第13話:断絶
エピソード:断絶
髙橋社長が、まるで城壁のように、多重寺の前に立ちはだかる。工場内の、金属を削る甲高い音だけが、三人の間の張り詰めた空気を、さらに引き裂いていた。
しかし、その均衡を破ったのは、当事者である棚橋直樹、その本人だった。
彼は、ゆっくりと、油に汚れた軍手を外した。
そして、手にしていた工具を、まるで儀式のように、丁寧に、所定の位置に置いた。
全ての雑音から、自らの意志を切り離すかのように。
直樹は、社長の肩を軽く叩き、その制止を穏やかに解くと、自ら多重寺の前へと歩み出た。
12年前の、怯えた少年の面影は、もうどこにもない。そこには、ただ、長い年月と、厳しい労働、そして決して消えることのない罪の意識を、その身に刻み込んだ、一人の誠実な男が立っていた。
「……なんでしょうか」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「また、12年前の、あの事件のことですか?」
諦念。全てを受け入れる、という覚悟。
その、あまりにもまっすぐな瞳に、多重寺は一瞬、言葉を失った。
「…いや」
多重寺は、軌道修正するように、首を横に振った。今日の目的は、過去を断罪することではない。
「君に、妹さんがいただろ。絹代さん。…あれから、どうしているか、知っているか?」
その名が出た瞬間、直樹の、平静を保っていた表情に、初めて、深い痛みの色が走った。それは、古傷が、予期せぬ瞬間に疼き出したかのような、生々しい痛みだった。
多重寺は、構わずに続けた。
「君が、刑務所にいた5年間。彼女は、面会に来たか?」
直樹は、唇を固く結んだ。
そして、床の一点を見つめながら、絞り出すように、言った。
「…いいや。一度も、会っとりゃせん」
「そうか。…手紙は?」
「……一度も」
一度も、会っていない。
一度も、言葉を交わしていない。
あの聖夜、全てを懸けて守ろうとした妹と、12年間、完全に断絶している。
その事実に、井上はもちろん、多重寺ですら、僅かな驚きを隠せなかった。絹代の、あの狂気的なまでの「兄への贖罪」の物語とは、あまりにもかけ離れた現実だったからだ。
多重寺は、最後の問いを投げかけた。
「なぜだ? 君から、連絡を絶ったのか? それとも…」
その問いを遮ったのは、今まで黙って二人を見ていた、髙橋社長だった。
その声には、後悔と、そしてどうしようもない哀しみが滲んでいた。
「……全部、わしが、断ったんですわ」
「…社長?」
直樹が、驚いたように社長の顔を見る。
髙橋社長は、直樹の視線を、まるで父親のような、温かい目で見返した。
「直樹が出所してから、毎年、クリスマス近くになると、一通だけ、手紙が届いとった。差出人の名前はなかったが、間違いなく、妹さんからだった」
「…………」
「わしは、直樹には見せんかった。あの子が、ようやくここで、新しい人生を始めようとしとる時に、また、あの地獄みたいな過去に引き戻して、たまりますかいな」
「面会の申し出も、何度かあった。それも、全部、わしが『本人が会いたくないと言っている』と嘘をついて、断った」
髙-橋社長は、多重寺に向き直った。その目は、一点の曇りもなかった。
「わしがやったことは、間違っとるかもしれん。じゃが、この子を守るためやった。それだけは、分かってくだせぇ」
「…刑事さん。あんたも、もう、そっとしといてやってはくれんか」
善意。
あまりにも純粋で、そして、あまりにも残酷な、善意。
その善意が、兄妹の運命を、12年間も隔絶させていた。
多重寺は、何も言えなかった。
ただ、工場の窓から差し込む西日が、無数の鉄の削りカスを、キラキラと、まるで涙のように、照らし出しているのを、黙って見ていた。
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