第2話学校では赤の他人……なんて、できるわけなかった
「……いいか美雨。もう一度言うぞ。学校では俺たちは『ただのクラスメイト』だ。不用意に近づくなよ。いいな?」
登校路、校門の百メートル手前。俺は念を押すように美雨に向き直った。
宮本家の一歩外に出れば、美雨はただの「柊さん」だ。
それも、学年トップクラスの美貌と、誰にでも明るく振る舞う社交性から『学園のひまわり』と称される人気者である。
「むー。大智様は美雨と一緒に歩くのが恥ずかしいんですか?」
「逆だよ。お前の親衛隊に消されたくないだけだ」
「大丈夫ですよ! もし襲撃されたら、美雨がこのフライ返しで……」
「どこから出した!? 没収だ、没収!」
美雨がスカートのポケット(四次元なのか?)
から取り出した調理器具を回収し、俺たちは別々に校門をくぐった。
二限目の休み時間。俺が自席で次の授業の準備をしていると、教室がにわかに騒がしくなった。
「おーい柊さん、次の移動教室、一緒に行こうぜ!」
「柊さーん、昨日のテレビ見たー?」
案の定、美雨の周りにはすぐに人だかりができる。
彼女は「えへへ、行こう行こう!」「見たよー、面白かったよね!」と、いつもの天真爛漫な笑顔を振りまいている。
(……よし、完璧に『普通のクラスメイト』だ)
俺は少しの安心と、胸の奥に生じたわずかな「寂しさ」に蓋をして、教科書を開いた。
その時だ。
「……あ、大智くーん! 消しゴム、貸してくれないかなっ?」
心臓が跳ねた。
美雨が、人混みを割って俺の席までやってきたのだ。
周りの男子たちの視線が、一斉に俺に突き刺さる。
「……柊さん、消しゴムくらい自分で持ってるだろ」
「あちゃー、バレちゃいました? 実は今朝、大智様の部屋に……じゃなくて、お家に忘れちゃったみたいで!」
今、「大智様の部屋に」って言いかけたよな!?
教室の温度が数度下がった気がした。
美雨は俺の返事も待たずに、俺の机に身を乗り出してくる。
「ね、いいでしょ? お・ね・が・い」
上目遣い。
家で見せるものとは違う、少しだけ「猫を被った」可愛らしい仕草。
だが、机の下で、彼女の足が俺のローファーをコツンと小突いた。
『無視したらバラしちゃいますよ?』という無言の脅迫だ。
「……ほら、これ使えよ」
「わーい! さすが大智くん、大好き!」
「大好き」という言葉に、教室中が静まり返る。
美雨は周囲の凍りついた反応などお構いなしに、俺の消しゴムを宝物のように抱えて、自分の席へと戻っていった。
◇
放課後。
俺は美雨との約束通り、人気のない旧校舎の裏庭で彼女を待っていた。
しばらくすると、パタパタと小走りの足音が聞こえてくる。
「お待たせしました、大智様ーっ!」
「美雨……お前、教室であんな目立つことするなって言っただろ。消しゴムなんて誰にでも借りられただろ」
俺が軽く説教を始めると、美雨は消しゴムを返しながら、ふいと顔を背けた。
朝の明るい表情はどこへやら、少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせている。
「……だって、大智くんが、他の女の子と楽しそうに喋ってたから」
「はあ? 委員会の連絡を受けてただけだろ」
「それでもです! 大智様の隣は美雨の指定席なんです! 他の誰かが座るなんて、美雨が許しません!」
そう言って、彼女は俺の制服の袖をぎゅっと掴んだ。
天真爛漫な彼女が時折見せる、強引で、それでいて壊れそうなほど必死な独占欲。
「……美雨」
「……美雨のチャージが切れたので、補充してください。今すぐ」
彼女は目を閉じて、顔を上に向ける。
人影のない裏庭。夕陽が彼女の頬をオレンジ色に染めている。
「……ここでか? 誰かに見られたら……」
「見られたら、『宮本くんは私の婚約者です』って放送室から流しますよ?」
「……わかった、負けだよ」
俺は溜息をつき、彼女の肩をそっと抱き寄せる。
家での「ダイブ」のような勢いはない。
ただ、ゆっくりと、お互いの体温を確かめ合うようなハグ。
「……えへへ。やっぱり、大智様の中が一番落ち着きます」
俺の胸に顔を埋めた美雨が、小さく呟く。
その瞬間、彼女の耳が火が出るほど赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
強気なことを言いながら、彼女だって本当は余裕なんてないのだ。
「……美雨、帰るぞ。今日は何が食べたい?」
「フレンチトーストのお返しに、大智様の作ったハンバーグが食べたいです! ハート型で!」
「……努力はするよ」
俺たちはまた、適度とは言えない距離感で、茜色の空の下を歩き出した。
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