第2話

 それから莉紗と私はそのバーで度々会うようになり、楽器を合わせるのもいつもの習慣になっていった。莉紗は社交的だから、時々私以外の人にも声をかけて合わせていて、そんなとき私はほんと少しだけ心がモヤついた。


 その頃にはもうわかっていた。私は明確に莉紗に惹かれていた。だけど私にとってはそんなことは初めてで、しかも女性である莉紗にそんな感情を抱くことに、まだ戸惑ってもいた。


 それはある夜、莉紗がまた変なテンションで来店したのは、いつもより遅い午後11時過ぎ。あともう1時間ほどで閉店になる頃だった。


 なんでも、また仕事がうまく行かなくなったのだと言う。莉紗は笛を吹かせればその技術は素晴らしいのに、どういうわけかお金を稼ぐことはさほど上手くはないようだった。


 慰めるようにお酒を一杯奢ったのがよくなかった。調子に乗った莉紗は私のタバコまで拝借し始めた。


「仕方ないなぁ」


 それで許してしまう私も悪い。


 莉紗は「ありがとう♡」なんてまた語尾にハートマークをつけて、私の手を握る。想像していたとおりの、温かい温度。

 無駄にどきり、としてしまう。


 時計を見ながらほんの少しだけ、期待をしていた。

 莉紗の終電は早い。閉店と同時くらいに駅へ急がないといけないタイムスケジュールのはずだけど、それなのに今日は、一向に帰ろうとしなかったから。


 それどころか酔ったふりまでし始めた。

 そして言った。私の求めていた言葉を。


「千晶ー。私今日、帰るの面倒になっちゃった。ちょっと付き合ってよ」


 幸いにして、ここは新宿。それもすぐ隣は眠らない街、歌舞伎町だ。朝まで飲める店なんていくらでもある。


 仕事のなくなってしまった莉紗と、フリーランスで土日も平日も関係ない私。平日の夜に大手を振ってオールするなんて、まるで学生みたいだな、なんて思いながら、私たちは安い海鮮居酒屋に入った。


 24時間やっている有名な浜焼きのチェーン店で、酒ばかり飲んでお腹の空いていた私たちは、大喜びで貝を焼いた。貝を焼きながら、酔っ払った莉紗が妙に、エロいエロい言うのを私は聞き逃さなかった。


「莉紗、そんなに欲求不満なの?」


 思わずそうツッコむと、あっけらかんと答える。


「そりゃね。だってずっと彼女いないし」


 そんなことを。


 それで私はこのときようやく知ったのだ。

 莉紗は女の人を好きになる女の人だってことを。


 胸がまた、どきりとするのがわかった。


 転がり落ちるのはあっという間だった。午前2時過ぎ。眠いという莉紗を、新宿から私鉄で1駅先の自宅までタクシーで『お持ち帰り』したのは私だ。


 だからどちらかといえば、悪いのは私のほうなのだ。


 だけど、莉紗も莉紗だ。うちに来た途端、さっきまでの眠そうな様子はどこへやら、急にしゃっきりとした様子で。私とおしゃべりしながら、「今日のお礼にマッサージしてあげる」なんて言って。


 それから余計なところに伸びてきた莉紗の手のせいで、その後私たちがどうなったかなんて、言うまでもないだろう。


 初めての女性との関係に、私はすぐに溺れ、夢中になった。

 すっかり疲れて莉紗が眠りについたあと、ひとり月の光の下で彼女の唇の感触を思い出していた。そして翌朝になれば、陽の光の下で、その感触をまた確かめることになった。


 とにかく、そのようにして私たちは付き合い始めた。身体だけの関係は嫌だと、ちゃんと付き合おう、デートをしよう、と言ってきたのは意外にも莉紗のほうだった。


 莉紗との交際はいたって真面目なものだった。誰かが言っていた、「笛吹きの男や女には遊び人が多いから気をつけろ」なんて言葉は当てにならないとすら、思った。


 端的に言えば、莉紗は私を溺愛していた。付き合い初めてからの莉紗は、それまでの遊び人のような態度から打って変わって真面目になった。


 いつも仕事帰りには私を迎えに来たし、お泊まりをしない日でもバーの帰りなんかは「心配だから」と言って私の家の近くまで来てくれた。


 私が仕事で悩んでいるときにはすぐに電話をかけてくれたし、会いたいと言えばいつでも飛んできてくれた。


 だけど、終わりは突然だった。きっかけは些細な喧嘩だった。酒癖の悪い莉紗に私が苦言を呈したところ、逆ギレのようにされて。SNSをブロックされて。

 今までの甘い態度が嘘みたいに、あっけなく私たちは終わってしまった。



 *



 しばらく、ショックで寝付けなかった。だけどいつまでも後ろを向いていても仕方がないと思ったから、初めは行きにくくなっていたあのバーにもひとりで出向き、莉紗と共通の友人にも何も言わずに、いろいろなイベントにも参加した。


 しかし結局そうしていれば、莉紗に出会ってしまうことは避けられない。私たちはもともと、行動範囲がかぶっていたから。


 あるとき共通の友人が出演するライブイベントで、私と莉紗は顔を合わせてしまったのだ。


「……久しぶり。元気?」

「……うん。そっちは?」

「なんとかね」


 既に別れてから3ヶ月が経っていた。初めはぎこちなかったけど、話してみれば結局、話が弾んでしまう。私たちはそうして、交流を復活させたのだった。

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