#02 - 聖誕祭の灯火、消えゆく法]

「……じゃあ、この人はまた監獄に戻らなきゃいけないってこと?」


アンナがユスティアンを指差しながら言った。


「そうなるかもしれませんし、ならないかもしれません」


アルベルトが淡々と答える。


「それって、シュレディンガーの猫的な話か?」


ドミトリヒが首をかしげた。


「いいえ。あえて言うなら、政治の話ですな」


「どっちでもないだろ」


ユスティアンが腕を振って、空中の重苦しい空気を払うように言った。


「説明が不足しておりました。坊ちゃまの……いえ、領主様の選択次第、という意味でございます」


「……普通に『坊ちゃま』でいい」


「では、そういたしましょう」


アルベルトがうなずいた。


「現在、我が領地には王城から一通の公文が届いております」


「最初からユスティアンに渡せばよかったんじゃないか?」


「その時、この人はまだ領主ではありませんでしたから」


アンナの言葉に、アルベルトが補足する。


「それもまた、坊ちゃまの立場が曖昧な理由の一つなのです」


「アンナ、お前、態度が変わりすぎじゃないか……?」


ユスティアンは小さくため息をついた。


「法典の改定が始まったのは約三年前。坊ちゃまが投獄されて一年後、そして現皇帝が即位された年です」


「……もう、そんなに時間が経ったのか」


ユスティアンは窓の外を眺めた。


「皇帝が即位されてから、多くのことが変わりました。官僚の更迭、行政の再編……」


「なんだ、いいことじゃないか?」


「我々も、かつてはそう思っておりました。放置されていた難題も多かったですからな」


ドミトリヒの問いに、アルベルトが答える。


「しかし、少しずつ奇妙な点が見つかり始めました。行政命令ではなく、法典そのものを書き換え始めてからです」


「……そんなことが可能なのか?」


「最初は些細な内容でしたが、時間が経つにつれて核心部分が書き換えられていきました」


「反対する奴はいなかったのか?」


「少数でした。残りの大半は自分の利益に関係がないと黙認するか、あるいは……反対する前に消されていきましたから」


「……ひどい話だ」


ユスティアンが拳で自分の腿を強く押した。


「でも、それだけじゃ足りないわ」


アンナが人差し指を立てて言った。


「それが、この人が『曖昧』だという理由にはならないもの」


「よくぞ気づかれました」


アルベルトが感嘆したように言った。


「ですが、そろそろ日が暮れますな。続きは野営地で、ということにしてもよろしいでしょうか?」


「おっ、やったぜ! 解放されて早々に野営なんてな!」


「あなた……それ、嫌みじゃないわよね?」


「何言ってるんだアンナ! 俺がどれだけ野営を好きか知ってるだろ?!」


アルベルトが手綱を引くと、二頭の馬が止まった。


「野営と言えば焚き火料理だ。まずは俺が準備するぜ!」


「……本当に、子供みたいに単純な人」


アンナの言葉も耳に入らないドミトリヒは、馬車を降りて荷台へと向かった。アンナは、後に続こうとするユスティアンの袖を掴んだ。


「……でも、あなたは違う」


「……何のことだ、アンナ?」


「話を聞いていて、おかしな点が多すぎたわ。一介の伯爵、一人の領主に過ぎない立場で出るような話じゃない気がする」


アンナの瞳が鋭く光る。


「……いや、そういう話は裏でいくらでも耳に入るもんだ。ひとまず降りて話そう。アルベルトも、もっと説明するつもりみたいだしな」


アンナが袖を離した。


「……別に、あなたのことを悪く思っているわけじゃないわ。ただ、私たちも自分たちの安全は確保しなきゃいけないから」


ユスティアンはうなずき、馬車を降りた。


ドミトリヒとユスティアンが食料を運び出し、アルベルトが簡単なスープを作り始めた。


「火起こしは任せてもいいですか?」


「ハンマーを振るより簡単ですよ」


ドミトリヒが薪を積み上げ始めた。


「これ、そのまま焼けばいいんじゃないか? 手間をかける必要があるのか?」


ユスティアンが尋ねると、アンナが歩み寄ってきた。


「じゃあ、私に野蛮人みたいに肉を食らえと言うの?」


「こうやってか?!」


ユスティアンがふざけて食べる真似をすると、アンナがいきなり彼の腕に噛みつこうとした。


「うわあああっ! 何するんだ、いきなり!」


「そんなに強く噛んでないわよ……大げさね」


アンナが腕を離した。


「わかったよ、串焼きにするから」


「最初からそうすればいいのよ」


アンナは満足げに微笑んで戻っていった。


(あいつ……さっきから大胆になったな。監獄では口だけだったのに……)


ユスティアンは肉を切り分けながら思った。


(でも、なんだろうな……どこか急いでいるように見える)


スープができ、薪に火が灯った頃、アルベルトが言った。


「準備が整ったようですな。さあ、火のそばへ」


「こうしていると、故郷の祭りを思い出すな」


ドミトリヒが嬉しそうに言った。


「ええ、祭りには必ず、あんな風に働かない女の子がいたわよね」


「あら、さっきのアドバイスをもう忘れたのかしら?」


アンナが顎を上げて髪をかき上げた。


「ハハ、急ごしらえの準備でしたが、喜んでいただけて何よりです」


アルベルトが微笑む。ユスティアンは照れくさそうに耳を触った。


「別に、友達じゃないんで」


「「はあ……」」


アルベルト以外の男二人がため息をついた。


「さて、馬車での話の続きをしましょうか」


アルベルトが器を置き、表情を引き締めた。


「法典が改定されたという話はしました。端的に言えば、そのいくつかの法が、我々にとっては『悪法』に変わったのです」


「我々にとって……?」


ユスティアンが眉をひそめた。


「先ほど、祭りの話をされましたな?」


「ああ、故郷を思い出してつい……」


「いえ、結構です。ただ……我が領地の『祝日』、あるいは『祭り』そのものが不法になったとしたら、どう思われますか?」


「祭りが不法……? それは少し悲しい話だな」


ドミトリヒが呟く。アンナも、踊り子として祭りは嫌いではないのだろう。


「でも、うちは祭りは多くないだろ? 建国記念日か収穫祭くらいか?」


「それらは国家が推奨する祭りです。しかし……」


「まさか……?」


ユスティアンの瞳が揺れた。


「はい。まさに『聖誕神(SAINT BIRTH)』の記念祭でございます」


「馬鹿な……。それはこの国の初代皇帝が自ら祝辞を述べた記念日だぞ?!」


「現皇帝は、我々の知らない道へ進もうとされているようです」


三人の間に沈黙が流れた。


「本当におかしな話だわ」


アンナがその沈黙を破った。


「初代皇帝が祝辞を述べた領地の領主が、こんな簡単なことも解決できないなんて」


「……何だと?」


淡々と告げるアンナを、ユスティアンが火のような眼差しで睨む。


「だってそうじゃない。監獄に行くくらいなら、そんな祭り、やめてしまえばいいのに」


「……『そんな祭り』だと?」


「おいおい、落ち着けよユスティアン。アンナの言い方がきついのはいつもの……」


「ええ、本当に『そんな祭り』ね。人のためにあるはずの祭りが、人を監獄送りにするなんて本末転倒だわ」


「お前……いい加減にしろ!」


ユスティアンがドミトリヒを突き飛ばし、アンナの胸ぐらを掴んだ。


「……何? 殴るつもり? 殴ればいいじゃない。私は怖くないわ」


「この、アマ……!」


「やめろ! 二人ともいい加減にしろ!」


ドミトリヒが叫んだ。


「アンナ、他人の故郷に対してその言い方はねえだろ!」


アンナが顔を背けて座り込んだ。


「それからユスティアン、止める俺を突き飛ばすなよ。アンナの言いすぎだけど、仲間割れしてる場合か!」


ユスティアンは舌打ちをして席に戻った。


「失礼しました、アルベルト」


ドミトリヒが代わって頭を下げた。


「……ふふ、若い人が集まれば、こういうこともありますな」


アルベルトはスープを飲み干すと、静かに言った。


「一つ、皆さんに伝えていなかったことがあります。領地の住民たちもまた、祭りの廃止を望んでいないのです」


(……ほら見ろ)


ユスティアンは思った。


「しかし、私の考えは……ここに」


アルベルトが一通の手紙を取り出した。


「これ、父上の筆跡……?」


「他の方々のために要約すれば、内容は……『領民の命を最優先せよ』というものです」


「ほら、私の言った通りじゃない……」


アンナが呟く。


「実のところ、私の立場としては、領民の言葉も先代様の言葉も、どちらも一理あるように見えます。ゆえに……現領主である坊ちゃまのお考えを伺いたかったのです」


「父上が本当に……こんなことを……?」


手紙を読み進めるにつれ、ユスティアンの表情が刻一刻と変わっていった。


「アウゥゥゥ~!」


「狼の遠吠えね。まだ起きているなんて、あなた、あの子たちの友達かしら?」


「……お前も起きてたのか」


手紙を読んでいたユスティアンの隣に、アンナが座った。


「……ごめんなさい」


「ああ、そうだろうな」


ユスティアンは生返事でうなずき、それから動きを止めた。


「……え、今なんて言った?」


「……謝ったのよ」


「……あ、ああ。わかった」


(あんなにはっきり謝るなんて……)


アンナの顔が徐々に赤くなっていく。


「……じゃあ、仲直りってことでいいのかしら?」


「まあ……俺も少し熱くなりすぎたしな」


ユスティアンは少し顔を背けながら、アンナに手を差し出した。


「じゃあ……私の言い訳も聞いて。話したいことがあるから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る