第2話 帰還の味と、37年分の希望
会社を出て、俺は迷うことなく最寄りのハンバーガーショップへ飛び込んだ。
見慣れた黄色い「W」のロゴ。
日本人ならまずは白米だろう?という意見もわかる。俺だって、ホカホカの炊きたてご飯に味噌汁を想像するだけで涎が出そうだ。
だが、今の俺が求めているのは「それ」じゃない。
異世界の硬いパンや、味気ない干し肉をかじりながら、夢にまで見たあのジャンクな味。
手軽で、安っぽくて、中毒性のある、あの味だ。
「いらっしゃいませ!」
カウンターに立つ制服姿の可愛い店員さんが、マニュアル通りの笑顔を向けてくる。
俺はその光景にすら感動して、思わず身を乗り出した。
「チーズバーガーセット、ポテトL、飲み物はコーラのLで!」
「かしこまりました。ポテトL、コーラLですね」
「あと、スマイルも一つお願いします!」
テンションが上がりすぎて、つい言ってしまった。
店員さんは一瞬だけピクリと眉を動かし、若干引き攣った笑顔をくれた。
「……あ、ありがとうございます」
(悪いことしたな……完全に不審者だったか?)
少し反省しつつ、トレーを受け取って二階のイートインスペースへ上がる。
まだ昼前で、店内は空いている。窓際の席に陣取り、俺は目の前の「宝の山」を見下ろした。
黄色い包み紙に包まれたチーズバーガー。
赤い紙ケースから溢れんばかりに飛び出したフライドポテト。
そして、氷が涼しげな音を立てる、Lサイズのコーラ。
「……いただきます」
まずは、チーズバーガーを一口。
ガブリ。
「……うわぁ」
チープなバンズのパサパサ感。薄っぺらいパティ。そして、ケミカルな味がするチーズとケチャップ。
だが、この「チープさ」こそが、たまらなく愛おしい。
異世界の高級食材なんか目じゃない。これぞ現代文明が生んだ、ジャンクの極みだ!
次にポテト。
カリッとした揚げたての食感。絶妙すぎる塩加減。
口に入れた瞬間、脳内の快楽物質がドバドバと分泌されるのがわかる。
これだ。これなんだよ。
テイクアウトして家で食べるシナシナのポテトじゃダメなんだ。店で食べる揚げたてのポテトこそ、至高のグルメだ。
最後に、コーラ。
ストローを口に含み、一気に吸い上げる。
強烈な炭酸の刺激が喉を駆け抜け、鼻へと抜ける。
「……くぅぅぅっ! やっぱコーラは『赤』に限る!」
異論は認めない。欲を言えば瓶コーラが最高だが、この紙のカップのコーラでも十分に神の飲み物だ。
俺は無我夢中で、バーガーを頬張り、ポテトをむしゃむしゃと食べ、コーラで流し込んだ。
10年ぶりの味。
平和な日常の味。
……いつの間にか、視界が滲んでいた。
頬を伝って、熱いものがテーブルにぽたりと落ちる。
慌てて袖で拭うが、次から次へと溢れてきて止まらない。
「……帰ってきたんだな」
本当に、帰ってきたんだ。
あの血生臭い戦場から。いつ死ぬかわからない恐怖から。
この、当たり前の日常へ。
その時だった。
「えっと……おじちゃん、大丈夫?」
小さな声に顔を上げると、7歳くらいの女の子が立っていた。
心配そうな顔で、俺に可愛い花柄のハンカチを差し出している。
「顔、涙でびしょびしょだよ……?」
「あ……」
俺は慌てて顔を拭ったが、かえって涙を広げてしまったようだ。
俺は苦笑いしながら、そのハンカチを受け取った。
「ありがとう。……ちょっとね、このポテトがあまりにも美味しくてさ」
「ふふっ。私も、ここのポテト大好きなんだ」
女の子は花が咲いたように微笑んだ。
ハンカチで涙を拭き、返そうとすると、彼女は首を横に振った。
「それ、あげる。お家にいっぱいあるから」
「えっ、でも……」
「おじちゃん、元気出してね!」
そう言って、彼女は手を振りながら母親らしき人の元へ走っていった。
「おじちゃん」か……。
まあ、異世界を含めると精神年齢は37歳だし、今の見た目(肌年齢だけは赤ちゃん並みだが)は27歳のくたびれた服を着たサラリーマンだ。間違ってはいない。
それでも、少しだけ心にダメージを受けつつ、俺はハンカチを握りしめた。
「ありがとうな……」
俺は残りの食事を平らげ、空になったコーラのカップを手に、窓の外の景色を眺めた。
行き交う人々。走る車。平和な街並み。
さて、これからどうするか。
会社は辞めた。
貯金は……ブラック企業時代、使う暇もなくて貯まりに貯まったのが1000万近くあるはずだ。
さらに、いつか辞めてやろうと独学で始めた投資の利益も少しはある。
当分は働かなくても生きていける。
「しばらくは、ニートを満喫するか」
そう呟いて、自分に問いかける。
今、一番何がしたい?
真っ先に思い浮かんだのは、「家族」の顔だった。
もう二度と会えないと思っていた。
北九州の実家にいる両親。決して裕福ではなかったけれど、共働きで俺たち兄弟5人を育て上げてくれた、尊敬する二人。
異世界で望郷の念に震えた夜、何度後悔しただろう。
もっと親孝行しておけばよかった。もっと感謝を伝えておけばよかった、と。
東京での仕事に疲れ果てて電話した時、親父はぶっきらぼうに、でも温かく言ってくれたっけ。
『いつでも帰ってきていいからな。』
電話を切った後、一人アパートで涙を堪えたのを思い出す。
帰りたい。
幼少期から高校卒業までを過ごした、あの懐かしい実家へ。
頑固だけど本当は涙脆い親父が焼く、キャベツたっぷりのお好み焼き。
いつもニコニコしてお茶目な母ちゃんが作る、甘めの卵焼きが入ったサラダ巻き。
無性に食べたい。
海にかかる真っ赤な大橋も見たいし、地元の新鮮な魚も食べたい。
それに、兄弟たちにも会いたい。
「……会いたいな」
そう考えるだけで、また涙腺が緩んでくる。
会えるんだ。飛行機に乗れば、数時間で。
それから、谷口。
幼稚園からの幼馴染で、20数年来の悪友。
俺が異世界に行く前、唯一心を許せた親友だ。
口が悪くて適当な奴だけど、俺が落ち込んでいる時は何も言わずに飯につき合ってくれた。
あいつは東京にいる。
「よう、久しぶり」って連絡したら、どんな顔をするだろう。
「また、温泉行こうぜ」って笑って誘ってくれるかもしれない。
今度、美味い飯でも奢ってやろう。
やりたいことは、山ほどある。
ずっと憧れていた大型バイクの免許を取って、あちこちツーリングに行きたい。
高校時代に打ち込んでいた弓道を、また再開したい。
一人で静かに焚き火を見つめるキャンプもしたいし、海釣りにも行きたい。
読みたかった漫画も、見ていなかったアニメも、やりたかったゲームも、全部消化してやる。
そして、あと……。
「……女の子と、付き合いたい」
俺はカップの氷をカランと鳴らして呟いた。
これだけは、切実だ。
異世界でも、俺はずーっと童貞だった。
勇者なんて呼ばれても、色恋沙汰とは無縁のストイックな生活。
だから、転移前の27歳の身体に戻っても、精神的には37年モノの童貞だ。魔法使いどころか、大賢者になれそうなレベルだ。
俺のヘタレな性格をどうにかしない限り、すぐに彼女を作るのは難しいかもしれない。
でも、せめて……。
「お店で卒業、ってのもアリだよな」
魔王城への最終決戦に向かう前夜、俺は星空を見上げて誓ったのだ。
『童貞のままで死にたくねぇ! この戦いが終わったら、絶対にお店に行ってやるんだ!』
ある意味、その煩悩が生き残る力になったのかもしれない。
「よし」
俺は立ち上がった。
未来には希望しかない。
美味しいご飯、懐かしい家族、楽しい趣味、そして未知なる大人の世界。
10年間の地獄を耐え抜いたご褒美が、これから待っているんだ。
俺は店を出て、眩しい初春の太陽を見上げた。
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