4.おろかなあまさ
迷宮探索を初めて数日がたったが、初日以降は蟲の化け物にしか遭遇せず、宿代、消耗品、食費といった諸々で常に差し引きゼロといった具合で特にこれといった良い変化は無かった。
強いて言うなら、剣を振り慣れただけだ。
そして、今日、僕は意を決し赤い森から出ることを決意する。
蟲以外の多少金になる何かを手に入れないと何も変わらず、帰る目処なんて到底立たない。
──というのは建前で、致命的に何らかのミスを犯したり、面倒な人間に目をつけられる前に、多少の余裕を作りたいというのが一番の本心であった。
ここ数日、素材を買い叩かれ笑われ続けてる僕はおそらく管理所の常連には顔を覚えられてるだろう。
あそこにはろくな奴は居なさそうだった。
できる限り早く金を貯めて、もう少し治安のいい場所に移動し、余計な心配をせずに迷宮探索に力を入れたい。
今後の理想を胸に、僕は勇み足で腐れトレントの縄張りだったと思われる、赤く変色していた森を抜ける。
周りを十分警戒しながら、一歩その境目の向こう側に足を踏み入れる。
その瞬間──草むらから、灰狼が次々と顔を出してくる。
「なん、で……?」
──バカみたいだ。
咄嗟に自分の口から漏れ出た言葉を、他人事のように嘲笑う。
警戒していた。なんて言っても、所詮魔法も、冴え渡る勘も無い。ついこの間まで平和に暮らしてた高校生が、必死に周りに目を凝らしていただけだ。
野生の狩人たる狼を見つけられるはずがなかった。
「けど、なんでわざわざ姿を表したんだ……?」
その疑問に答えるように、最初の日に見た一回り大きい灰狼が僕の正面に立っていた。
その目は、獲物を狩る目をしていなかった。
その目は戦う目をしているように見えた。
「つまり、なんだ。縄張り争いのつもりなのか?」
コイツは、あの大きい灰狼は、僕が腐れトレントを倒したことに勘づいていて、新しい赤い森の主だとそう思ってるのか?
そう考えながら足を一歩前に出す。
一番大きい灰狼は目つきを鋭くし、周りの狼たちは一斉に姿勢を低くした。
もう一歩踏み出せば、一斉に飛びかかって来るだろう。
「ははっ」
笑いがこぼれる。地上では散々バカにされ、迷宮では畜生どもと同列に扱われ、縄張り争い……。
「どいつもこいつも! 馬鹿にするなァ!!」
心の底から叫び、走り出す。
心の底からムカついているが、やけに頭は冴えており、一斉に飛びかかってくる狼どもの中で一番小柄な奴の頭に剣を叩きつけ、そのままそいつの方に走り抜ける。
狼は痙攣したままその場に落ちる。
僕はある程度走って足を止める。振り返ると、狼はまた飛びかかってきている。
しかしタイミングは完璧ではない。
最初、三番目、五番目。
必死に飛びかかりを避けつつ、甘えた奴の頭に剣を叩きつける。
避けては潰し、避けては見極め、避けては潰す。
動き続けてるせいで肺が痛み、口の中に血の味がしてくる。
それでも、確実に一匹ずつ数を減らせている。
「いける……! いける!!」
しかし、限界はくる。
叩きつけで体勢を崩したところに一番大きい狼が飛びかかってくる。
「左っ!」
気づいていても、体は反応できない。
容赦なく狼は僕の左手に噛み付く。ミシミシという音が聞こえる気がする。
「あぁあああ!!」
痛い、痛い、痛い!!
痛みと疲労で視界が揺らぐ。しかしその揺らぎは更なる痛みで晴らされる。
そこで、ある事実に気づく。
「はっはは、もう、お前一匹か……」
一番大きい灰狼に噛まれてるのに追撃は無かった。もうこいつ以外は皆潰し終えていたのだ。
そうとわかると理性が痛みを上回る。幸いにも噛まれてる左手は手甲の上からだ。手甲の留め具を外し、蹴りを入れると同時に強引に引き抜く。
「痛っづ!!」
上顎の牙こそ手甲で守れていたが、下顎の牙はそうではなかったため、強引に引き抜いた代償として左手首は盛大に傷ついていた。
「はっはは、血管だかなんだか切れてないといいけど」
体勢を立て直した狼は今一度、飛びかかってくる。
しかし、遅い。
右手一本で剣を持ち叩きつける。片手な分威力が足りず狼は生きている。
だから、もう一度叩きつける。さらにもう一度、さらに一回、さらにもう一度。
原型が無くなるくらい叩きつけた辺りでやっと、手を止める。
辺りには頭を潰された狼の死体が散乱していた。
あたまがぼーっとする。
その場にへたりこみ、バッグから止血剤を取り出す。
「えー、飲むんだっけ、かけるんだっけ……」
買った時説明された気もするが思い出せない。とりあえず両方行っておき、傷に包帯をきつく巻き付ける。
喉が乾いた、とバッグをひっくり返す。
「うわ、飲み物持ってきてねぇや……」
凄惨な光景を前に、酷く呑気なことを呟いたことまでしか、僕は覚えていなかった。
◆◆◆◆◆
目を覚まし、事態を飲み込み自分に酷く呆れる。
「迷宮で一人で気絶するなんて……」
生きてることが奇跡だ、しかし奇跡はそれだけでは無い。目の前には狼どもの死体が転がっていた。
重い体を起こし死体を捌いていく。
「これ、僕がやったのか……」
一心不乱に叩いていたが、改めて振り返るとかなり酷い光景だった。
叩きつけというのが特に良くない。
死骸がかなりえげつない感じに仕上がっている。
「確か……牙と目が高く売れるんだったっけな」
眼球をくり抜き、牙を引き抜く。少し吐きそうになりつつも傷つけないよう丁寧に作業をしていく。
肉と骨は惜しいが持ち帰り切れない。バッグのサイズもそうだし左手もほぼ使い物にならないせいで抱えることもできない。
このまま自然に帰ってもらうしかない。
僕は、自分が自分の都合で殺したというのに死体に手を合わせていた。
「さて、帰ろう」
目も牙もかなりの量だった。きっとかなりの売値になるだろう。そう思うと、左手の痛みは和らぎ、自然と帰る足は弾んでいた。
◆◆◆◆◆
「あー、うん。灰狼の目と牙が八匹分。んで大灰狼の目と牙が一匹分ねぇ。そうさな、総額銀貨五枚って所だ」
いつものにやけヅラだ。せっかくかなりの額を稼げたと言うのに腹が立つ。
しかしここで問題を起こしても絶対いいことは無いので無言で立ち去る。
前向きに考えよう。左手こそ負傷したが過去一の収益、大きな一歩だ。
金を握りしめて消耗品を補充し、酒場に向かう。
「セットとエールを一つ」
今日くらいはいつもよりいいものを頼んでもバチは当たらないだろうと。前々から少し気になっていたエールを頼んでみる。届いた品はいつも通り、薄いスープに硬いパン、しなびたリンゴのような果実だったが、木のジョッキに入れられたエールだけは違った。
「この匂い、やっぱアルコールだよな……」
意を決し口に含む。
「うぇ、まずい……」
何と不味いことか!昔勝手に飲んだビールよりももっと粗悪な味がする気がする。
それでももう一度飲む、やっぱり不味い。
「頼むんじゃ無かったなぁ……」
そんな事を呟きつつ、勿体ない精神で飲み干す。
その後のいつもの食事は、アルコールのおかげが、あるいは単純に稼げて浮かれてたのは分からないが、いつもよりはマシな気がした。
酒を飲み切り、食事を済ませた僕は帰りながら今の所持金確認する。
銀貨が五枚と銅貨が四枚。
ここ数日銀貨三枚前後だったの考えると凄まじい進歩だ。
我ながら良くやったと思う。誰かに褒めてもらいたいくらいだ。
今まで真っ暗だった異世界での生活に初めて希望の光が見えたものだからついつい足取りは軽く、なんなら鼻歌でも歌おうとするが──
「あの人だけはやめて! おねがいだから!! いやぁぁぁぁぁ!!!」
「やかましぃ!」
叫ぶ女性と、それを殴って黙らせる男。
奴隷と奴隷商だ。
いつもの酒場からの宿への帰り道の途中には奴隷市がある。
酷く不衛生で、非道徳的で、いつも誰かしらが叫び、泣いている。どこまでいっても理解できない最悪の場所。
「もう、ここまで歩いてたか」
心も体も急速に冷えていく。たかが銀貨数枚で何を喜んでいたのか。まだまだ帰る目処も立っていないと言うのに。
また、奴隷が叫んでいる。評判の悪い買い手にでも買われたのだろう。吐き気がする。気持ちが悪い。
耐えきれず、顔をそらす。
顔をそらした先には檻に閉じ込められた少女がいた。
その少女と僕は、確かに目が合った。
とっさにその場から走って逃げ出す。
──なぜ?
自分で自分に聞く。赤の他人と目が合っただけでなぜ僕は逃げ出してるのか。
今まで必死に目を背けてたのに、たまたま浮かれてた時に偶然目が合ってしまって気まずかったから?
奴隷という明日も定かではない立場に自分よりも年下の少女がいるこの異世界が許せなかったから?
その少女の目がとても、とても寂しそうでまるで────
「お゛ぇ゛ぇ゛ぇ、ぐぅっ」
ひたすら走って、走って、限界が来てその場に先程胃に入れた物をぶちまける。
しかし、吐いたお陰で何とか踏みとどまれた。
それを、認めるわけには行かない。
震えながら通り過ぎた宿に戻る。
自分に言い聞かせるようにこれからの行動を口にする。
「元の世界に帰る為に宿に帰る明日も迷宮に行かなきゃならないから今日も寝なくちゃいけない体調は万全にしておかないといつ死ぬか──」
死ぬ。
もしかしたら、あの少女は明日、あの檻の隅で冷たくなってるかもしれない。
ただ冷たくなってるならまだいい、その体は痣だらけに──いや、想像を絶する傷を負わされ隅に捨てられてるかもしれない。
僕は宿の前を通り過ぎ、奴隷市の方へ向かっていた。
ただたまたま目が合っただけの少女だ。
しかし、たまたま目が合ってしまったのだ。
僕は、見なかった振りをして全てを忘れて眠れるほど、強い人間では無かった。
奴隷市に戻ってきて先程の少女を見つける。
乱雑に伸びた生気のない白い髪。
申し訳程度のボロ切れを一枚身につけ、体は酷くやせ細り、手足は傷だらけだ。
どれだけ酷い生活を送っているのかは考えたくなかった。
少女は僕に気がつくと、先程と同じように真っ直ぐとこちらをただ見ていた。
何も言わずに、何もせず、ただじっと。
目を合わせているだけで心が掻き乱される。
僕は、金の入った革袋を握りしめ奴隷商に声をかける。
「おい、あの白髪の少女は幾らだ」
「あん? なんだガキんちょ……冷やかしなら……いや、ふむふむふむふむふーむ。探索者だな、あんた。それも何回かちゃんと生還してる」
「どうでもいいだろ、幾らだ」
奴隷商は、僕が今まで見てきた人間の中で最も下卑な笑みを浮かべる。
「本当なら金貨一枚なんですがぁ……見ての通り売れ残ってましてね。銀貨五枚、五枚でどうでしょ」
色々と思うことはあった。僕の所持金を見透かしたような言葉、今日の宿代、引き取ってどうするか。
それら全てを読み込んで僕は男に銀貨五枚を渡す。
すると男は、僕の手の甲に自分の手の甲を押し付けてきた。気色悪くてとっさに離れる。一瞬、手の甲に印のような物が見えた。
「これで契約は完了です」
「……今のは」
「おやぁ、奴隷購入は初でしたかぁ。今のは所有者の印を私から貴方に移したんですよ。これで、あの少女は貴方に逆らえません。どんな、どんな命令でもその命尽きるまで聞きますよ」
少女が連れてこられる。僕を見続けている。無言で。
「駄目になったらまた何時でもお越しくださいねぇ、探索者様」
奴隷商は最後までその下卑な笑みを浮かべ続けていた。
こうして僕は、有り金の大半と引き換えに奴隷少女を手に入れた。
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