九十九堂奇譚

@miharu-hongoh

第1話 簪《かんざし》

 東京、本郷のとある場所に「九十九堂」はある。

漆黒の建具は、一見南武鉄の細工かと見間違えるが

玄関の引き戸に手を掛けると「カラリ」と軽い音を立てて、すーっと開く。

店の中は広くはない。

玄関を開けた正面には、黒地に紋を白く染め抜いた暖簾を背負った昔風情の帳場がある。

帳場は床より70〜80センチは高くなっているだろうか。

よく磨かれた手机と、その脇に船箪笥が設えてあり、客からその手机の手元は見えない。


 帳場の脇には半畳ほどの畳が敷いてあり、客はその半畳に腰掛け、店主が入れた茶を飲みながら自らが持ち込んだ品を店主に見定めさせたり、店主が披露目る品を吟味して買うか買うまいかと迷うのを楽しんだ。


 帳場の脇を右手に進むと、細身の木材で組まれた棚が両側に据え付けられ、その合間に平台が一台置かれている。

平台には紙や布物や小物、棚には木工や陶器の品が飾られている。


 新しいものはない。

「九十九堂」は、九十九甚五という男が営む古道具屋で、その孫にあたる男が一人でこの店の番をしている。

その孫はまだ三十を幾つか越えたか、或いは三十少し手前だったか、見た目は年相応だが、黒いクルーネックのセーターを着た華奢な体付きは、少年の様にも見える。


 祖父である甚五は古参の客が来れば店先に顔を出すが、それも店に居ればの話。

生真面目な孫の壬午の手伝いをこれ幸いに、大抵は仕入れと称してあちこちに出掛けている事が多い。


 十一月の二週目の週末。

この店とは縁の無さそうな年若い男女の二人連れが、漆黒の玄関戸を「カラリ」と開けて入って来た。


「ようこそ。何か、お探しでございますか?」


 壬午は帳場越しに声を掛けた。

すると女の方が

「少し前、今年の八月頃に、簪を売りに来たんだけど…。

 黄色い簪、あ、黄色って言うか、茶色っていうか。」


ー黄色い簪?


 壬午は女の顔を改めてジッと見つめて気がついた。

彼女が持ち込んだのは、鼈甲のバチ簪だ。

「ええ、覚えていますよ。」


ーまさか、買い戻しに来たんじゃないだろうな。

 あれを返せと言われても、無理なんだがなぁ。


壬午が、さて、返せと言われたらどうしようかと思い倦ねていると、今度は男の方が

「コレ、幾らくらいになる?」

と、銀色のネックレスをポケットから取り出して帳場の上にガシャっと置く。


 傍若無人な雰囲気の若い男が帳場台に置いた銀色の塊を、壬午は触らずに遠目から見て

「これは買い取れませんね。まだ作られて日が浅いでしょう?

 せいぜい五年か、そこらですね、多分。」

と言いながら、引出しを開けて柔らかいモスリンの布を出すとその銀の塊を乗せて若い男の方へ差し出した。


 若い男は断られると思っていなかった様だ。

驚いた顔をしながら「買い取れないって、どうして?」と壬午にに詰め寄る。

壬午は身体を帳場と若い男から少し引いて離すと

「うちは古物、古いものなら買い取りますが、新しいお品は取り扱っておりませんので。」と静かに言った。


 若い男は壬午の静かな対応に自分が馬鹿にされたと思って声を荒らげた。


「コイツの古いプラスチックの簪は買い取るのに、俺のが駄目だなんて納得出来ないね。」


ーたまにこういう面倒くさいのが来るんだよなぁ。


 壬午は表情を変えずに、若い男が言うに任せて黙っていた。

すると銀のネックレスがそっと壬午に囁いたのだ。


 壬午は若い男を遮って

「これはどなたの持ち物ですか?」と尋ねた。

若い男は急にしどろもどろになりながら「お、俺のだけど、何で?」と壬午に聞く。


ーわかりきったことだけど…

と思いつつ、壬午は右耳をモスリンの上の塊に近づけると言った。

「どうやら違う様ですね。

 元の持ち主がきっとよっぽど大事にしておられたんでしょう。

 このネックレス、元の持ち主のところへ帰りたいようですよ。

 うちに売るより、持ち主に返却されるのをお勧めしますね。」


 若い男は「何だ、それ? 君が悪い店だなぁ!」と狼狽える。

今まで一部始終を黙って見ていた若い女が「まさか、盗んで来たの?どこから?」と男を問い詰めた。

若い男はいよいよ切羽詰まり、銀の塊をモスリンの布ごと掴むと店を飛び出した。

壬午は慌てて「ああ、その布はうちの店の…」と帳場から手を伸ばしたが届くはずもない。

若い女は男が店を飛び出すと、壬午に向かってちょっと頭を下げて店を出た。


 「あーあ、格好つけてモスリンなんか出すからだね。」

暖簾の奥から太った錆柄の猫がのそりのそりと出て来て、帳場横の半畳間に置かれた座布団の上にどっこらしょと横たわりながら壬午を揶揄う。

彼女の尻尾の先は、古くなった箒の様にバサバサと広がっていた。

体を丸めてその尻尾の先を大事そうに舐めながら「ま、諦めたらいいわ。」と冷たい言い方をする。


 「別に格好つけたわけじゃなくて、さっきのヤツが乱暴にモノを置くから。

  机に傷が付かないようにと思っただけですよ。」


 壬午はまだ未練がましく閉まった玄関戸を眺めていたが、座布団の上の錆柄の猫を振り返ると、「それより、良かったんですか? あのお嬢さんのお顔を見なくても。」と聞いた。


猫は体のあちこちを舐めて、毛繕いするのが忙しい風を装いながら「別に。」と言う。


「長い事、あの家にいて、あの家から離れるとは思いもしなかったけど

 あの子が二足三文で売り払ったんだ。未練はないよ。」


錆柄の猫は、そう吐き捨てる様に言った後、小さく「ハァ」とため息を吐いた。


壬午は横目で猫を睨んで

「二足三文だなんて人聞きが悪い。

 僕があなたを幾らで引き取ったと思っているんです?

 知っているくせに、随分な言いぐさだなぁ。」

と、ちょっと不貞腐れて見せた。


 さっきの若い女が、夏の暑い日に紫の薄葉紙に包んだ鼈甲の簪を持ち込んだ。

壬午は見るなりちょっとした気配を簪に感じて、彼女が驚く値段で引き取ったのだ。

今日の事はそれが原因だろう。


 その鼈甲の簪から付喪神がこの錆柄の猫の姿を借りて現れたのは、秋の気配が漂い始めた頃だった。壬午の読みは当たっていた。簪は齢を重ね、その内に付喪神を秘めていたのだ。

壬午にはそういう古物を見抜く癖がある。「九十九堂」には必要な癖だ。

そういう癖を持ち合わせているせいか、恐らく百鬼夜行に遭遇しても動じない。

特別に何か修行を積んだわけではない。気がついたら”そうだった”としか言い様はない。

筋や気立ての良い魑魅魍魎ばかりではないが、その動じない姿勢が悪鬼を寄せ付けにくいのか、九十九堂の蔵はいつも様々、付喪神が和んで過ごしている。


 ある日、帳場に座って本を読んでいたら「よっこらしょ」と声がして、錆柄の猫が隣の座布団の上で寛ぎ始めた。

壬午は驚くでもなく「その柄からすると、簪ですかね?」と聞いてみた。

猫はチラリと視線を投げて寄こすと「他に何があるのさ」と横柄な返事をした。

それ以来、鼈甲の簪の付喪神は猫の姿で「九十九堂」の帳場にいる。


 あの若い男女二人が店を訪れた二日ほど後の事だった。

今度は若い女の方が一人で「九十九堂」を訪れた。

  「これをお返しに来ました。」

そう言うと彼女は、先日のモスリンを壬午に手渡した。

壬午は思い掛けずに戻ってきたそれを受け取って素直に喜んだ。

 「わざわざ、ありがとうございます。」

礼を言いながらチラリと横を見ると、気を抜いて寝ていた錆柄の猫は隠れそびれてそのまま座布団の上で寝た振りをしている。

若い女は座布団の上に寝転がっている猫を見て

「猫がいるって、初めて気づきました。可愛い。なんて名前なんですか?」と聞いた。

錆柄の猫は女が何か言う度にビクリビクリと反応している。その様子が可笑しい。

壬午は「名前は付けていないんです。」と答えながら猫の様子を伺ったが、相変わらず下手な寝た振りを続けていた。


 女は先日の事を詫びた後「お店には関係ない事ですけど、あの時の男とは別れました。」と言う。あの後、持ち込んだネックレスは後輩から巻き上げたものだと分かり、何とか返させたという事だった。


「まぁ、ヤンチャ系の男だから、ネックレスを後輩から巻き上げた話は別に驚きもしなかったので許せたんですけど、この前二人で店に来た時、あいつ、おばあちゃんの簪をプラスチックって言ったでしょ?それが許せなくて。」


壬午は後輩を脅してモノを巻き上げたのは許せるのかと不思議に思い、鼈甲の簪をプラスチックだと言われたことの方が許せなかった事に驚いた。


「あの簪、好きだったんです。おばあちゃんからあれともう一つ貰ったんですけど、私は着物を着ないから持っていても仕舞っておくだけでしょ?

誰かに使って欲しかったんです。あの簪はまだありますか?」


壬午は「良いお品でしたからすぐに買い手がつきましたよ。」と簪をもう一度見たがっている様子の彼女に嘘を付いた。

今目の前にいる猫がその簪で。と言ったところで信じてもらえる訳がない。


「実は、黒漆の、それは簪じゃないんですけど、

 菜箸の太いみたいなのがもう一本あって

 今度持って来てもいいですか?」


彼女の手振りで(笄かなぁ?)と思っていると、錆柄の猫が、そーっと彼女からは死角になっている帳場の机脇に移動して、口をパクパクさせている。

猫が何を訴えているのかがよくわからなかった壬午は無視する事にして、女に「いつでも、どうぞ」と笑顔で答えた。


 彼女が笑顔で店を出た後、錆柄の猫が

「今、あの子、黒漆って言った?螺鈿の事は?」と聞いて来た。


壬午は螺鈿の話は出なかったが、黒漆の事は言っていたと思うと説明した。

そして、彼女の手振りを真似して「多分、笄だと思うけど、何故?」と聞くと、錆柄の猫が「我が対ぞ。」と答えた。


 「我が対なのだ。」

そう言う錆柄の猫は心なしか淋しげに見える。

「対」なら一緒に居られて嬉しいのじゃないかと推察したのだが、「...複雑だ。」と言う。


 これでもうあの家に、我らの様なものは居なくなる。

確かに我らが愛想を尽かして家出する事もない訳ではない。

家に居ついていたとしても、忘れ去られ、長い事、日の目を見ることが叶わぬこともある。


それでも、付喪神と成るにはそれ相応の互いの縁がいる。

その縁がかように軽んじられたが、対の笄が、我れの後も居ってくれればそれで良し。

けれど、今度はその対も手放すという。

 「それ故に、心持ちはの、ちと、複雑なのだ。」

主にわかるかのう?と壬午を見上げる顔が淋しげだった。

「断りますか?」と尋ねると、「いや、どの道、手放す気でおるのなら、ここがいい。」と猫は思案げな風情を漂わせた。


 たっぷりとした肉付きの錆柄の猫なのに、その様子が儚げで、壬午はつい膝の上に抱き上げてその背を撫ぜた。

猫は抵抗するでもなく、壬午の膝でくつろぎ、ごろごろと喉をならす。


 撫ぜていると、壬午に浜辺の風景が見えた。

いつの時代なのかはよくわからない。

...が、浜辺に立っている男女の服装からすると江戸時代か?


 その二人の男女から壬午まで距離があるのに、話している内容がわかる。

「家に戻ったら、こうして海を見に来ることなど、出来ないだろうなぁ。」

「一度、見れただけでも十分、嬉しゅうございます。」

男はどこぞの大店の若旦那だろうか、仕立ての良い羽織が日差しを反射して鈍色に輝いていた。女の着物も明らかに正絹のようだ。二人は夫婦なのだろうか。


「それで、わたしはね、ちょっと考えたんだよ。」

男が柔らかい表情で微笑んで、懐から袱紗を取り出して女に見せる。

袱紗には、見覚えのある簪と、黒く長い笄が包まれていた。

この笄が黒漆に螺鈿の笄か。陽の光に螺鈿がきらきらと反射している。

壬午はまるで手元にあるかの様にその簪と笄を見ている。

簪はまだ色がほんのり若い。


「お前には鼈甲の簪、私は黒蝶貝の螺鈿の笄を誂えてみたのさ。

 これで帰っても海の景色を思い出す縁になるだろう?」

自分で差しては見えないがお互いに着けていれば、見えるだろう?と女の髪に簪を差し、自分も笄を差そうとして、女が手を貸す。

お互いの髪を見合って微笑み合う様子が微笑ましい。


 これが簪と笄の対の始まりですか。

壬午は錆柄の猫をまだ撫ぜ続けている。

目の前の風景はゆっくり夕暮れに包まれ、やがて消えた。

 「良いお話ですね。」

壬午が猫に声を掛けた。

猫は変わらずごろごろと喉を鳴らすばかりで、何も答えようとはしない。


ー良いお話です。

壬午は一人呟いて猫の首の辺りを爪で優しく削るように撫で始めた。

再び笄と共に穏やかに時間を過ごしてください。

壬午は笄がやってくるのが、待ち遠しかった。

季節は冬に向かって進んでいる。



  








 

 


 




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