第2話 根付

 東京、本郷のとある場所に「九十九堂」はある。

南武鉄の細工かと見間違える黒塗りの玄関戸を開けると、その店の中は然程広くはない。

玄関を開けた正面には、黒地に紋を白く染め抜いた暖簾を背負った昔風情の帳場がある。

帳場は床より70〜80センチは高くなっていて、よく磨かれた手机と、その脇に船箪笥が設えてあり、客からその手机の手元は見えない。


 帳場の脇には半畳ほどの畳が敷いてあり、客はその半畳に腰掛け、店主が入れた茶を飲みながら自らが持ち込んだ品を店主に見定めさせたり、店主が披露目る品を吟味して買うか買うまいかと迷うのを楽しんだ。

その半畳の畳に置かれた座布団には今日も錆び柄の猫が寛いでいる。


 この店に新しいものはない。

「九十九堂」は、九十九甚五という男が営む古道具屋で、その孫にあたる壬午が一人でこの店の番をしている。


 錆び柄の猫は、鼈甲の簪の付喪神の借りの姿である。

このところ、その簪の付喪神の錆び柄の猫は機嫌が悪い。

簪と対の黒漆の笄が九十九堂へ持ち込まれるはずが、待てど暮らせど届かない。

最初の内は待っている様子を見せなかった猫だが、十日、二十日と日が経つにつれ、日増しに機嫌が悪くなった。

店主の九十九甚五の孫、壬午は錆び柄の猫がそれほど笄を待っていると思わなかったのだが、さすがに最近の度を越した機嫌の悪さは、黒漆の笄が原因だろうと気付いた。

そこで、以前に鼈甲の簪を売りに来た時の控えを便りに、売りに来た若い女に連絡をしたが繋がらない。


 錆び柄の猫に確認すると、どうやら名前も違っているらしい。

「あの子はね、花の名前と同じ名前だったよ。六月くらいに咲く、いい香りの。」

控えには「高嶋圭子」と書かれていた。花の名前とは明らかに違う。

身分証も確認したはずだったが、どうやら別人の名前のようだ。

当然、携帯の番号も嘘なのだろう。


 「まったく、何の頼りにもなりゃしない。」

錆び柄の猫は不貞腐れている。

 「そもそも、名前を訊いて、正直に答えると思っている方がおかしいんだ。」と腹立ち紛れに妙な事まで言う。

壬午は「名前を聞くのって、そんなにおかしな事じゃないですよ、至って普通の事ですよ。」

と猫を諭す。

むしろ偽名を使う、あなたの元の持ち主の方がおかしいでしょ?と壬午は猫に言いたいが、これ以上機嫌を悪くされたら、棚の売り物が二~三個は確実に割られるか、壊れるかしそうなので言わないでおいた。


 錆び柄の猫は客が偽名を使った事より、名前を聞く壬午を訝った。


 「名前なんて、聞かれたからって、はい、何々です、なんて教える方がおかしいんだ。

  言っとくけど、名前は”呪”だからね。そういう点であの子は正しい。」


ふうん、そういうものですか?と壬午は軽く受け流して、先日持ち込まれた小さな石の細工を見る為に、ルーペを目に当てていた。


 「そうだよ、そういうもんさ。

  そういう、あんたは何て名前なのさ?」


錆び色の猫に何とはなしにそう聞かれて、彼は素直に「壬午ですよ。」と答えてしまった。

答えてしまったあとに、錆び色の猫の「名前は”呪”」だとか何だとかが気になった。

仮にも「神」と名の付く相手に「呪」を教えたって事でしょ?と思ったが、全く相手にされなかった。


「あんたの名前使って、どんな”呪”をかけるっていうのさ、考えすぎだね。

 それより、どんな字?

 ふう~ん、その字で”じんご”って付けるってことは”みずのえうま”の生まれだね。」


と言ったあとで、「ん、待てよ、あれ?」としばらく首をひねって「まぁ、いいや」と何事か考えるのを諦めたらしい。

壬午はルーペに集中していて聞き取れず「”みずのえ”、なに?」と聞き直したが教えてもらえなかった。


 彼の祖父は「甚五」と書いて、やはり「じんご」と読む。

昔の商売屋はよく同じ名前を受け継ぐが、それはあくまでも屋号を引き継ぐのであって、祖父の名前の読みをそのまま継いでいるのは珍しい方だろう。

猫は「じゃぁ、あんたの父親はなんて名さ?」と聞くが、壬午は「ひろしとか、たかしとかそんな名前」とだけ答えた。

壬午は物心がついた時には既に祖父と二人暮らしだった。

祖父と二人暮らしの中で父親や母親の名前が出ることはなく、従って壬午は両親の名前がいつもうろ覚えなのだ。

 「今度買い付けから戻ったら、祖父にちゃんと訊いておきますから。」

壬午は「親御さんの名前も覚えてないとは、薄情な。」と憤慨している猫を宥める為にそう言うと、またルーペの中の石に集中した。


 石はうっすらと緑色を帯びた柔らかい石だった。

最初はタルクかと思ったけど、やっぱり翡翠だ。

猫がどれどれと覗きにに来る。

石にはいわゆる三猿の「言わ猿」が彫られていて、目をぎゅっと瞑って口を両手で隠して、肩をすぼめ首まで縮めているので、まるで一匹で「見ざる、言わざる、聞かざる」を体現しているようで面白い。

 「新しくはないけど、まだこの中にゃいないね。練れてないね。」

錆び色の猫は石細工にさっさと見切りをつけると、座布団の上で毛繕いを始めた。


 古いもの全てに付喪神が宿る訳ではない。長い年月をかけて、そのものの中で両手で慈しむような、人の目には見えない対流の中で育まれる。

その様子はまるで臼の中の餅のように返され返され練られていく。

錆び色の猫には付喪神はそういう風に造られるものに見えるのだと言う。

さきほどの翡翠は、錆び色の猫が見れば、まだまだ時間が必要な代物なのだ。


 壬午が店先に並べる商品の全てに付喪神が宿っているわけではない。

中には神様とは程遠い浄化が必要な何かを孕んでいるものもある。

壬午はそういうものにも出来るだけの事を施して、必要とあらば縁ある人へ渡す。


 石は時々邪を宿す事がある。

人は石に祈念しやすいし、石も人の祈念をその多孔質な性質からか受け取りやすい。

悲しい、悔しい、恨めしい、羨ましい.。

始めは羽毛の様に軽い思いが重なり重なり、重みを持つ。

それが”邪”になり悪さをする。

壬午はその重なりを時には少しずつ剥がし、時には一気に洗い流す、そんな作業もする。

さっきの翡翠も洗い流して、真綿で包んでから布で磨きあげた。

壬午は錆び色の猫が「まだこの中にゃいないね」と言うのを聞いて、(よし、上手く磨けたな)と満足した。

最近はあの猫のおかげで、仕事がスムーズに進む事が多い。

それだけに、いつまでも不機嫌でいてほしくないのだ。

最近はなんとなく眉間に皺をが寄った様な顔に見えることもある。


 翡翠の猿に合う桐箱が見つかって、磨いた翌日に平台に置けた。

元は根付けとして使われていたものだったようなので、翡翠の色に合う細い組紐を何色か取り揃えて並べておく。

九十九堂は、この組紐を言問橋近くにある工房に頼んで作ってもらっている。


 その工房は、甚五が見つけて来た、まだ若い工房だ。

壬午はいつもその組紐の繊細さと細工の細かさに惚れ惚れしてしまう。

遠い工房ではないのだから一度訪ねてみようと思いながら、毎回、メールでのやり取りしかしていない。

今年も年の瀬の予定が気になる候に差し掛かってきた。

年末の挨拶に行くか、年始に行くか、それとも全く何もない時期に行くか。

どういう形がスマートだろうと気になると、なかなかタイミングが図れない。

確か、去年もそんな事を迷った気がする。

(ま、今度帰った時に相談してから行くか。)

壬午は工房を見つけて来た甚五の帰りを待って相談することにした。

帰りはいつ頃だろうかとカレンダーを眺めながら、壬午は帰って来て猫がいたら驚くかな?と少し心踊る気持ちがあった。

祖父は年末年始には必ず家にいる。

壬午は、錆び柄の猫を早く祖父に会わせたかった。


 根付け用の細い組紐を丁寧に並べ終えて、同時に在庫を確認しながら次回の発注の色を考えていると、「カラリ」と玄関の戸が開く音がした。

振り向くとあの鼈甲の簪を持ち込んだ若い女が立っていた。

壬午は平台の前に立ったまま「いらっしゃい」と声を掛けた。

女は「こんにちは。」と挨拶しながら平台に寄って、壬午のいた辺りを見て組紐を手に取った。

 「綺麗な紐ですね。」と壬午に笑いかける。

最初に来た頃より落ち着いて見えるのは、髪の色が黒く変わったからだろうか。

今日の服装は今まで見た中で一番シックで壬午は少し驚きながら彼女を見つめた。

彼女は「いつもあの場所に座っている時しか見ていないから、こんなに背が高いとは思いませんでした。」と近くに寄って壬午を見上げた。

壬午はどう返答するか戸惑いながら「ああ、そういえば、連絡を取りたくてお電話したんですが、つながらなくて。」と船箪笥にある伝票を取りに彼女が「あの場所」と言った帳場へ戻った。


 女は帳場へ向かう壬午の後ろ姿に「あ!」と声をあげた後、明らかに(しまった!)という表情を見せながら壬午に付いて帳場へ行く。

そして「ごめんなさい。携帯電話、解約して番号を変えてしまったんです。」と言った。

前に一緒に来た男と別れた後、携帯電話も番号も変えてしまったのだと言う。

壬午は「ああ、それで...」と納得しながらも、錆び色の猫が言っていた名前の事が気になった。

 「ご連絡先、もう一度、伺ってもよろしいですか?」

壬午は帳場の机の向こうに上がると、女にメモ帳とペンを渡した。

女は「構いませんが、今日、あの黒漆を持って来たので、先に見て頂けますか?」と言う。

もし買い取ってもらえるなら、買い取りの申込書に新しい携帯の番号を書いてもいいだろうかと聞かれた。

壬午は笄を見るまでもないとわかっていたが、一応「拝見します。」と、帳場の机の上に赤いネルの布を敷いた。


 彼女は「ありがとうございます。」と言いながら、肩から提げた大きめのショルダーバッグの口を開けて、袱紗に包んだ笄を取り出した。

その袱紗は色褪せてはいたが、壬午が見たあの袱紗だった。

広げるとそこに黒漆に貝の螺鈿が散りばめられた笄が現れた。

(よかった!これで機嫌が直るぞ!)

壬午は錆び色の猫の喜ぶ様子が目に浮かんで嬉しかったが、出来るだけ表情を変えずに笄を手にした。

そして「よろしければ、この袱紗ごと、買い取らせて頂けませんか?」と女に聞いた。

彼女は「え?こんな古い袱紗もいいんですか?」と驚いた様子を見せた。

これは、袱紗ごと買い取れるかもしれないと思うと、壬午は胸の鼓動が早くなっていた。

そして電卓を取り出すと数字を打って彼女に見せた。

「このお値段でいかがでしょうか?」

彼女は電卓の数字を見て「え?」と言って、ちょっと黙った。

壬午は(頑張ったつもりなんだけどな...)と思いつつ、錆び色の猫の眉間の皺が目に浮かび、「さきほどご覧になっていた組紐もお好きな色をお持ち頂いて構いません。」と付け加えた。彼女からの返事がなく、(そんなものじゃ、ダメなのか...)と思っていると、「あの猿はおいくらですか?」と聞く。


・・・猿? どの猿?


壬午は不意を突かれて慌てた。すると「組紐の脇に置いてあった...」と彼女が言う。

「ああ、翡翠の...」と彼女が言っていた物が思い当たった壬午が言うと、今度は彼女が慌てた。


「あれ、翡翠なんですか? じゃぁ、とても買えません。

 あの根付けが安いわけないもの、その上に翡翠でしょう?」

「根付け、お好きなんですか?」

「好きです。あまり、たくさんは持っていませんけど・・・。」と言って、ショルダーバックからバインダーノートを取り出した。

そのノートの栞に木彫りのマスコットが付いている。

よく見ると丁寧な彫りの眠り猫の根付けだった。


「ああ、ちょうどいいですね、三猿と眠り猫で。」

壬午が言うと、彼女も「そう思ったんですけど」と笑った。

壬午は立ち上がり、平台から桐箱と一緒に翡翠の猿と組紐を全て持って帳場に戻った。

そして帳場の赤いネルに置かれた袱紗と笄の隣に置いた。


「いいですよ。この猿と、この組紐は猿の分と猫の分を選んでください。

 その差額のお支払でよろしいですか?」


彼女は壬午が机に桐箱を置いた瞬間から頬を上気させ、組紐までつけてもらった上に差額を支払うとまで言われて、すぐに承諾した。


壬午は袱紗と笄を机の上の脇に寄せて、桐箱の猿と彼女が選んだ組紐を包むと、買い取り用の伝票と受け渡し用の伝票を取り出した。

彼女に買い取り用の伝票を書いてもらい、反対側からそれを見て受け渡しの伝票に名前や電話番号を写していく。

彼女が名前の欄に「高嶋茉莉花」と書いた。

壬午がそれを見て「先日のお名前は”高嶋圭子”さんでしたよね。」と聞く。

高嶋茉莉花は書いていた紙から顔をあげて「”圭子”は母の名前です。」と事も無げに言って書き進める。

(いや、だから、なぜ、前回はお母さんの名前だったのかって、聞きたいんだが...。)と壬午は思ったが言えずに、差し出された免許証で本人確認を済ませた。

控えと品物を茉莉花に渡すと、彼女は嬉しそうにショルダーバックに仕舞い、礼を言って帰って言った。


「六月くらいに咲く、いい香りの...」


錆び柄の猫の記憶は確かだった。

ジャスミンか。

壬午は黒漆の笄に付いた螺鈿に照明を反射させながら、ジャスミンの香りを思い出していた。

背後に気配を感じて振り向くと、錆び柄の猫がピタッと体をつけて、猫が笑顔になるはずがないのに何故か満面笑顔に見える表情で、壬午を見上げていた。


「じんご、礼を言う。」


そう言うと前足で笄を机から落とし、神棚のある奥の部屋へと咥えて運んで行った。

暖簾が少しだけ動いて、錆び柄の猫が通ったのがわかった。

壬午は振り返らず、机に残った袱紗を取ると、半畳間の座布団の上に広げた。

壬午は袱紗を広げて初めて、角に桜の刺繍があると気がついた。







 



 

 



 

 




 


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九十九堂奇譚 @miharu-hongoh

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