第5話 露見
酷い臭いだった。爛熟した腐敗臭。玄関先から既に漂っていたが、屋内に入るとより一層強烈になった。
ハンカチで鼻を押さえながら、
「ひでぇ顔色だな。そんなんで大丈夫か? 現場で吐くなよ?」
上司にしてバディの
捜査一課の刑事になって初めての現場にしては
昨夜、警察に通報があった。このマンションの一〇二号室で、男女の争うような物音がしたという。
それだけでなく、隣の一〇一号室の辺りから、この所異様な臭いがするのだとか。しかし、管理人に苦情を入れても面倒くさがって取り合って貰えず、ずっと放置されたままだったのだそうだ。
どうにもきな臭いと捜査員が駆けつけてみると、死体が見つかった。それも、一つや二つではない。
一〇二号室で見つかった男性の遺体は、遺留品などから都内で営業職を務めている
柳葉は何者かと揉み合いになった末、現場に落ちていた凶器の包丁で刺殺されたものと見られるが、となると怪しいのはこの部屋の住人だ。
一〇二号室の借主は、この春都内の高校を卒業して、現在無職の女性、
柳葉の遺体が発見された浴室から外へと向かう血痕を辿ったところ、彼女は隣室の一〇一号室で発見された。
自身も遺体となって――新たな別の遺体と共に。
「うぐっ……!」
その部屋の扉が開かれると、凄まじい臭気が鼻を衝いた。これまでで一番濃度の高い、最早痛みすら感じるレベルの悪臭だ。
――臭いの元が、そこにあった。
ドス黒い、ヘドロのような粘性の液体がベッドの上に染みを作っている。
液体の中心には、ゴツゴツとした石のようなものが存在していた。――人骨。
死後、数ヶ月。腐敗して液状化した女性の遺体だった。
「げほっ、えほっ」
「おいおい、本当に吐くなよ。気持ちは分かるが」
激しく咳き込む昌吾に、笠松が声を掛けた。
二人は先程一〇二号室に立ち寄り、柳葉の死体を見てきたが、一〇一号室の様相はそれとは比べ物にならない酷さだった。
「一回、外の空気吸っとくか?」
「……いえ、もう大丈夫です」
胃の中身がひっくり返りそうになるのを何とか堪え、昌吾は改めてその部屋の惨状に目を向けた。
寝室だった。ベッドのパイプには、何故か外れた手錠。周囲には沢山の消臭剤が置かれているが、あまりの悪臭に全く用を成していない。
それでも、虫の姿があまりないのは、もしかしたら雨宮 藍が掃除をしていたからかもしれない。
雨宮 藍の遺体は、液状化した遺体のすぐ傍にあった。腹部に負った刺し傷から、死因は失血死だろう。
状況を見るに、おそらく一〇二号室で柳葉 数俊と揉み合いになり、柳葉を殺害した後に、自身も深手を負った雨宮 藍が一〇一号室に逃げ込んだものと思われる。
そこで、最期を迎えた……。
「それにしても、この溶けた遺体は誰なんでしょう」
「雨宮 藍の姉の、雨宮
昌吾の呟きを拾って、御子柴が述べた。
「雨宮 碧は三ヶ月前、急に職を辞していたらしい。その後、彼女の姿を見た者が居ない」
「お姉さん……」
瀕死の雨宮 藍が、今際の際に会いに来た相手――そう考えると、それが正しいような気がした。
「けど、何で彼女は死んだんでしょう。それも、三ヶ月も経っていて……雨宮 藍は知っていたのなら、どうして警察に届けなかったんでしょう」
「さぁな。それを調べるのが俺らの仕事だろ。そもそも雨宮 藍が姉を殺して、その事実を隠していた可能性もある」
「そうでしょうか……」
昌吾には、どうもそうは思えなかった。何故なら、雨宮 藍の遺体は、とても安らかな表情をしていたからだ。口元には微かに笑みさえ携えて、幸福感に満ち溢れている。
自分がこれから死ぬというのに、そんな表情が出来るだろうか。増してや、自分が殺した相手を前にして……後悔と苦痛に塗れて死を迎えた者の表情では、決して有り得ない。
もしかしたら彼女は、大好きな姉の傍で最期を迎えられて、幸せだったのかもしれない。
「御子柴警部! 雨宮 藍の寝室の机から、こんなものが!」
その時、隣室から捜査員が駆け込んできた。
彼が掲げたのは、綺麗な花の模様が描かれた封筒――雨宮 碧の遺書だった。
†
警察は雨宮 碧の遺書から知った事実を元に彼女の叔父の家を訪ねてみたが、不思議なことに叔父の遺体はどこからも発見されなかった。
また、その後の捜査で雨宮 藍の部屋からは彼女自身と柳葉以外にも多数の血痕が検出されているが、そのいずれもが遺体や遺留品などは見つかっていない。
ただ、雨宮 藍の携帯端末に残されたマッチングアプリの履歴から、彼女とやり取りをしていた男性が複数人、行方不明になっていることが知れた。
警察は、彼らも柳葉同様、雨宮 藍に殺害されている可能性が高いとした。
また、キッチンの食器や
一片の骨も残さず、眼球や内蔵に至るまで、綺麗に食べ尽くしていたのだとしたら――遺体が見つからない理由。その推測の悍ましさに、世間は震撼した。
そして、彼女の動機は正にそれだったのではないかという見解が広まった。――すなわち、食べる為に。
雨宮 藍の殺人の本当の動機を知る者は、誰も居ない。
〈了〉
花腐し 夜薙 実寿 @87g1_mikoto
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