第5話「警視庁、六本木東署の者です」
『私の名前はSILK』
第5-話:残響
ガタイのいい二人組の男たち――彼らは、本物の刑事だった。
はっきりと提示された警察手帳に、ママとマネージャーは、顔をこわばらせて頷くしかない。またか、といううんざりした気持ちと、今度こそ本物だ、という緊張感が、店内に満ちていた。
「実は、昨夜、この界隈で起きた爆破事件の件でして」
刑事の一人が、切り出した。
(爆破事件…やはり、あの話か)
ママとマネージャーは、既にゴシップとして、その概要を知っていた。
「その容疑者として、一人の女の行方を追っておりまして。名前は、SILKと言うらしいのですが」
SILK。
その名を聞いた瞬間、ママとマネージャーの頭の中に、さっきまでこの店にいた、あの新人ホステスの、怯えた顔が浮かんだ。
「…こちらに、そのような名前の女性従業員は、いらっしゃいますか?」
刑事の問いに、ママとマネ-ージャーは、思わず顔を見合わせた。
そして、マネ-ージャーが、代表するように答えた。その声には、同情と、そして厄介払いができたという、わずかな安堵の色が滲んでいた。
「…はあ。SILKなら、先ほど、辞めましたが。それが、何か?」
「辞めた?」
刑事たちの動きが、止まる。
「ええ」と、ママが続けた。「可哀想にね、あの子。昨日の事件の被害者と、同じ名前だったばかりに、すっかり参ってしまって」
「これ以上、お店に迷惑はかけられない、って言って、泣く泣く…」
その時だった。
絹代が、去り際に放った、あの嘘の一言が、まるで遅効性の毒のように、この場の空気を蝕み始めたのだ。
「…すみません。ちょっと、一つよろしいですか?」
若い方の刑事が、怪訝な顔で、聞き返した。
「今、被害者の方が、SILKだと、おっしゃいましたか?」
「ええ、そうですけど」
ママは、何がおかしいのか分からない、という顔だ。
「……奇妙ですね」と、刑事は続けた。「私どもが、掴んでいる情報ですと、SILKというのは、犯人(ホシ)の名前のはずですが」
「…え?」
「被害者の名前など、我々はまだ、公式には発表していないはず。…一体、誰が、そんな話を?」
その瞬間、ママとマネージャーの顔色が変わった。
全身から、血の気が引いていくのが分かる。
――おかしい。話が、食い違っている。
マネージャーが、震える声で、言った。
「…だ、だって、さっき…数時間前に…刑事さんらしき人が、二人組で、この店に来て…!」
「被害者の名前はSI-LKで、犯人は黒いワンピースの女だって、根掘り葉掘り、聞いてました…!」
刑事たちの間に、電流のような緊張が走った。
二人は、無言で、しかし鋭い視線を、交わした。
偽物。
偽の刑事が、自分たちより先に、この店を訪れていた。
しかも、我々警察ですら掴んでいない、「被害者=S-ILK」という、奇妙に“正しい”情報を持って。
年嵩の刑事が、ゆっくりと、ママとマネージャーに向き直った。
その表情からは、全ての感情が、綺麗に抜け落ちていた。
「…なるほど。そうですか」
彼は、それ以上、何も追求しなかった。
ただ、静かに、そして深く、頭を下げた。
「お邪魔しました。ご協力、ありがとうございます。では」
刑事たちは、嵐のように現れ、そして、嵐のように去っていった。
後に残されたのは、ママと、マネージャー、そして従業員たちの、完全な混乱だけだった。
「…ねえ、どういうこと…?」
「どっちが、本物の刑事なの…?」
「ていうか、あのS-ILKって子、一体、何者だったのよ…?」
絹代が、店を去る際に、たった一つだけ残していった嘘の種。
「刑事さん(偽)に、被害者と同じ名前だと、しつこくされて…」。
その、自分を守るための、ささやかな嘘。
それが、まるで地雷のように、この場所に残され、そして、本物の刑事たちの手によって、起爆されたのだ。
その残響は、店中の人間たちの心を、疑心暗鬼という名の、深い霧の中へと、突き落としていった。
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