第7話:赤いインク

エピソード:赤いインク


警視庁捜査一課、第七強行犯捜査殺人犯捜査第-係。

会議室の空気は、安物のコーヒーの香りと、徹夜明けの男たちの倦怠感、そしてスクリーンに映し出された凄惨な現場写真が放つ、無機質な暴力の匂いで満たされていた。


「…しかし、エグいことするなぁ」


係長の多重が、眉間に深い皺を寄せながら呟いた。彼の長いキャリアの中でも、これほどまでに悪趣味で、効率的な「殺意の塊」は、見たことがなかった。


「現場の鑑識からです。起爆装置は時限式、内部には直径8ミリの鉛球が数百個。箱が開けられると同時に起爆し、指向性を持たずに全方位へ飛散。狭い室内では回避不能、と」


若い刑事、井上が報告書を読み上げる。


「軍用兵器のクレイモア地雷みたいだぜ、やってることが」と、別の刑事が吐き捨てるように言った。「素人の犯行じゃねぇ。プロか、あるいはその筋の知識があるヤツだ」


「ホシの目星はついてるのか?」

多重の問いに、室内の全員が顔を上げる。


井上が、一枚の資料をスクリーンに映し出した。


「被害者の周辺を洗ったところ、一人の女が浮かび上がりました。1週間前まで、同じ店『フレンドリー』で働いていた元従業員。被害者との間で、売り上げを巡る激しいトラブルがあった模様です」


スクリーンに映し出されたのは、ごく普通の履歴書用の顔写真。少し気の強そうな瞳をしているが、こんな残虐な事件を起こすようには見えない。


「この女が、臭うな」

多重は、その顔を、値踏みするように見つめている。


「名前は?」


「はい。棚橋(たなはし)絹代(きぬよ)。年齢28歳。特筆すべきは経歴です」


井上が、資料の別の箇所を指でなぞる。


「5年前、傷害事件で逮捕歴あり。当時の交際相手を、カッターナイフで切りつけています。執行猶-予付きの判決ですが…前科あり、です」


棚橋、絹代。

その名前が、会議室の淀んだ空気の中で、重い意味を持って響き渡った。


多重は、スクリーンの中の女の顔を、もう一度、じっと見つめた。

そして、まるで狩りの始まりを告げるかのように、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。


「…当たってみるか」


それは、ただの容疑者リストに、赤いインクで丸がつけられた瞬間だった。

まだ誰も知らない。その赤い円が、やがて日本中を巻き込む、巨大な狂乱の渦の中心になることなど。


そして、その女が今頃、全く別の顔と名前で、六本木のネオンの海を、悠々と泳いでいることなど。

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