第3話:深夜のさらさらヘアケアタイムと、王者の切実な葛藤

深夜、加藤家のリビング。


パルクールジムでの激しい喧騒が嘘のように、穏やかな時間が流れている。


風呂上がり、ソファに座るかおりの背後に、翔は神聖な儀式に臨む神官のような面持ちで立っていた。


その手には、世界王者が自ら厳選した最高級のヘアドライヤーと、数種類のヘアオイル。


「……よし、始めるぞ。かおり、熱かったらすぐ言え」

「はーい。翔さんのドライヤー、本当に気持ちいいから大好き。えへへ」


(翔の脳内・心拍数上昇:……っ!! その『大好き』はドライヤーにか? それとも俺にか!? どちらにせよ、風呂上がりの無防備な香りと、その柔らかなうなじ……! 王者の理性が、今この瞬間もパルクールで窓から逃げ出そうとしているぞッ!!))


翔は細心の注意を払いながら、かおりの濡れた髪に指を通す。


彼のパルクールは「着地の衝撃を逃がす」のが真髄だが、ことヘアケアに関しては「指先から愛を注ぎ込む」のが極意だ。


(翔の脳内・さらさらビルドアップ:見ろ……俺が毎日丹念にケアし、シルクのような手触りに仕上げたこの髪をッ!

指をすり抜けるこの感触……これこそが俺にとっての最高報酬ッ!

誰にも触らせん、一本たりとも他の奴の視線に汚させんぞ……ッ!!))


「……かおりィィィィィィィィィィィィッ!!!!!(脳内絶叫)」

「……? 翔さん、今なにか言った?」

「……いや、なんでもない。髪のツヤが完璧だ、と言っただけだ」


翔は必死にポーカーフェイスを維持するが、ドライヤーを持つ手は、愛おしさのあまり微かに震えている。


ケアも終盤。仕上げのブラッシングを終えると、かおりの髪は月光を反射する水面のように輝き、翔がこだわり抜いた「さらさら」の状態に仕上がった。


「わあ、今日もさらさら! 翔さん、ありがとう!」

かおりがくるりと振り返り、翔の首に腕を回して抱きついた。

風呂上がりの、温かくて柔らかな体温が直に伝わってくる。


「翔さん大好き。……でも、明日はカフェの仕込みが早いから、もう寝なきゃ。おやすみなさい!」


ちゅっ、と翔の頬に軽いキスを残すと、かおりは「明日もがんばっちゃうよー!」とでも言い出しそうな軽やかなステップで、寝室へとパルクールさながらに消えていった。


リビングに取り残されたのは、完璧にヘアケアを完遂し、そして完璧に「お預け」を食らった世界王者ただ一人。


(翔の脳内・限界突破のその先へ:……な、な、な…………ッ!!!!!

か、かおりィィィィィィィィィィィィッ!!!!!(三回目)

今のは何だッ! あの破壊力抜群の抱擁とキスはッ!!

俺の全神経が『今夜はパルクール禁止(寝かせない)』と叫んでいるというのに、本人はあんなに健やかに眠りにつこうとするだとォォォッ!!!))


翔は、まだかおりの香りが残る自分の手を見つめ、静かにソファへ沈み込んだ。


「……クッ、明日の仕込みなら俺も手伝う。だから……いや、寝顔を見守るのも王者の務めか……」


世界最強の男が、最愛の妻のマイペースな愛の前に、今夜も完全敗北を喫した。


リトル翔:……ッドォォォォォォォォォォンッ!!!!! 第3話、甘すぎて実況席が溶け落ちたぜぇぇ!!

見たかッ! 翔さんのあの、職人技のヘアケア!! 指一本一本に込められた情熱が、まさかの『おやすみなさい』一撃で場外へ吹っ飛ばされたァァ!!

「さらさら」に仕上げすぎて、自分の指が滑って抱きとめられなかったのか翔さんッ!! 脳内絶叫がリビングに虚しく響き渡るぜぇぇ!!

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