。
「……朝から桜、主張強すぎひん?」
前田利家は、額の汗をタオルで拭きながら言った。
サッカー部の朝練帰り。
Tシャツの背中は、もうびっしょりや。
「桜はな、主張してなんぼや」 「人も?」 「人は空気読め」
まつ、即ツッコミ。
桂川高校一号館。
一年A組の教室は、まだ半分くらいしか人がおらん。
コスモス――特進クラスの生徒らが、ぽつぽつと0限授業を受けに来ている時間帯や。
「ほんま、朝から0限とか意味わからん」 「勉強も筋トレも、朝が一番効率ええねん」 「まつは、どっちも言える立場やから怖いわ」
利家は、自分の席にどさっと座った。
「で?」 「で、とは?」 「今日のやつ」
まつは、にやっと笑って、鞄から弁当箱を取り出した。
二段重ね。
しかも、ずっしり。
「はい」 「……重っ」
利家、持った瞬間に顔をしかめる。
「今日の朝練、走り込み多かったやろ」 「多かった」 「心拍数、落ちるまで時間かかってた」 「見てたんか」 「見てた」
当然や、という顔。
「ほな、今日の朝ごはんは“回復全振り”や」
ぱちん、と弁当箱が開く。
「……うわ」
思わず、利家が声を漏らす。
一段目。
白米――ただの白米ちゃう。
もち麦入りで、上には刻み海苔と温玉。
「糖質+食物繊維+タンパク質」 「朝から講義始まった」 「黙って聞き」
二段目。
・鶏むね肉の低温調理
・ブロッコリー
・だし巻き卵
・ひじき煮
・小さめの焼き鮭
「……弁当箱、筋肉に殴られてる気する」 「正しい感想や」
まつ、胸を張る。
「管理栄養士なめたらあかんで。朝練後は、まず回復。その次にエネルギー」 「朝から、こんな食えるんか俺」 「食え」 「命令形や」 「管理や」
利家、観念して箸を持つ。
「いただきます」
一口目。
鶏むね。
「……やわらか」 「低温調理やからな。タンパク質壊れへん」 「普通にうまいのが腹立つ」 「褒め言葉として受け取っとく」
二口目、温玉とご飯。
「……あ、これ、体に染みる」 「やろ。朝は“優しさ”が勝つ」
周囲のコスモス組が、ちらちら見てくる。
「なあ、前田」 「ん?」 「それ、朝から食う量ちゃうやろ」
利家は、口をもぐもぐさせながら答える。
「……管理されてる」 「こわ」 「安心や」
まつ、ドヤ顔。
「最新トレーニング理論ではな、疲労回復は食事が七割や」 「残り三割は?」 「睡眠と、ストレッチと、ヨガ」 「ヨガ?」 「せや」
指を一本立てる。
「筋肉は硬くなると、怪我する。伸ばして、呼吸して、整える」 「サッカー部、ヨガ部にならん?」 「なるかい」
利家、笑いながらも食べ進める。
「しかし、ほんま助かるわ」 「なにが」 「俺、自分やったら、絶対コンビニ行ってる」 「そんなん許すわけないやろ」 「やろな」
最後の焼き鮭を食べ終え、弁当箱が空になる。
「……完食」 「よろしい」
まつ、腕を組む。
「今日は午後、授業だけやし、走り込みなし」 「え?」 「入学してまだ一週間や。壊す気ない」 「……優しい」 「当たり前や」
窓の外、牡丹桜が風に揺れる。
「なあ利家」 「ん?」 「高校三年間、ちゃんとやろな」 「もちろん」 「食事、運動、休養」 「全部まつ任せで」 「逃げるな」
でも、笑っている。
「まあええわ」 「ええんか」 「走るために食う男やし」
利家は立ち上がり、背伸びをした。
「なんか、今日いける気する」 「気やなくて、結果出すんや」
まつは、空になった弁当箱を鞄にしまいながら、満足そうに言った。
「どや、鉄人調理師の朝ごはん」 「……ドヤる顔や」 「努力の成果や」
教室に、朝のチャイムが鳴る。
牡丹桜の春は、まだしばらく続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます