第2話 鋼鉄の決断

パート1:泥濘(どろ)に沈む声

 東へと向かう列車が、軋んだ悲鳴を上げて止まった。

 辿り着いたのは、地図にも載っていないポーランドの廃村だ。家畜運搬車のような貨物列車の重い扉が引かれると、湿った冷気が一気に車内に流れ込んできた。

 広場には、すでに先行していた**SD(保安部)**の将校が待ち構えていた。

 国防軍と同じフィールドグレーの野戦服だが、その襟元には警察の柏葉ではなく、不吉なSSのルーン文字と、銀の肩章が刻まれている。シュトゥルムバンフューラー(SS少佐)。その冷徹な眼差しは、死を司る官僚のそれだった。

 彼の前には、十数人の村人が泥濘の中に膝をつかされている。その瞳には、もはや希望の光などひとかけらも残っていない。

「整列しろ! 急げ!」

 トラップ警部補の怒号を受け、俺たちはぬかるんだ地面に降り立った。俺の隣で、マイヤーが小さく息を呑むのがわかった。

「……Я... я ничего не знаю... Прошу вас...(私は、何も知らない……お願い……)」

 老婆の震える声。周囲の警官たちは困惑し、顔を見合わせている。ハンブルクの港町で暮らしてきた彼らにとって、東部の言葉はただの「不吉な呪文」に過ぎない。

「何と言っている」

 SS少佐が、老婆の髪を掴み上げ、ルガーP08の銃口をこめかみに押し当てた。

「パルチザンはどこだ。吐かなければ、この街のガキから順に頭を撃ち抜くと伝えろ!」

 だが、誰も答えられない。沈黙が広場を支配し、少佐の指が引き金にかかる。

 俺は、隣で銃を抱えて震えているマイヤーの横を抜け、泥を撥ねて一歩前に踏み出した。

パート2:死神の代弁者

「……彼女は『何も知らない。神に誓って、隠し事などしていない』。そう言っています」

 俺の声が広場に響くと、野戦服の少佐とトラップ警部補が同時に振り返った。少佐の冷たい目が、一兵卒に過ぎない俺を射抜く。

「……貴様、言葉がわかるのか」

「ハンス・シュミット、予備警察官です。……工員時代、東部からの労働者を監督していました。ロシア語とポーランド語なら、彼らの嘘を見抜く程度には解します、シュトゥルムバンフューラー」

 俺は直立不動のまま、感情を殺して答えた。少佐は老婆を泥の中に突き放すと、薄ら笑いを浮かべて俺に近づいてきた。革のブーツが泥を踏む湿った音が耳に付く。

「素晴らしい。第101大隊には『掘り出し物』がいる。……なら、シュミット。そいつらに死の宣告を伝えてやれ。隠し事をすれば、もっと無残な死が待っているとな」

 俺は泥の中に跪き、村人たちの前に立った。鼻をつくのは、火薬の匂いと、腐った土の臭い。

「Słuchajcie... Nie ma nadziei.(聞いてくれ……希望はない)」

 俺が静かにポーランド語で語りかけると、村人たちの瞳が恐怖から絶望へと色を変えた。

「あの灰色の服の男は、お前たちをいたぶり、時間をかけて殺すつもりだ。……逃げ道はない。せめて、神の前で誇り高くあれ」

 俺の言葉は、彼らにとって死神の抱擁と同じだった。SD少佐が、俺の肩を叩いて急かした。

「どうだ、吐くか? 吐かなければ、そのガキの指を一本ずつ切り落としてやると伝えてやれ」

 俺は少佐を見上げた。言葉がわかる俺だからこそ、最悪の結末を「最短」で終わらせる権利がある。あんな外道に、娯楽としての虐殺を許してなるものか。

「……いえ。彼らは何も知りません。時間の無駄です、少佐殿。……自分が『処理』します。閣下の貴重な拳銃弾を、こんなゴミに消費するには及びません」

パート3:鋼鉄の執行

「……言葉が通じるなら、仕事も早いだろう。やってみせろ、シュミット。職人の正確さというやつをな」

 少佐の許可。俺は隣の警官から小銃(Kar98k)を強引にひったくった。木製の銃床が冷たく俺の手に馴染む。その動作に、迷いは一切なかった。

 

 照準器の向こう側。俺と視線が合った男が、静かに唇を動かした。

「Dziękuję...(ありがとう……)」

 無残にいたぶられる前に、終わらせてくれ。その祈りを受け止めるには、俺の魂はあまりに脆すぎた。だが、指先だけは鋼鉄のように冷え切っていた。

「……安心しろ。一瞬だ」

 俺は自らの人間性を、工場の油の中に捨て去った。ボルトを引き、一発の7.92mm弾を薬室に送り込む。金属同士が擦れる鋭い音が広場に響く。

 ――乾いた銃声。

 一発、また一発。俺はロシア語とポーランド語の絶叫を、一発の銃声で一つずつ消し込んでいった。一発も外さない。急所だけを撃ち抜く。犠牲者が「死」を意識する暇さえ与えないほどの、完璧な作業。

 かつて薬莢を削っていた俺の手は、今や最も効率的に命を刈り取る機械と化していた。

 最後の一人が泥の中に倒れ、硝煙が雨に溶けて消えたとき。広場には俺が吐き出す荒い呼吸音だけが残っていた。グリーンの制服の袖は、泥と、そして温かい返り血で無残に汚れ果てていた。

「……完了しました、シュトゥルムバンフューラー」

 俺は、立ち尽くすマイヤーや、複雑な表情のトラップ警部補に背を向けた。

 言葉がわかる「通訳者」であり、誰よりも早く引き金を引く「処刑人」。

「シュミット……お前、一体……」

 マイヤーの怯えたような声に応えることなく、俺は返り血の付いた顔を袖で拭った。

 この日を境に、俺は第101大隊において、誰もが無視できない――そして誰もが恐れる「とんでもない怪物」へと成り上がった。

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