第14話:最後の質問
エピソード:最後の質問
髙橋社長の告白は、重い沈黙を工場にもたらした。
純粋な善意。しかし、その善意が、兄妹の絆を、そして絹代の心を、どれほど歪ませてしまったのか。その皮肉な現実に、誰もが言葉を失っていた。
直樹は、ただ、呆然と立ち尽くしている。
毎年届いていたはずの、妹からの手紙。
面会に来ようとしていた、妹の姿。
その全てが、自分の知らぬところで、閉ざされていた。その事実が、彼の心を激しく揺さぶっているのが、痛いほどに伝わってくる。
多重寺は、この辺が潮時だろう、と感じた。
これ以上、この「聖域」をかき乱すのは、彼の流儀ではなかった。
彼は、コートの襟を直し、踵を返そうとした。
だが、その前に、一つだけ、どうしても聞いておかなければならないことがあった。
12年前の事件の真相でも、絹代の現在の罪でもない。
もっと、シンプルで、もっと、根源的な問い。
「…直樹君」
多重寺は、振り返った。
その目は、刑事としてではなく、ただ、一人の人間としての、純粋な好奇心に満ちていた。
「最後に、一つだけ、聞かせてくれんか?」
「……」
「君は、妹さんのことが、好きか?」
その、あまりにも子供じみた、しかし核心を突いた質問に、井上は目を丸くした。髙橋社長も、怪訝な顔で多重寺を見ている。
しかし、直樹だけは、違った。
彼の顔から、それまでの苦悩や混乱が、すっと消えていった。
そして、ほんのわずかに、本当にわずかに、その口元に、困ったような、それでいて愛おしいものを見るような、優しい笑みが浮かんだ。
「…当たり前やないですか」
その声は、震えていなかった。
何の迷いもない、絶対的な肯定だった。
「たった一人の、身内やぞ」
その一言に、全ての答えがあった。
12年前に、彼がなぜ罪を被ったのか。
5年間の刑務所暮らしを、なぜ耐え抜くことができたのか。
そして、今も、こうして真面目に働き続けている、その理由の全てが。
「……そうか」
多重寺は、満足げに頷いた。
そして、今度こそ、本当に背中を向けた。
「分かった。ありがとうな」
「邪魔したな、社長さん」
多重寺と井上が、夕陽に照らされた工場を後にする。
引き戸が閉まる、ガラリ、という音。
後に残された直樹は、ただ、西の空を、じっと見つめていた。
東京の空の下にいるはずの、12年間、会うことの叶わなかった、たった一人の妹の顔を、思い浮かべるように。
そして、その頬を、一筋だけ、熱いものが伝っていった。
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