第5話メイドの特権、主人の寝顔

​ 朝、カーテンの隙間から差し込む光が、まぶたの裏を白く焼いた。


 重い意識を浮上させた俺が最初に感じたのは、腕の中に伝わる「柔らかすぎる体温」と、鼻先をくすぐる「甘い花の香り」だった。

「……んぅ、だーいーち様……あと、五分だけ……」

 寝ぼけた声と共に、胸元にすり寄ってくる小さな頭。


 昨夜、雷に怯えて俺のベッドに潜り込んできた美雨が、まだそこにいた。

(……夢じゃなかったのか、これ)

 俺のTシャツ一枚になった美雨は、シーツの海の中で無防備な足を俺の脚に絡ませている。


 天真爛漫を通り越して、もはや野生動物のような懐き方だ。


 だが、その寝顔は驚くほど穏やかで、昨日までの「攻略大作戦」のような力みは一切感じられなかった。

「……起きろ、美雨。もう朝だぞ」

「……む。おはよーございます……って、ひゃあああああ!?」

 目を覚ました瞬間、自分がいま置かれている状況を理解したらしい。


 美雨は弾かれたように跳ね起き、ベッドの端まで転がっていった。

「だ、大智様! これは、その、不可抗力です! 美雨の体が、大智様の強力な磁力に引き寄せられてしまったというか、地殻変動の影響というか!」

「地殻変動でベッドの中まで入ってくるか。……ほら、さっさと着替えて飯にするぞ」

 俺は真っ赤な顔をして言い訳を並べる彼女の頭を、ぽん、と軽く叩いた。


 すると美雨は、一瞬だけ呆然とした後、愛おしそうに目を細めて「えへへ」と笑った。

◇◇◇


​「……よし。美雨、今日は俺が作るから、お前は座ってろ」

「ええっ!? メイドの仕事を奪うなんて、大智様はなんて悪い人なんですか! お仕置きに、美雨が後ろから全力で応援(ハグ)しますよ!」

​「それが邪魔だって言ってるんだよ……!」

 結局、並んでキッチンに立つことになった。


 美雨は自分の服がまだ乾いていないという理由で、引き続き俺のオーバーサイズなTシャツを着用し、その上にフリル付きのエプロンを締めている……破壊力が、高すぎる。

「大智様、卵を割る時はですね、こう、優しく包み込むように……愛を込めてっ!」

「愛を込めすぎて潰すなよ」

「失礼な! 美雨の愛は、形になっても壊れないんです!」

 そんな軽口を叩き合いながら、二人で目玉焼きを焼く。


 ふとした拍子に、狭いキッチンで肩が触れ合う。


 昨夜、あの暗闇の中で彼女が漏らした「嫌ですか?」という問いかけを思い出し、不意に心臓の鼓動が速くなった。

「……美雨。昨日の夜のこと、覚えてるか?」

 俺が何気なく尋ねると、フライパンを見つめていた美雨の動きがピタリと止まった。

「……えっと、どの部分でしょうか。美雨が雷でキャーキャー言ったところか、それとも……大智様の腕の中で、世界一幸せな気分で眠ったところか」

​「……後者だ」

 美雨はゆっくりとフライ返しを置き、俺の方を向いた。


 Tシャツの裾を両手でぎゅっと握り、少しだけ上目遣いに俺を見つめる。

「……全部、覚えてます。大智様が、美雨の手を握り返してくれたことも」

「……」

「美雨、決めました。今日からはメイドとしてだけじゃなくて、一人の『柊美雨』としても、


 もっと大智様を困らせちゃうくらい……アタックすることにしますっ!」

 そう言って、彼女は俺の頬に、羽が触れるような軽いキスをした。

「っ!? お前、いま……!」

「あー! 目玉焼きが焦げちゃいます! 早く、早く大智様!」

 照れ隠しに大騒ぎしながら、彼女はキッチンを駆け回る。


 その耳の先が、朝焼けよりも鮮やかな赤色に染まっているのを、俺は知っている。

 お泊まりイベントを経て、柊美雨の「距離感バグ」は、いよいよ引き返せない領域へと突入したらしい。

「……いただきます」

「はい、召し上がれ! 隠し味は、昨夜の思い出ですよっ!」

 宮本家の朝食は、いつもの数倍、甘ったるい味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る