5.ああ、なんとなさけない

 日が落ちた町並みを、奴隷の少女を連れて歩く。

 アテはないが、とりあえず奴隷市から離れようとする。


 しかし、少女は荒く浅い呼吸をしながら、今にも倒れそうな歩き方をしており、咄嗟に足を止める。


「なあ、最後にご飯食べたのはいつだい?」

「よく、覚えてない」


 少女は表情ひとつ変えずに言う。

 僕は残金なんか考えず、普段僕が食べているものより、まだいくらか良質なスープとパンを買い与える。


「ほら、食べな」


 そう言って僕はスープとパンを置いて、一、二歩距離を取り、何もしないことをアピールする。

 少しの間を置いて、少女はスープとパンを泣きながら食べだす。


 少し離れた位置に座り、その様子を静かに眺めながら考える。


 明日からどうするか、それ以前に今日どうするかを。


 考え事をしたいのに、頭の中は

「なぜこんな馬鹿なことを!」

 やら

「あのまま見殺しにしろと!?」

 やら

「仲良く野垂れ死ぬ仲間ができたな」

 などと、ずっとうるさかった。


 銅貨一枚を眺める。

 全財産だ。


「あ、あの……ありがとう……ございます」


 ふと、食事を終えた少女が礼を言ってくる。

 衝動のまま動き、意気消沈している僕は、返事の代わりに軽く微笑む。


 すると少女はボロ切れを握りしめ、怯えながら呟く。


「っ……買って下さり、ありがとう、ございます。ご、ご主人様の如何なるご要望にもお答えっ……します」


 言い終わらないうちに、少女の目尻には涙が浮かぶ。


 勘弁して欲しい。


 しかし、少女の今まで置かれてきていた環境を考えれば、仕方のないことではあった。


 僕は少女と目を合わせ、できうる限り優しい声を出して話しかける。


「初めまして。僕の名前は、クスノキ・ハオリって言うんだ。よろしく」


 そう言って右手を差し出す。

 しかし少女は怯えて動かない。


「私の名前はフィです。よろしくお願いいたします。ご主人様……」

「うん、フィちゃんね。いい名前だ」

「それで、私は如何なる奉仕をすれば──」

「あー! 待った待った!」

「ひっ」

「あぁ! ごめん違う! いや違くないけど!」


 あまりにも怯えられすぎている。

 懸命に無害を主張する僕の姿は、傍から見ればどれほど滑稽なのだろう。


「それならば、ご主人様はなにゆえ私をお買いになられたのですか……?」


 少し悩み、正直に話す。


「あーうん、かな」

「目、ですか?」

「そう、目。君は真っ直ぐこっちを見続けた。そして情けないことに、僕は君を見なかったことにして立ち去ることはできなかった。それだけ」

「それだけ……ほ、ほんとうに……?」


 少女──フィは、明らかに困惑の表情を浮かべている。

 それもそうだ。急に誰かを信じることなんて、できっこない。


「ただ一つ、君に謝らなくちゃいけないことがあるんだ」

「そ、そんな。ご主人様が私に謝るようなことなんて……!」

「いや、あるよ。ごめんね、フィちゃん。今日は野宿するしかないんだ」

「──全然、そんな! 買い取っていただき、暖かい食事までくださっただけで十分です! このフィ、ご主人様がお迎えに来てくださるのを、ちゃんと、ずっと! お待ちしております! だ、だからどうか、必ず迎えに来てください……ここで、ずっと待っていますので……」


 そしてフィは、また泣きそうになる。

 どうも盛大に勘違いをされているようだ。


「ああ、違うよフィちゃん。いや、野宿は違わないんだけども。君だけじゃない、僕も野宿だ」


 そして僕は、手元の銅貨一枚を誇るように前に突き出す。


「銅貨一枚が僕の全財産さ! 君を買うのに、ほぼ全財産使い果たしちゃったからね!」


 そう告げた時のフィは、とてもかわいらしいキョトンとした顔をしていた。


 ⸻


 ◆◆◆◆◆


 ⸻


 ほぼ無一文、野宿発言の後から、フィの態度は若干柔らかくなったように見えた。


「では、ご主人様は故郷に帰る為に探索者をしていると?」

「そう。まぁ、目処すら立ってないんだけどね」

「沢山お金が必要なのですか?」

「あー、うーん……うわ、具体的には考えたことなかったや」

「差し出がましいようでしたら……大丈夫ですか? ご主人様」


 心配されてしまった。それも、かなり真剣に。


「いや、ちゃんと考えたことなかったのはさ、ちょっと特別なんだ。僕の故郷は」

「特別、ですか?」

「そう。多分、魔法とか、そういう普通じゃない手段を使わないと、帰れないんだ」

「ご主人様の故郷は一体、どのようなところなのですか?」


 悩む──僕はフィに、どこまで語るべきなのだろうか。

 この世界で初めて、ここまで長く言葉を交わした少女に。

 僕の話を真剣に聞いてくれている、この純粋な少女に──


「僕はさ、この世界とは別の世界線から来たんだ。僕のいた世界はさ、迷宮なんてないし、魔法もない、化け物もいない。少なくとも、僕の住んでいた場所は奴隷制もなければ貴族もいない。命の危険とは、かなり距離の離れた世界だったんだ」


 突拍子もないことを口にしているな、と我ながら思う。

 しかし、一度口から出た思いは、止まらなくなっていく。


「そんな平和な世界で生きてたはずなのにね。起きたらこの世界に、たった一人放り込まれてたんだ。迷宮、化け物、悪意ある人間。正直、散々だよ……ほんと……ほんとうにね……」


 話していて涙が出そうになってきた為、悟られないよう、さりげなく顔を伏せる。

 奴隷の少女を前に、僕は何をしているんだろうか。情けない。


 すると、暖かく柔らかい感触が僕を包んだ。

 フィが、その小さい体を大きく広げて、僕を抱いていた。


「ごめんなさい、ご主人様。正直、仰ってる事の半分以上は理解できませんでした……けど、ご主人様が一人で大変な思いをしているのだけは、分かります」


 ああ、なんと、なんと情けないのだろうか、クスノキ・ハオリ。


 偽善で助けた奴隷の少女に、慰められるなど。

 そう頭では分かっていても、僕を包んでくれている暖かい温もりを、振り払うことはできなかった。


 少しして冷静になり、咄嗟に僕はフィから離れる。


 今なら、自己嫌悪で死ねる。


「えっと、その……ごめんね、フィちゃん。変なこと言って……」

「こ、こちらこそすみません。奴隷の分際で、差し出がましいことを……」


 沈黙は重く、羞恥で体は焼けている。

 僕は何とかこの空気を変えようと、咄嗟に、思っていたことを口にする。


「な、なぁフィちゃん。その“ご主人様”っての、やめないか? その、あれだ、恥ずかしくてさ」

「わ、分かりました。えと……クスノキ様?」

「うーん、できれば“様”もない方が嬉しいんだけど……まぁいいか」

「わ、私からも一つ、よろしいでしょうか……?」

「もちろん」

「フィ、と。ただフィとお呼びください」

「うん、分かったよ。フィ」

「ありがとうございます。クスノキ様」


 そしてフィと僕は、目を見合わせて笑う。

 明日も知れぬ身同士だというのに、楽しそうに。


 ふと、フィが話し出す。


「クスノキ様は、元の世界に帰る方法を探している段階なのですね」

「うん、そうだよ」

「こんな言い伝えをご存知ですか? 『迷宮の最下層にたどり着いた者は、願いが叶う』といった言い伝えが、昔からあるんです」


 その言葉に、僕は色々な意味で沈黙する。

 どうやら僕は──


「なぁ、フィ。迷宮ってのは、何層もあるのか?」

「え? それはもちろんですよ、クスノキさ……ま……」


 言い切らないうちに、フィの表情は驚きに変わる。


「そうかぁ。それもそうか。迷宮なんて名前で、一層構造なわけないよなぁ」

「クスノキ様、ご、ご存知なかったのですか!?」

「ああ、その反応。やっぱり知ってて当たり前の常識なんだね……」


 どうやら僕は──

 奴隷の少女より、世間知らずらしい。



 ◇◇◇◇◇



 奴隷の分際で、ご主人様──クスノキ・ハオリ様に不寝番を任せて、私、フィは眠りにつく。


 こんなことを許されるなんて、夢にも思っていなかった。

 奴隷にされたあの日からずっと、ずっと。

 時に殴られ、時に蹴られ、時に放置され続けてきた私は、きっとこれからもこうなんだと諦めていた。


 仮に誰かに買われたとしても、慰み者か、あるいは今のような扱いか。

 どちらも嫌で、どちらも大差ないな、なんて漠然と思っていた。


 ご主人様と目が合ったのは、たまたまだった。


 そして、その目が、とてもとても見覚えのある悲しみに満ちた目をしていて、目が離せなかった。


 一時期、同じ檻に入れられていた子と。

 毎日毎日、帰りたいと泣いていた子と同じ目を、檻の外にいる、一人で生きていけそうな人がしていたのだ。


 案の定、ご主人様は帰りたがっていた。


 帰りたいと、つい先程会ったばかりの奴隷に打ち明けてしまうほどに、追い詰められている。

 だというのにご主人様は、私に有り金を全て使い、私を買い取り、暖かい食事をくれたのだ。


 なんて優しくて、苦労しそうな方なのだろう。

 奴隷なんぞが差し出がましいかもしれないが、願わくば、ご主人様──クスノキ・ハオリ様のお傍にいつまでもいて、支えていたい。


 そう願いながら、私は本当に久しぶりに、深い眠りについた。

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