第一章 〜野薔薇はまだ芽吹かない〜
前領主、ランド・ワイローズ
父の葬儀は、驚くほど質素だった。
棺は飾り気のない木製で、参列者も少ない。
貴族の葬儀というより、地方の地主が静かに送られる――そんな印象だった。
マリーナは黒衣に身を包み、棺の前に立っていた。涙は、昨日出し尽くした。
泣く暇がなかった、と言った方が正しい。
「……参列は、以上で全てです」
ガルムが小さな声で告げる。
集まったのは、古くからの家臣が数名と、近隣の小領主が二人。
それだけだった。
父が病に倒れてからというもの、人の足は驚くほど遠のいたのだ。
「ずいぶん……静かなものね」
ぽつりと零れた言葉に、隣に並んだガルムが低く答える。
「前領主は、そういう方でした」
「どういう意味?」
「人を頼らなかった。借りも作らなかった」
ガルムは棺に視線を向けたまま、続ける。
「その代わり、味方も増えなかった」
マリーナは、黙って父の棺を見つめた。
誇り高く、不器用で、生真面目な人だった。
領地を守るためなら、自分が貧しくなることも厭わなかった。
――結果、残ったのは。
「……財政報告は?」
「明日、お見せします」
その声に、マリーナはわずかに肩を強張らせる。
葬儀が終わると、人々は早々に散っていった。
まるで、この屋敷に長居したくないかのように。
残ったのは、冷たい風と、静まり返った中庭だけだった。
「冷たいわね…」
翌日、マリーナは執務室に座っていた。
机の上には、積み重ねられた書類。
その一番上に置かれているのが、領地の財政報告書だった。
「……改めて確認するわ」
深呼吸を一つ。
「ワイローズ領の歳入は?」
「年平均で、周辺国の領地の半分以下」
「支出は?」
「ほぼ同額。もしくは、年によって赤字です」
「……理由は?」
ガルムは、ためらわずに答えた。
「重税による、民の流出です。」
マリーナの眉が、ぴくりと動く。
「…例の廃村ね?」
「はい。隣国との不干渉条約により、特定地域――アルザドへの負担が集中しています」
アルザド。
その名を聞いた瞬間、胸の奥に、冷たいものが沈んだ。
「……お父様は、それを知っていた?」
「承知の上です」
「止められなかったの?」
「止めれば、領地そのものが切り取られる可能性があった」
ガルムの声は、淡々としている。
だが、それが事実であることは、痛いほど伝わってきた。
「だから……お父様は、選んだのね」
自分が嫌われ役になる道を。
「はい」
マリーナは、書類から視線を外し、椅子にもたれかかった。
頭が重い。
胸の奥が、じわじわと痛む。
「……貧乏貴族、ね」
自嘲気味に笑うと、ガルムが一歩、前に出た。
「領主」
その呼び方に、マリーナは一瞬、息を止める。
「まだ、慣れない?」
「……正直に言うなら、全然」
ガルムは、少しだけ口元を緩めた。
「前の呼び方で構わないわよ?」
「よろしいのですか?お嬢様」
「違う。マリーナ様。」
「失礼。マリーナ様。こちらの方が慣れておりますな。」
ガルムは軽く咳払いをする。
「ですが」
その目が、真っ直ぐに彼女を捉える。
「前領主が最後まで守ろうとしたものは、まだ残っています」
「……何?」
「この領地と、あなたです」
マリーナは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……なら」
机の上の報告書に、手を置いた。
「私が進み続けるしかないわね」
それは、覚悟の言葉だった。
まだ弱く、震えている。
けれど、確かに前を向いた言葉。
その夜、
少女は正式に――
ワイローズ領主、マリーナ・ワイローズとなった。
〜野薔薇は芽吹き始める〜
ーー翌日
「……マリーナ様。」
ガルムが、いつもより少しだけ低い声で告げる。
「民が、集まり始めています」
「わかったわ。行きましょう。」
屋敷の扉が、ゆっくりと開いた。
外の空気は、ひどく冷たかった。
1日経ってもなお、葬儀のあとに残る乾いた風がマリーナの髪を撫でた。
マリーナは一歩、外へ踏み出す。
黒衣の裾が、わずかに揺れた。
まだ黒衣のままだった。
それを脱ぐ理由を、
マリーナはまだ見つけられなかった。
石畳に触れた靴底から、
確かな硬さが伝わってくる。
――逃げ道は、ない。
そう思っても、不思議と足は止まらなかった。
庭を抜ける小道。
かつて父と並んで歩いた道。
その時は、
ただ後ろをついて行くだけでよかった。
今は違う。
進む先に、誰も立ってはいない。
立つのは、自分だ。
背後で、鎧の擦れる音がした。
ガルムが、半歩後ろにいる。
近すぎず、離れすぎず。
守るための距離。
声をかけられることはなかった。
慰めも、励ましもない。
それでいい。
言葉を交わさなくても、
そこに居ると分かることが、
今は何より心強かった。
広場へ続く門が見える。
人の気配が、風に混じって届いてきた。
低い話し声。
咳払い。
靴が石を踏む音。
――待っている。
期待ではない。
希望でもない。
それでも、
目を逸らさずに待っている。
胸の奥が、きゅっと縮む。
怖い。
正直に言えば、それだけは否定できなかった。
だが、足は止まらない。
ここで立ち止まれば、
昨日までの自分に戻ってしまう。
マリーナは、ほんの一瞬だけ、息を整える。
拳を握り、ほどく。
そして、顔を上げた。
門を越える。
視線が集まる。
数え切れないほどの目が、少女を捉える。
その中心へ、
マリーナ・ワイローズは歩いていった。
逃げるためではない。
守るために。
――言葉を、与えるために。
壇上へ続く階段の前で、
ガルムが半歩、前に出る。
盾の位置。
マリーナは、その背中を一度だけ見て、
静かに頷いた。
そして、
一段、また一段と、
広場の中心へ向かって歩き出す。
次に口を開く時、
彼女はもう――
領主として、語る。
「新たに、このワイローズ領の領主となった、マリーナ・ワイローズよ。」
広場にざわめきが走る。
名を呼ばれ、姿を確認しようと、人々が背伸びをする
「私たちは、非常に大きな…何者にも埋め合わせることの出来ないほどの偉大な方を失ったわ…。
その名は…ランド・ワイローズ。
皆も知っての通り、前領主。私のお父様よ。」
沈黙が広場に伝わる。頭を垂れる者。
黙祷を捧げる領民の姿が、そこにはあった。
暫しの沈黙のあと、マリーナはゆっくりと口を開く。
「以前、遠い異国の地を知る吟遊詩人が、このようなことを語っていたわ。」
(「吟遊詩人?」と小さく囁く声)
「人は必ず死ぬ。
殺されようが、事故だろうが、
お父様を蝕んだ、病だろうが。
永遠などない。人は死ぬのだと。」
広場は、まだ静まり返っている。
「そして、人が死ぬ事は自然なことなのだと。
生あるものは、必ず滅びる。
その中で、何を為すかを探し、
進み続けるのが大切なのだと…
その詩人は語っていたわ。」
「教会ではない、神の奇跡でもない。
我々が今生きる自然の中にあるものなの。
司祭様や神父様とはまた違う考えね。」
僧衣の男が、黙って目を伏せる。
「今、領民の皆に問うわ。
では、お父様は何を残したと思う?」
困惑の波が領民に押し寄せる。
(残す?この領地に?何を?)
「このツギハギだらけの屋敷?
傾きかけた領地?
他国に牽制され、
欲が溢れる視線を浴び続ける不快感?」
苦笑する者、唇を噛む者。その現実を受け止めているが故の反応だった。
「違う。」
ぴたり、と音が消える
「答えは私の目の前にある。
あなた達の目の前にある。」
ざわめきが、戸惑いに変わる
「私とあなた達が踏みしめている。
私とあなた達の中にいる。」
(そんなもの…どこにあるんだ?)
その笑みは、希望ではなく…
絶望の笑みであった。
「…お父様が残したもの。それは、
あなた達、『領民そのもの』よ。」
どよめきが、マリーナの声を消しかける。
マリーナは口を紡ぎ、
どよめきが収まるのを待つ。
「そしてお父様は成し遂げた。
あなた達と私を守ることを。
そして私は受け継ぎ、誓った。
あなた達の未来を守ることを。」
子供の手を強く握る母親。
抱き上げた子供をより確かに抱き抱える父親。
「ワイローズ領の豊かな自然を。
あなた達の希望溢れる未来を。
これから生まれてくるワイローズ領民の尊き子供達を。
今まで領地に尽力してくれた先人達を。
私は奪われたくない…
奪わせたくない。
壊されたくない。」
(そうだ…)
小さな同意が、連なっていく
「あなた達の進む道は、私が守る。
あなた達を拒む物は、私が壊す!
あなた達の目前には、私が居る‼︎」
歓声が上がりかけ、しかし、誰も遮らない
「私の進む道を信じて進んで‼︎
私は全力で駆け抜けて見せる‼︎
その先には‼︎」
息を呑む音が、重なる
「きっと…今では考えられない、素晴らしい景色が私達を待っているはずだから。」
拍手が一つ二つと増えていく。
「私と共に歩んで‼︎
私の手を取って‼︎
そして時には‼︎
…私の背中を押して欲しい。」
(任せてください)(頼む…)
誰かの呟きが、確かに届く。
「これをもって、私、マリーナ・ワイローズの領主着任の言葉をして頂くわ。
聞いてくれてありがとう。
私、この領地が大好きよ。」
一瞬の静寂。そして――
割れるような喝采。
――ワイローズ領は、
今日、新しい主を迎えたのだった。
だがそれ以上に。
共に歩くと誓った者達を、
確かに得たのだった。
割れるような喝采が、しばらく広場を満たしていた。
マリーナは壇上に立ったまま、
その音の中で、微動だにしなかった。
拍手が、歓声が、名前を呼ぶ声が――
すべて、少し遠くに聞こえる。
ようやく、ガルムが静かに合図を送る。
下がりましょう、と。
声にはしない。
視線だけで。
マリーナは小さく頷き、
壇上を降りる。
その背に、まだ喝采が降り注いでいた。
――そして。
広場を抜け、
屋敷へ続く回廊の角を曲がった瞬間。
「ガルムーーー!!!」
突然、マリーナが振り向いた。
「わ、私……っ!」
両手で顔を覆い、真っ赤になっている。
「私、恥ずかしい事を言ったかしら⁉︎」
「失敗してないわよね⁉︎大丈夫なのよね⁉︎」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉。
さっきまで、数百の領民を前に
一歩も引かなかった少女とは、
とても同一人物とは思えない。
ガルムは、足を止めた。
一拍。
ほんの一拍、間を置いてから――
「……問題ありません」
低く、しかしはっきりと。
「誰一人、目を逸らしてはおりませんでした」
「誰一人、笑ってもいない」
「逃げる背も、ありませんでした」
マリーナは、そっと顔から手を離す。
「……ほんと?」
「ええ」
その声は、盾のそれではなく、
長く彼女を見てきた者のものだった。
「立派な演説でした」
「前領主も――誇りに思われるでしょう」
その瞬間。
「うぅ……」
マリーナの肩が、くしゃりと落ちた。
「よ、よかったぁ……」
「足、震えてたのよ……」
「声、裏返ってなかった……?」
「裏返っておりません」
即答だった。
マリーナは、深く息を吐き、
その場で小さくしゃがみ込んで囁く。
「ねぇガルム…お願いがあるの。」
「いかがされましたか?」
「撫でて。あの日の夜に、優しく頭を撫でてくれたように。」
新たな領主は、
1人の少女としてお願いをする。
「『よくやったよ。
すごいじゃないかマリーナ。』
って安心させて。」
ガルムはすぐには動かなかった。
盾としての役割を、
すべてを一度、胸の奥に仕舞う。
そして、一歩。
いつもの半歩前ではない。
守るための位置でもない。
ただ、人として近づく距離。
ガルムは膝を着き、少女の頭に触れる。
大きな手が優しく、力なく頭を撫でる。
捕まえるためでも、導くためでもない。
大きなことを成し遂げた孫を褒めるように。
そこに在ることを確かめるように。
「……本当によくやったよ」
低く、穏やかな声で。
「すごいじゃないか、マリーナ」
それだけだった。
だが、その一言で、
少女の肩から、目に見えない重さが落ちた。
「……よかった。」
小さな声。
領主としてではない、少女としての声だった。
ガルムはまた、沈黙する。
頭を数度撫でてから、静かに離した。
「ありがとうガルム。」
少女は立ち上がり、また領主に戻る。
そして同時に――
「ここにいる」一人の少女は、
「ここに立っていい」と、確かに認められた。
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