転生の代償

 柔らかい地面の感触を感じながらアークは意識をゆっくりと取り戻した。


 薄っすらと目を開くとそこが魔界ではないことがすぐに分かる。転生は成功したらしい。




 身体を動かしてみる。手足はどうやら人間のもののようだ。しかし、ここが元の世界なのか、異世界なのか、それがわかない。




 (虫けらなどにならずにすんだのは幸いだったが。)




 覚醒しきっていない意識を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと身体を動かして起き上がる。


 軽くなった感覚はあるが、魔王の頃と比べると明らかな筋力の衰えを感じる。以前のような力で軽々とは動けそうにはない。




 身体能力は鍛錬を行えばどうとでもなる。文句は言うまい、と気持ちを切り替えるアーク。




 改めて周囲を見渡す。




 どうやら森の中のようだ。生い茂る木々のなかに整備はされていないが道ができている。その道外れの少し開けた空間にアークはいた。




 人間であることはわかったが、現在の自分の姿を見てみたい。そう思いアークは歩みを進める。ひとまず水場を探そうと。森があるならどこかしらに川が流れているだろうと考えたからだ。




 身体を動かしているうちに意識は完全に覚醒し、思考がまとまってくる。それと同時に自分が空腹であることに気づいた。水もそうだが、食料を探さねば。




 武器になるものはないが、体内の魔力は一応流れていることは自覚できた。魔物がいても戦う事は可能だろう。アークに宿っている魔王根源は完全に消滅したわけではなさそうだ。




 小一時間ほど森の中を歩いていると、彼の耳はかすかだが水の流れる音を感じた。




 進行方向を変え、音の聞こえる方へ向かう。




 木々の間に流れる小川を見つけ、水面を覗き込む。




 底に映る姿は、紛れもなく人間であった。魔王だった頃の威厳は微塵も感じられない少年の姿。年齢にして15から16歳ほどか。




 (ふむ、貧弱そうだが悪くはない。)




 非力ではあるが、鍛錬を積めば十分成長の余地はあるだろう。ひとまず生き残ることは可能であるとアークは判断した。




 周囲を見回すと小川の周辺には小さいが、木の実や果実のなった樹木がいくつか自生していた。腹を満たすには少々心許ないが、それらを採取し食す。




 目覚めた直後に比べれば身体には力が湧いてきたのがわかる。




 今後のことを考える。




 いつまでもどこともわからぬ森の中にとどまっていても情報は得られない。まずはここがどこか、把握しなければ。




 整備されていなくとも道があるということは、それに沿って進んでいけばいずれ人のいる場所へ出られるだろう。そう思い、アークは先程歩いてきた道へ戻ること決めた。




 踵を返して再び歩きだそうとした時である。近くの茂みの奥から気配を感じた。




 ――足音。




 歩き方からすると、人間ではない。四足歩行の獣だろうと推測ができた。




 やがて足音はさらに近づき、視線の先にある茂みがガサガサと音を立てて揺れた。その中から姿を現したのは、犬型の獣。




 ――灰狼グレイハウンドだった。




 見覚えのある魔物が現れたことで、この世界は自分がいた世界と同じである可能性をアークは実感できた。




 灰狼。肉食の獰猛な魔物である。俊敏な動きと鋭い牙で獲物を捕らえ、捕食する。




 しかし、下級の存在だ。




 (肩慣らしにはちょうどよいだろう。)




 そう思い、構えるアーク。




 武器はない。身体能力も大して期待はできないが魔法なら撃退は容易だろう。




 片手を眼前に伸ばし、攻撃魔法を唱える。




 「魔焔イグニール」




 闇のエネルギーがアークの掌に集中し、魔法が発動する。




 ボウッ…。




 頼りない音を鳴らし、暗黒の焔はマッチのように小さな火を灯して消えた。




 「な、なにッ…!?」




 魔力は確かに、明らかに衰えていることはわかっていた。しかしたかが1発、まともに発動できないほどまでだとは思っていなかったアーク。




 一瞬で決着をつけようと勇んでいたつもりが、明らかな形勢不利。何もできない。




 この程度の下級魔物に殺されてしまうのか。




 転生して数時間。魔王の玉座に返り咲くことを宣言してここへ来た。なのに、こんなにもあっけなく幕引きとなるなど、想像もしていなかった。




 だが 戦う術を持たぬ以上、これ以上何もできることはない。弱者は生き残れない。相手が話の通じぬものならなおさらだ。




 灰狼はじっと獲物を見定めるようにアークを見つめ、じりじりと近づいてくる。捕食者の目をしている。




 あぁ、そうだろう。この凶悪な犬にとって今の私など、動く肉の塊程度にしか見えていないはずだ。事実、抵抗する力がないのだから仕方あるまい。ならばせめて魔王としての誇りにかけて、我が身を喰らわせてやろう。貴様が私の心臓を食いちぎり、脳を貪るその瞬間まで見届けてやる。命乞いなどしない。たとえ弱くても、私は王なのだ。




 覚悟を決めたアークの眼光に、灰狼は一瞬怯む。眼前の貧弱たる若き肉塊。しかし、その身の内に宿るなにかを感じたように。


 ただ、それは本当の一瞬だった。やがて間合いに入った灰狼は脚を縮こませ跳躍をした、獲物の喉元へめがけて。




 アークは自身に向かって跳びかかってくる捕食者の動きをしっかりと捉えていた。




 身体は動かないのに灰狼の動きは止まったようにゆっくりに感じられる。あぁ、力は衰えたというのに、戦いの感覚は残っているのか。以前ならこの程度の魔物など、間合いに入る前に消し炭にできたはずなのに。力を失うと、こんなにもあっさりと命を奪われてしまうのか。せめて腕を振り払いでもして、最期にひとつ抵抗でもしてみようか。




 今さら身体を動かそうとしたところで、灰狼に触れる前に喉元に牙が付きたてられてしまうような距離しかなかった。相手の動きは見えているのに、もう抵抗のひとつつもできないらしい。




 「危ないッ‼」




 声とともに諦観の念に打ちひしがれているアークの視界に、灰狼とは違う者の影が飛び込んできた。

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