『神域(しんいき)』とかいう異空間、友人の部屋の先にありました。
「お、お邪魔します……」
「どうぞ。夜までは誰も帰ってこないから、気にしないでね」
すずちゃんに招かれた私は、放課後ついに彼女の家へ突入した。
夜までは誰もいないなんてわざわざ言うってことは、なにが起こってもいいってコト!?と食って掛かるオタクの自分をバールのようなもので殴り倒し、私は脱いだ靴を揃えた。
「私の部屋は2階だよ。お
すずちゃんにそう言われるが、私は動かない。
「いいえ。ここで待たせてもらいます」
「なんで?」
「すずちゃんに自分で自室のドアを開けて招き入れてもらいたいからです!」
「ワンブレス早口やめてね?」
正直な気持ちを口にしたと言うのにそう
それでも、仕方ないな、と駆けていくすずちゃん。好きだ。
戻って来た彼女は、湯気をたてるポットとでかいプリンをお盆に載せている。食べた後容器をコップとして再利用される、この辺のご家庭にはだいたい置いてあるやつだ。
「冷蔵庫にモゾロフのプリンあったから、持って来ちゃった」
そう言って『てへぺろ』するすずちゃんは反則級に可愛いけど、私は心配になる。
「誰かご家族のやつじゃないの?」
持って来ちゃったと言うからには、来客用ではないに違いない。ふつう家族の人数分を買ってくるのだから、誰かの割り当てが削られたとみるのが正しいだろう。
私の問いに、すずちゃんは笑って言う。
「お兄ちゃんの分は好きに食べちゃってもいい
「お、掟?」
「ルール無用の殴り合い。先に食べなかった人間から飢えて死んでいくの」
私は彼女のお兄さんを見たことはないけれど、ずいぶんと仲がよろしいことで。私にも弟がいるけれど、この1、2年ほどは仲が冷え切っている。部屋に籠もっていったい何をしているのか分からない彼のことを思うと、わずかに胸がずきりとする。
「すずちゃんて大人しく見えて芯が強いの、ご家庭の影響なんだね」
「えへへ」
胸の痛みを誤魔化した私を、すずちゃんの微笑みが癒やしてくれた。
そうして2階に上がり、すずちゃんは
部屋には可愛らしいネームプレートに『すず』と大書されていて、部屋の主をしっかりアピールしていた。
私は何故か咳払いして、すずちゃんに頷く――いや、なんかめちゃ緊張してきた。
「もう。こっちが恥ずかしくなっちゃう――それじゃ、お入りください」
「お、お邪魔します」
そう言って、すずちゃんがドアを開けた。
視界に飛び込んで来たのは、あまりにも眩しいザ・女子の部屋。ホワイトと薄ピンクで統一された家具や内装。そして整理されたパソコンデスク。
「すッ……」
ごい。言葉が続かず、私はしばし放心していた。
全体的には可愛らしい部屋でありながら、片隅に似つかわしくない巨大な個室ブース。簡易的な防音室だろう。これも可愛らしくステッカーなどで飾られている。
ゆっくりと、部屋に入る。お盆を可愛いテーブルに置いて、すずちゃんはわずかに胸を張りつつ、個室ブースを指して言った。
「お兄ちゃんがこういうの得意で、準備をしてくれたの。昼間に配信すると、どうしても生活音が入りやすいから……夜のゲーム配信とかはデスクでやるんだけどね」
「じゃあ、ASMRもこのブースでやってるんだ」
配信者は、いわゆるご近所トラブルと無縁ではいられない。この家は戸建てで隣家とは離れているが、集合住宅で配慮もせずやろうものなら、バトル勃発は避けられない。
すずちゃんは声も静かなほうだし、部屋自体も音楽をやっていたからか簡易的な防音になっているようだ。個室ブースは、彼女の言う通り、どちらかと言うと配信に余計な音が乗らないようにする自衛の色が強いのだろう。
夕方5時のチャイム音や、選挙カーの演説で自宅のおおよその場所が特定されるような話はごまんとあると聞く。まして、私たちは高校生だ。自衛するに越したことはない。
すずちゃんが、ブースの中を覗いて変わった形のマイクを指し示す。
「そう。今度、マイクもいいやつに買い換えたいんだけど……さすがに高校生には値段が高すぎるんだよね」
「KP百とか?」
ASMR配信で最高峰と言われるダミーヘッドマイクの名前を出したが、正直私は他に製品の情報を知らなかった。すずちゃんがいま使っているマイクも、相当高いはずだが。
頬に手を当てて、すずちゃんが頷く。
「そうそう。いま円安だし手が出ないけど、いつかは買ってみたいなぁ」
そう言う彼女は、私があまり知らない顔をしている。それがちょっぴり寂しくて、私は彼女に問う。
「……リスナーのために?」
そう。すずちゃんは、彼女を応援するリスナーを楽しませるため、こうした影の努力を重ねているのだ。配信者でない私には、想像することしか出来ない努力を。
「うん――私、こんな性格だからあんまり友達もできなかったし、パソコンでゲームとかネットばっかりしてたの。でもね、Vライバーっていう道に出会って、少しでも他の人と関わることが出来るようになった」
画面越しだけどね、と笑うすずちゃん。
「色んな人が私の活動を応援してくれて、配信を見に来てくれて……私の声が、少しでもみんなの癒やしになるのならって。大きな声を出すのは苦手だけど、逆にささやき声なら私でもやれるし」
ぐ、と腕に力を込めてみせるすずちゃん。私はその姿に、愛おしさを抑えられない。
だから、正直な気持ちを口にした。
「すずちゃんの声、とっても好きだよ」
私は、いつもすずちゃんに『好き』を直接伝えるように心がけている。
なぜって、リスナーである私たちは、画面の向こう側の彼女たち――その配信から受け取ってばかりだから。もちろん配信チャットやコメントも手段のひとつ。それでも、一番身近な私だからこそ、彼女をいっぱい肯定して応援することを忘れたくない。
私の実家の神社は、昔のどこかのタイミングで廃社になっている。その神様はいちど、誰からも忘れられかけたんだって。それでも、その神社を覚えていた誰かが、もう一度と復興させたから、その神様はいまに伝わってる。
神様が消えるのは、神社が無くなった時じゃない。誰の記憶からも消えた時なんだ。
だから、私たちは『推す』。私たちの大切な誰かが、みんなの記憶から消えないよう。――なんて、ちょっと偉そうな言い方だけど。
そんな私の心の中なんて知らないだろうけど、すずちゃんは私の言葉に穏やかな笑みで応えてくれた。
「――ありがとう、さくらちゃん」
すずちゃんの笑みに、こちらは照れくさくなってしまい目を逸らした。その目線の先に配信機材があったので、私はようやく当初の目的を思い出す。
そもそも、配信や普段の様子がおかしいから訊いた結果が、この招待だったはずだ。
「私を、家に呼んだ理由って?」
学校では話せないことってなんだろう。想像もつかない私は、ただ問うしかない。
「うん……」
しばらく俯いていたすずちゃんが、おもむろに立ち上がって、デスク横の引き出しからなにかをふたつ、取り出した。
「まずはこれを付けて欲しいの」
「これ……VRゴーグルだよね?」
VRゴーグルは大手のゲーム会社などからいくつか出ているけど、これは見たことない型式だ。商品名やメーカー名もない――ただ、桜の花の柄だけがあしらわれている。
「うん、そんなようなものだよ」
すずちゃんの曖昧な答えも気になる。
「どゆこと?」
ぐるりと見てみるが、スイッチの類いがない。パソコンとかスマホで調整するタイプのやつだろうか。促されるまま、私はポニーテールを挟まないよう、頭へと装着する。
「すずちゃん――これでいいかな?」
装着感は悪くない――以前VRゴーグルを着けた時は酔ってしまったのだが、これなら平気ではなかろうか。
すずちゃんの声だけが、真っ暗な私の視界に響く。
「ん、大丈夫。少し待ってね」
周囲を静寂と暗闇が包む。身体中をぞわぞわと鳥肌の立つ感覚が駆け巡って、少しずつ周囲の明るさが増していく。
VRゲームってこんな感じだったか? と思った、次の瞬間――
「ようこそ『
そう、すずちゃんから声を掛けられた私が見たものは――一面の玉砂利の中にそびえるとても大きな鳥居だった。
「ここは、なに……?」
すずちゃんはたしか『
私はそれを見て、思わず――後ずさった。
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