第5話 書かないという選択
白いノートを、机の奥深くにしまってから、数日が経った。
意外なほど、生活は変わらなかった。
仕事は続く。
電車は混む。
帰り道は、少し寒い。
ノートがなくても、世界は何事もなく回る。
それが、少しだけ寂しかった。
朝。手早く支度を終えて、ふと机を見る。
ノートは、見えない場所にある。
なのに、視線はそこに向かってしまう。
「……書かないって、決めたわけじゃない」
自分に言い訳する。
使わない。
でも、捨てない。
中途半端。
迷う気持ちが表情に表れる。
仕事で、後輩がまた小さなミスをした。
今回は、ノートは関係ない。
透は、後輩を優しく呼び止めた。
「ここ、次は気をつけよう」
声は穏やかだった。
後輩は、少し緊張しながらも、頷く。
「はい。ありがとうございます」
その顔を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。
嫌な思いをしたかもしれない。
でも、ちゃんと伝わった。
昼休み。
スマホを見ながら、無意識に考える。
あのとき、ノートを使っていたら。
誰も嫌な思いをしなかった。
でも、何も気持ちが残らなかった。
帰り道、久しぶりに、あの小屋の前を通った。
足が上がらず止まる。入らない。
今日は、入らない。
そう決めて、そのまま歩き出した。
「迷ってるね...」
声は、背後から突然だった。
妖精が、電柱の影に静かに立っている。
「書かないって、決めたんじゃないの」
「決めてない...どの選択が正しいのか」
即答だった。
「……正しいと思えない」
妖精は、少しだけ目を細める。
「いいね」
「いいのか?」
疑問に思う。
「うん...」
妖精は、軽く肩をすくめた。
「正しさをすぐ決める人間ほど、雑に使う」
胸の奥に、その言葉が重く沈む。
透は、何も言えなかった。
家に帰り、
机の引き出しを乱雑に開ける。
白いノート。真っ白なページはいつも其処にある。
触れると、相変わらず、懐かしい感触がした。
でも、今日は開かない。
ノートの代わりに、スマホのメモを開く。
そこに、何も書かずに閉じた。
それだけで、少し疲れた。
夜。
布団に入り、天井を見る。
考えが、止まらない。
正しくありたい。
でも、
正しさが分からない。
白紙のノートは、答えを書いてくれない。
だからこそ、ずっと悩み続ける。
妖精の声が、どこかから聞こえた。
「書かなくなった時、君は一番ノートを使ってる」
意味は、まだ分からない。
でも、嫌じゃなかった。
透は、ゆっくりと目を閉じる。
白いノートは、今日も白いままだ。
それでいい、と思える夜だった。
白紙のノートに書いた言葉は、未来を変えないらしい @H2001
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