四
出発の前日、私は亜実の家に泊まった。亜実はあんなに行きたくなさそうにしていたのに、必要なものはきっちりとリュックに詰めてまとめていた。
「岡山までどれくらいかかる?」
部屋の電気を消そうとした時に、亜実が聞いてきた。亜実は寝るつもりがないみたいに、ベッドの上で体育座りをしている。
「新幹線は三時間くらいかな。岡山から病院までは歩いてもそんなにかからないみたいだけど」
「そっか」
亜実は足の指先をぴょこぴょこと上下に動かした。
「やめとく?」
亜実が首を横に振る。
「ヤなわけじゃなくて」
「何、言いなよ」
そう言うと、亜実は観念した様子で息を吐いた。
「なこちゃんと一緒に岡山行けるの、楽しみだなーって、怒る?」
病院に行くこと以外の目的を考えていなかった私は、その言葉に驚きを隠せなかった。その驚きが顔に出てしまったのか、亜実は私から目を逸らした。
「治す気ある?」
思わずそう言ってしまった。
「やっぱ怒るじゃん」
「怒ってない、けど、別にそんな旅行みたいに考えてなかった」
亜実は「あっそ」と言って寝転がり、頭から布団をかぶった。なんで亜実が機嫌を損ねたのか、よくわからない。なんだか私まで腹が立ってきて、ひどいことを言いそうになる前に部屋の電気を消した。
「おやすみ」
わざとぶっきらぼうに私が言うと、ベッドの中から小さな声で「おやすみ」と返事が聞こえた。
暗闇の中で目をつむる。何も考えていないつもりでも、頭の中に声や情景が浮かんでくる。今までの出来事。今日の病院、先生の話す声。さっきのやりとり。明日からの新幹線、岡山、知らない病院の妄想。いろんな思考が浮かんでは消えていく。
隣の部屋の物音。エアコンの音。外を走るバイクや車の音。誰かの話し声。意識が途切れそうになるたびにそんな音に起こされて、思考の無限ループが続く。
亜実は本当にこの病気を治したいのだろうか。
そんなことまで考えてしまう。
亜実が心の内に抱えていることは、病気のこととか、今の生活のこととか、そういうものじゃない気がする。亜実はずっとこの病気に悩まされていると思っていた。だけど、もしかしたら違うのかもしれない。
亜実の本心が分からない。
「亜実はさ」
ベッドに向けて話しかけてみる。返事はなくて、かわりにすうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。その寝息を聞いているうちに、私の意識も夢と現実が曖昧になっていく。
私は、私はどうなんだろう。
幼いころ、まだ元気で、いろんなことを喋っていた亜実。
いま、大人になった亜実が元に戻っても、私は変わらずに、亜実のそばにいられるだろうか。
私たちは前と変わらずにいられるだろうか。
治したくないの?
そんな言葉を口にしたのが、夢の中なのか現実なのかわからない。
私は寝返りを打つ。
夢を見た。
いつも通り、亜実が便器の中に写真を吐く。その写真を拾って、洗って、消毒する。見てみると、その写真には笑って手を振る私の姿が映っている。
そして、水を飲んで一息ついた亜実が、光の無い目を私に向けてこう言うのだ。
「あんた、だれ?」
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お試し読みはここまでです。
続きは本にてお楽しみください。
[試し読み] 剥がれ落ちて、なお残る 七雪 凛音|文フリ京都10 き-08 @7snowrin
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