第4話 狂犬との契約

パート1:獣の嗅覚

 工場の中に、血と安酒、そして洗っていない獣のような悪臭が立ち込めた。

 ディルレヴァンガーは、手に持った乗馬鞭で工場の作業台を乱暴に叩きながら、値踏みするように俺を見つめている。彼の背後には、同じように薄汚れた、刑務所から引きずり出されたような兵士たちが、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて控えていた。

「いい場所だな、シュミット。だが、少しばかり『人間』の匂いが強すぎる」

 ディルレヴァンガーの視線が、工場の奥、影に隠れた現地の少年の方へと向けられた。

 マイヤーが息を止め、スパナを握る手が白く震えている。俺は心臓の鼓動を鉄のピストンのように抑え込み、一歩前へ出た。

「……自分は整備班長です、ディルレヴァンガー博士(※)。ここにあるのは、部隊を動かすための『部品』と『家畜』に過ぎません。それとも、貴方の部隊では機械の代わりに人間がトラックを引っ張るのですか?」

(※ディルレヴァンガーは博士号を持っていたため、皮肉を込めた呼び方)

 一瞬の沈黙。背後の部下たちが色めき立つ。

 ディルレヴァンガーは目を細め、やがて喉の奥でカカカと乾いた笑い声を上げた。

「博士、か。……礼儀正しい処刑人だな。気に入ったよ、シュミット」

パート2:壊れた鉄と壊れた男

「三台だ。オペル・ブリッツが三台、泥の中で息絶えた。パルチザンを追い回すのに、足がないんじゃ話にならん」

 ディルレヴァンガーは俺の胸元を指先で小突き、声を潜めた。

「三日だ。三日で動くようにしろ。できなければ……この工場に転がっている『予備部品(人間)』を、俺の部下たちの娯楽として提供してもらう。いいな?」

 それは交渉ではなく、宣告だった。

 彼らが去った後、俺は崩れ落ちそうになる膝を叱咤した。三台のトラックは、エンジンブロックが砕け、素人目にも廃車寸前の惨状だった。ディルレヴァンガーの部隊が、いかに乱暴に機材を扱ってきたかの証左だ。

「ハンス、無理だ……あんなの、部品も足りないし、三日なんて……!」

 マイヤーが泣きそうな声で訴える。

「……やるんだ。あいつは、俺たちが『何か』を隠していると気づいている。ここで無能を晒せば、俺たちの聖域は一瞬で屠殺場に変わるぞ」

 俺は現代の知識を総動員し、本来なら数週間かかる重整備を、戦時下の「裏技」で乗り切る算段を立て始めた。

パート3:汚れた握手

 不眠不休の三日間。俺は泥と油にまみれ、時には動かなくなった別の廃車から部品を「盗み」、時には即席の溶接で亀裂を塞いだ。言葉がわかることを使い、現地の職人たちから「この土地の泥に負けないオイルの配合」を力ずくで聞き出した。

 約束の三日目の朝。

 ディルレヴァンガーが再び現れたとき、三台のトラックは不気味なほど快調なエンジン音を響かせていた。

「……ほう。本当に直したか」

 ディルレヴァンガーは満足げにボンネットを叩いた。彼は俺の顔を覗き込み、泥だらけの俺の手を、彼自身の汚れた手で強く握った。

「シュミット。お前はただの処刑人じゃない、最高の『調教師』だ。……礼だ、これを持っていけ」

 彼が投げ渡してきたのは、略奪品であろう高価な銀の時計と、一枚の紙切れだった。

 そこには、ディルレヴァンガー部隊の通行許可証と、俺の工場を『SS特別協力施設』として保護する旨が、殴り書きで記されていた。

「これでお前は俺の『友』だ。……何か困ったら言え。代わりに、次にお前の役に立ちたい時は、もっと面白い『掃除』に誘ってやる」

 獣の笑みを残し、狂犬たちは去っていった。

 手の中にある銀の時計が、あまりに重く、汚らわしく感じられた。

 俺は聖域を守るために、歴史上最悪の怪物と手を組んでしまったのだ。

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