第9話 肩章の重み
パート1:特進の辞令
大隊本部に呼び出された俺を待っていたのは、真新しい、だがひどく重々しい制服だった。
襟元には銀の刺繍が施され、肩には警察少尉を示す銀の編み込みの肩章が載っている。そして左袖には、あの呪われたSDのダイヤモンド・ワッペンが深く縫い付けられていた。
「ハンス・シュミット。貴様を本日付で警察少尉に任ずる。……これは、貴様の『選別能力』に対するHSSPFからの先行投資だ」
SDの中佐が、俺の胸元を整えながら冷たく笑う。
「昨日までの貴様は、命令に従う一兵卒だった。だが今日からは、命令を下し、その結果に責任を負う『国家の指導層』だ。……貴様の指先ひとつで、この地区の経済的有用性が決まることを忘れるな」
俺は鏡の中の自分を見た。
士官の制帽を被り、顎紐を締める。そこにはもう、ハンブルクの工場で油にまみれて笑っていた男の面影はなかった。
パート2:断絶
工場に戻ると、異様な静寂が俺を迎えた。
制服の変わった俺がトラックから降り立つと、作業をしていたマイヤーたちが弾かれたように動きを止めた。
「ハンス、お前……その格好……」
マイヤーが思わず歩み寄ろうとした。だが、俺の後ろに控えていたSDの随伴兵が、冷酷に遮った。
「貴様、シュミット少尉殿に対して無礼だぞ。直立不動で敬礼しろ!」
マイヤーの顔が、恐怖と当惑で強張った。彼は俺の目を見ようとしたが、俺はわざと視線を外し、顎を引いて彼らを見下ろした。
一拍置いて、マイヤーを含む部下たちが、ぎこちなく、そして震える手で挙手敬礼を捧げた。
「……本日より、俺を名前で呼ぶことは許さん。シュミット少尉、あるいは選別官殿と呼べ。……わかったか」
自分の声が、自分のものではないように冷たく響く。
「……はい、シュミット少尉殿」
マイヤーの声は細く、そこには明確な「境界線」が引かれていた。俺は彼を救うためにこの地位を得た。だが、その地位が、彼との友情を完全に粉砕したのだ。
パート3:裁きの天秤
昇進後、最初の任務は広場での「総選別」だった。
雪が泥に変わる最悪の天候の中、三百人の住民が俺の前に並べられた。
ロイター少尉が、皮肉めいた敬礼を送ってくる。同じ少尉階級になった俺への、隠しきれない敵意が透けて見えた。
「さあ、シュミット少尉。貴様の得意な『経済的査定』を見せてくれ。HSSPFの委任状を盾に、どれだけの『資源』を救い、どれだけの『廃棄物』を切り捨てるのかをな」
俺は手に持った帳簿と万年筆を握りしめる。
「……名前は。職業は」
俺はカタコトの現地語で問いかける。
目の前に立つのは、かつての俺の母親に似た、怯えた老婆だった。
「……私は、ただの農婦です。何もできません……」
本来なら即座に「廃棄」だ。だが、俺は彼女の背後にいる少年の目を見た。
「この老婆は、精密機械の洗浄に必要な、特殊な薬草の知識を持っている。……資源だ。工場へ送れ」
俺は「経済的有用性」という嘘を、次々と帳簿に書き込んでいく。
だが、俺が「資源」の側に一人を置くたびに、SDの監視官が「廃棄」の側に立つ住民に銃口を向ける。
俺が救うためにペンを走らせる音は、同時に誰かの死刑執行書をめくる音でもあった。
作業を終え、泥だらけのブーツで工場に戻った俺に、マイヤーは代用コーヒーさえ持ってこようとはしなかった。
俺は一人、将校用の個室に座り、銀色の肩章を鏡越しに見つめた。
俺は階段を登り切った。
だが、その頂上にあるのは、誰もいない、冷たい鉄の椅子だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます