第2話:隣の火事



『私の名前はSILK』

第2話:隣の火事


夜の九時過ぎ。新しい店『Frenzy』で働き始めて、二時間が経とうとしていた。

新しいドレス、新しい名前、新しい客。全てが、目まぐるしく入れ替わっていく。


馴染む速さが、私の唯一の取り柄なのかもしれない。

あるいは、ただの、色のないカメレオンなのか。

周りの景色に合わせて、保護色に染まるだけ。感情を殺し、求められる役割を演じる。


子供の頃から、そうだ。

何を考えているか分からない、とよく言われた。

母も、兄も、私が捨ててきた男たちも。誰も、本当の私を、見ようとはしなかった。

ただ一人、私を**「理解できない」**と、執拗に絡んできた、あの女を除いては。


その時だった。

店の重厚な扉が勢いよく開き、若い男性マネージャーが、蒼白な顔で駆け込んできた。


「大変です! ママ!」

店内のBGMが、少しだけボリュームを絞る。


「六本iki東の方で、爆破事件です!」

マネージャーの叫びに、店中が、一瞬だけ、静まり返った。


「うちと同じ、同業者の店が、何者かに襲撃されたらしくて…! 死傷者多数、現場は、地獄絵図だと…!」


「なにそれ、怖ーい!」「テロとか?」。同僚の女たちが、悲鳴に近い嬌声を上げる。客たちも、にわかに色めき立ち、スマホでニュース速報を検索し始めていた。


「ヤバい、これネットニュースの速報だ…ライブ映像きてるぞ!」

客の一人が、スマホの画面を食い入るように見つめている。


「うわ、警察だらけじゃん…。なんか男が…泣き叫んでる…。警察官に取り押さえられて…うわ、マジかよ…」

隣の男が「どうしたんだよ」と覗き込む。


「亡くなったナンバーワンの婚約者だってさ。…証拠品なのか、ビニール袋に入れられた手首を…抱きしめて泣き狂ってる…」

「ひでーな!」


その、まるで遠い国の戦争でも見るかのような、無責任な喧騒の中心で、私は、ただ、黙って目の前の男のグラスに、ウイスキーを注いでいた。

氷が、カラン、と澄んだ音を立てる。

私の手は、少しも、震えてはいなかった。


「いやー、まいったな、ほんと」

目の前の、サラリーマン風の男が、額の汗を拭いながら言った。彼の顔には、安堵と、そしてほんの少しの興奮が浮かんでいる。


「俺が、さっきまで飲んでた店だよ、そこ!」


私の手が、一瞬だけ、止まる。


「まじかよ!」と、隣に座っていた、連れの男が、目を丸くした。


「まじまじ! いやー、あと30分、出るのが遅かったら、俺も今頃…うわー、怖っ!」

男は、大袈裟に身震いしてみせた。そして、私に向き直ると、まるで武勇伝でも語るかのように、話し始めた。


「あそこのナンバーワンって言うからさ、指名したんだよ。 なのにさぁ」

男は、心底からうんざりしたという顔で、首を振る。


「まあ、俺もさ、今日はもう結構飲んでたから、『ビールでいいや!』って、ちょっと偉そうにしたのが、いけなかったのかもしれないけどさ。そしたら、あの女!」

男は、声を潜め、しかし、店内中に聞こえるようなボリュームで、続けた。


「聞こえよがしに、“チッ”て、舌打ちしやがってさ! 脚を組んで、ポーチからタバコ出して、火ぃつけて、ずーっとガン無視だよ! なんなの、あの店! ムカついたから、会計済ませて、すぐここへ来たって訳さ!」


「…そうだったんですか。それは、大変でしたのね」

私は、完璧なタイミングで、同情に満ちた相槌を打つ。


男は、すっかり気を良くしたように、私をじろじろと、値踏みするように見つめた。そして、その下品な手が、私の太ももに、置かれようとした、その瞬間。


「…それに引き換え、君は、可愛いねぇ! 名前は?」


私は、その手を、見えない壁で押しとどめるように、静かに、しかし、はっきりと、微笑んだ。

そして、この夜、私が世界に対して放つ、最初の宣戦布告を、静かに、紡いだ。


「どうも、初めまして」

「**“SILK(シルク)”**と、申します」


SILK。

その音の響きに、男の顔が、一瞬だけ、固まった。


「え? あ、あれ…?」

彼は、酔った頭で、必死に記憶をたぐり寄せている。


「さっきの店で、俺が舌打ちされた、あのナンバーワンの娘も…確か、SIL-Kだったような…?」

男は、首を傾げた。そして、


「……ははっ! 酔ってるな、俺も」


そう言って、豪快に笑い飛ばした。


私は、ただ、微笑んでいた。

その笑顔の下で、私は、この、哀れで、幸運な男に、心の中で、そっと、囁きかけた。


(そう。あなたは、ただ、酔っているだけ)

(そして、あなたは、とても運が良かった)


(だって、もし、あなたが、あと30分、あの店に長居していたら)

(あなたは、私の“芸術”の、最初の観客になっていたでしょうから)


(そして、その“感想”を、誰かに語ることも、二度と、できなかったでしょうから)

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