3.新人探索者の代償
銀貨一枚を対価に、僕は無事、異世界で朝を迎えることが出来た。
全財産は銀貨九枚。
昨日、町を歩いてみた限り、食事に銅貨二、三枚、剣に銀貨一枚、魔道具は金貨五枚といった具合で、明らかに楽観視できる額ではなかった。
というか、魔道具が金貨五枚ということは、あのネックレスも同じくらいだと仮定すると、自分は概ね五分の一の価値で手放したことになる……。
考え方を変えよう。僕の命は金貨四枚であった。
これもこれで嫌だ。
無駄な考えをやめ、昨日のことを思い出す。
確か、迷宮同盟なる組織がこの町にはあるらしい。
迷宮同盟第十五区管理所。
名前からして公的機関めいたものだろう。そこに行けば、探索者登録ができ、宿の手配も変えられるらしい。
それに、一番重要なのは情報が手に入るはずだ。
登録所があるのなら、初心者向けの手引きくらいは──そう願いながら、僕は宿を出た。
◆◆◆◆◆
迷宮同盟第十五区管理所で用件を済ませた後、空腹は限界に達していた。
一番マシそうな酒場の隅で、血なまぐさくて騒がしい探索者たちを避けつつ、酷く不味い食事をとる。冷めた薄いスープ、硬いパン、しなびたリンゴのような果実。これで銅貨三枚取られるのだから最悪だ。何より、これがこの町では普通の水準らしい。
元の世界と比べるべきではないと分かっていても、舌は言うことを聞かず食べるのが嫌になっていく。スープで無理やりすべてを流し込み、一息ついて今日一日を振り返る。
結論から言えば、最悪だった。
「探索者登録? はいはい、銀貨一枚ね」
「クスノキ・ハオリ? 変な名前だな」
「ほれ、登録証だ。無くすなよ。再発行が面倒だ」
「宿? 勝手に探しな」
「迷宮同盟が何かって? はっ、そこまで世間知らずの馬鹿とはねぇ……情報もタダじゃねぇぞ。ガキ、その握りしめた銀貨よこさねぇなら失せな」
明らかに僕を舐めている。ただそれ以前に普通に態度が悪かった。
分かる範囲で建物内を見回すと、ここが公的機関に近い存在であるのは間違いないが、とにかく杜撰だ。何もかもが投げやりだ。
周囲の探索者は気が荒く、目が合えば殴られかねない。窓口の対応はおざなりで、掲示板に貼られている依頼はどれも古ぼけている。大抵の探索者は窓口の男に金を握らせ、依頼書を受け取っていた。
そのせいで、この迷宮同盟証が具体的にどんな効力を持つのかさえ分からない。
銀貨一枚払って身分証が作られたのだろうと、そう願うしかなかった。
僕は早々に諦めた。情報収集は無理だ。金も経験も、度胸も足りない。
必要なのは金で、金を得るには迷宮に行くしかない──。
しかし、腐れトレントに襲われたときの記憶がむくりと蘇り、傷が痛んで足が竦む。次は奇跡など起きず、死ぬかもしれない。
恐怖が心を冷たく凍らせ、どこまでも沈んでいく。
けど、それでも僕は、こんな世界で死にたくない。
何としても帰る、帰るんだ……!元の世界に!!
強く握りしめた拳から、血が滲んでいた。
◆◆◆◆◆
革製の防護服、剣、包帯、止血剤、荷物入れ。
荷物入れが本当に必要なのかと、僕は改めてため息をつく。
この世界では化け物を殺しても、勝手に戦利品化されず、価値ある箇所や必要な部位を探索者自身が剥ぎ取って持ち帰らねばならないらしい。無論、僕に異次元の収納能力などはないため、持って帰れる量は有限だ。
必要最低限を揃えたつもりでも、残った銀貨はたった三枚だった。
三枚。宿三日分である。
当初はあの高い宿をやめ、迷宮同盟下の宿に移るつもりだったが、管理所の体たらくを見て信用できず、高い金を払ってでも安全を買うということで、今の宿に泊まることにしたのだ。
迷宮の化け物はどれくらい強いのだろう。何を持ち帰れば金になるのだろう。まず、死なずに帰ることはできるのか。
不安は膨れ上がり、迷宮に進む足はますます重くなる。
誰かに助けを求めたい。気を抜けば涙が零れそうになる。
しかし、数日で分かったことがある。この世界で他者を頼ることはできないということだ。
この世界は弱者を徹底的に搾取する。気を抜けば取り返しのつかない状況に落とされかねない。
やるべきことは、帰るために金を確保して、心身が限界を迎える前にある程度の余裕を作ることだけだ。
そう自分に言い聞かせ、危機的状況であることを頭に叩き込む。
迷宮同盟第十五区第二番入口。
幸いなことに、ここは今も人が寄り付いていなかった。
意を決して、階段を降りる。
金を手に入れるために。今後の自分のために。
◆◆◆◆◆
まっすぐ飛んでくる、ムカデのような蟲の化け物に剣を叩きつける。
「これじゃ剣というより鈍器だなっ!」
ぐしゃりと頭を潰された蟲が地面に落ちる。
迷宮に降りたあとの僕は、以前目覚めた時に襲ってきた蟲を一匹ずつ丁寧に釣り出して頭を潰している。
ぐしゃり。
これで十匹目だ。
蟲の鋭そうな牙をもぎ取りバッグに詰める。
迷宮に来るまでの憂鬱が嘘のように心身ともに健やかに蟲の頭を潰していた。
以前と違い、赤黒い林には化け物がちらほらと見えた。
大方この前の、腐れトレントとやらが死んだことにより戻ってきたのだろう、それでも比較的少ないように見える。
お陰で落ち着いて一匹ずつ処理をすることができる。
売れるかは分からないがとりあえず片っ端から潰しては適当な部位をバックに詰める。
しかし、いつの間にか蟲共が全ていなくなっていることに気づいた。
「嫌な予感が──」
そうつぶやこうとした瞬間、近くの茂みから何かが飛び出してきた。
咄嗟に手に持っていた剣で叩き落とそうとする。
しかしそれを簡単に避けられ、茂みから出てきた何か──狼に右足を噛まれる。
「っあ!くそっ!」
咄嗟にバッグの中身の蟲の牙を狼の目に刺す。
仰け反った狼に追い打ちをかけようと体勢を立て直そうとする。
しかし、背中に強い衝撃を受け立て直すどころか地面に倒れ伏してしまう。
「っ!二匹目!?」
否、今体当たりしてきた狼の後ろに一回り大きいのがもう一匹居た。
三対一。
三匹の狼はゆっくりと僕の周りを歩いている。
あれは明らかに獲物を狩る目だ。
今少しでも動けば、三方向飛びかかられて食い散らかされるだろう。
一番大きい狼の両目を睨みつけ互いに牽制し合う。
状況は最悪だ。鈍器一本ですばしっこい狼三匹なんて到底相手できる気がしない。
大きい狼は相変わらず睨みながら周りを歩いているだけだった。
最初に動いたのは、先程目を潰した狼だった。
リーダー格の一番大きいのが特に何も指示出していないのを見るに、おそらく痺れを切らしたのだろう。
馬鹿正直に一匹で真っ直ぐ飛びかかってくる狼に無理やり剣を叩きつける。
「くそっ、殺れなかった!」
変な姿勢からの叩きつけだったせいか、殺しきれなかった。
しかし、片目を潰され剣を叩きつけられた狼が重症なのは明らかだった。
崩すならここしかない。
頭の片隅にそのことを置きつつ、大きい狼を睨みつけながら声を張り上げる。
「来るなら来やがれっ!叩き潰して僕の戦利品してやる!!」
虚勢だ、何かの間違いで大声に驚いて逃げるみたいなことが起きればいいなくらいには思っていた。
しかし、逃げるよりも奇妙なことが起きた。
大きい狼が動く。
咄嗟に剣を握りしめ飛びかかりに対応しようとするが、大きい狼は僕がボロボロにした手負いの狼の方に飛びかかると、そいつを容赦なく噛み殺したのだ。
「はぁっ、?仲間、割れ?」
口に血を滴らせた大きい狼はこちら睨み続けたままゆっくりと後ずさりする。
片割れもまた同じだ。
負けじと僕も狼の両目を睨み続ける。
互いに距離がどんどん離れて行き、やがて狼の姿を僕の視力では判別できないくらいに遠くなる。
「見逃された……?」
恐る恐る噛み殺された狼の死体に近づく。
罠にかかったと言わんばかりに飛び出してくる影などもない。
「勝手に動いた奴を罰したということなのか?」
狼共のルールなんてのは分からない、しかし明らかにこいつは一人で僕に飛びかかり返り討ちにあった。
人の尺度で考えるなら相当な愚か者だ。
「だからって噛み殺すのは……」
ここ異世界では、狼でさえも残酷なのか?いや、詳しく知らなかっただけで元の世界の狼も同じなのかもしれない。
なんて張り詰めた緊張が溶けたせいかおかしな事を考えながら、僕はその狼の死体を抱えて今日の迷宮探索を切り上げた。
◆◆◆◆◆
素材は迷宮同盟管理所で売却ができる。できるのだが……。
「
「こっちの灰狼の方もだ、目は傷ついてるし血抜きもしてない、おまけに骨が中で砕けてら」
売却口の人間が、文句をいいながら素材を見ているのを、僕はだまって眺めることしか出来なかった。
「蟲で銅貨四枚、狼で八枚。計十二枚ってとこだな!」
明らかにニヤけた面で男は言い放つ。
耳をすませば周りの探索者が笑っているのが聞こえる。
ああ、まただ。
傷だらけのガキが持ってきた素材を明らかに安い値段で買い叩く。それを馬鹿にする奴ら。何も出来ない自分。全てに腹が立って仕方がなかった。
黙って金を受け取り逃げるように管理所から出て行く。
噛まれた右足が痛む、腹が立つ、火傷が痒い、腹が立つ。
宿の主人に銅貨十枚でもいいかと許可を取り今日の分の宿泊費を払い部屋に戻る。
硬いベッドに倒れ込み、涙が出そうになるのを必死に堪える。
「死にそうになりながら、いやほとんど死んでた、運が良かっただけだ」
それで稼いだ額はたったの銅貨十二枚。
こんなの続けられる気がしなかった。
「うぅ、ぐぅっ……」
僕は何故、こんな目に合わされてるのだろう。
独りで、痛い目にも、死にそうな目にもあって、追い打ちのように馬鹿にされ……。
何もせずいるとおかしくなりそうだったので重い体を無理やり起こし、体中の包帯を変えることにする。
手足の包帯を外したところで手が止まる。
腐れトレントに巻き付かれた部位が爛れて痕になっており、更にその上から火傷の痕も残っていた。
見るも無惨になった手足を目の当たりにし、僕は蹲り、独りで泣くことしか出来なかった。
◆◆◆◆◆
夢を見る。
朝、時計を気にしながらトーストを齧り、うだうだといいながら高校に向かう自分を。
昼、友人達と午後の授業に文句を言いながら菓子パンを齧る自分を。
夜、家族と暖かな夕食をとる自分を。
深夜、友人達と夜更かししてゲームをする自分を。
何の変哲も無かった日常が最高の悪夢のように感じる日が来るなんて思ってもみなかった。
無事、朝を迎える。
目を背けたくなる事実を再確認していく。
狭い宿、痛む体。
革袋の中身を確認する、銀貨は三枚のまま。
どれだけ嫌でも、唯一安寧の場所であるここを追い出されないようにするには、迷宮に行くしかない。
帰る目処は経つ気配もない、安定した収入を得られるビジョンも見えない。
異世界生活は絶望に満ちている。
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