2.異世界
病院……だろうか。
ぼんやりとした意識の中で目を覚まし、まず自分の体を確かめる。全身を覆っていたはずの激痛は薄れ、包帯が巻かれているのがわかった。
――治療、されている。
安堵しかけたその瞬間、視線を感じた。
眼帯をした、がたいのいい強面の男が、無愛想にこちらを睨みつけていた。低く、苛立ちを隠さない声が続く。
「ガキ。てめぇの事情なんぞ知らんが、大方、迷宮探索者にでも憧れて自分から潜ったか、厄介払いで放り込まれたあたりだろ」
男は一拍置き、吐き捨てるように言った。
「選択肢は二つしかねぇ。ひとつは、そのペンダントを売って治療費にするか。もうひとつは、今すぐ迷宮に潜って治療費を稼ぎに行くかだ」
さらに、容赦なく続ける。
「――どっちも嫌なら、奴隷行きだ」
「ど、奴隷って……!」
「喚くな。俺はガキが嫌いなんだ」
心底不愉快そうに男は言い、再び睨みつけてくる。
「ほら、決めろ。その魔道具のネックレス、見る限りそこそこな品だ。拾い物か死人の遺品かは知らねぇが、売れば治療費くらいにはなる。おつりも出るかもしれねぇぞ?」
威力こそあれど、使い勝手は最悪なネックレス。というより、体中の火傷はこれが原因だ。
だが――これ以外に、自分が魔法を使える手段があるのかも分からない今、これを手放すのは――。
思考は、怒声により遮られた。
「はよ決めろ! 今すぐ奴隷商に売り払ってやろうか!?」
「ッ……売ります! だから、それだけは!」
「……ったく、うじうじして鬱陶しい」
そう吐き捨てると、男は僕を軽々と抱え上げ、建物の外へ放り投げた。続けて革袋が投げつけられる。
「二度と来るんじゃねぇぞ」
わざとらしく大きな音を立てて扉が閉まった。
革袋の中には、銀貨十枚が入っていた。
◆◆◆◆◆
……ああ、きっと買い叩かれたんだろう。
相場も分からないが、何となく察する。あのネックレスは、かなり高価なものだったはずだ。
それでも――野垂れ死には、かろうじて回避できた。相場を知らないがゆえに、損をした実感よりも、助かったという安堵の方が遥かに大きい。
だが、僕の置かれている状況が最悪であることに変わりはなかった。
前日の疲労が残る体に鞭を打ち、街を歩く。酒場、酒場、宿、武器屋、防具屋、宿、鍛冶屋、工房、宿、酒場、そして──
「奴隷市……」
人を物として扱う、理解しがたい光景だった。目を背けて歩きながら、心の中で自分自身を脅す。
あれが、自分の末路だと。
よく分からない世界で致命的に間違えた場合、間違いなく自分はあそこに並べられる—— 恐怖で足が止まりそうになるが、逆に早足でそこから逃げ去る。
いつの間にか一周していたようで、先ほど見た景色に戻ってきた。歩き回って見たところ、宿はいくつかあった。
・見た目も悪ければ客層も悪そうな宿
・見た目は多少綺麗な宿
・見た目は悪く客足も少ない裏道の宿
ここは運命の分かれ道だ。ここで選ぶ宿を間違えれば、確実に酷い目に遭うだろうと、自分でもさすがに分かった。が、分かったところで──
「見分け方、検討もつかないんだよな……」
呟いても、誰も助けてはくれない。むしろカモを見つけたと言わんばかりに絡まれるかもしれない。事実、この町を歩いているだけで時々視線を感じることがあった。気分のいいものではない。
意を決して、一番近くの宿に足を運び声をかける。
「一泊、いくらですか」
受付の男は不躾にこちらを上から下まで眺めて言う。
「あー、銅貨六枚かな」
最悪だ。店の看板には一泊銅貨三枚と書いてあったはずだ。僕のことを字も読めない奴だと思っているか、舐めているかのどちらかだろう。反論しようとすると男が嫌味ったらしく続ける。
「見るに迷宮で負けた口でしょ。死なれると困るんだよね〜、こっちも。仮に違うんだとしたらさ、まぁ分かるでしょ?」
下手に見られている。これ以上は殴りかかりかねないので、足早にそこを出て次の宿に向かう。
周りと比較すると、比較的小綺麗な宿がある。表の看板には「迷宮同盟」と書かれた札が掲げられている。
「一泊、いくらですか」
「一泊は銅貨五枚ですが……失礼ながら、迷宮同盟証をお持ちでしょうか?」
言葉に詰まる。
「もしお持ちでないなら申し訳ございませんが、宿泊はできません。迷宮同盟第十五区管理所は通りの向こう側ですので……明日以降に探索者登録を済ませた上でいらしてください」
暗に「今日は泊まれない、世間知らずめ」と言われた気がする。
残るは、見た目も悪く客足も少ない裏道の宿だけだった。
藁にもすがる思いで、またあの問いを口にする。
「一泊、いくらですか」
老齢の大男は無言で指を一本立て、聞き取りにくいしわがれた声で言った。
「銀貨一枚」
目眩がした。明らかに相場とかけ離れている。多分この町で一番のぼったくりだろう。しかし、その後に続いた言葉を前に、僕は銀貨を支払い、ここに泊まることを決めた。
「鍵は内側から必ずかけろ。ほかの宿泊客との接触は厳禁。ルールは絶対だ」
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