第4話「不協和音の夜」

 佐々木レンが健一の部屋で最初に感じたのは、暴力的なまでの「無」だった。

 六畳一間。最新のスマート家電もなければ、趣味の残骸すらない。あるのは古い魔導端末と、山積みの空になった無洗米の袋、そして賞味期限の印字が擦り切れた塩辛の瓶。

 自分の部屋にある、十五万した最高級のゲーミングチェアが、ひどく虚しいプラスチックの塊に思えてくる。

「……あんた、本当に人間かよ」

 レンの問いに、健一は答えない。機械的に最後の一口のおにぎりを口に運び、咀嚼(そしゃく)する。音がしない。美味そうでも、不味そうでもない。ただ「燃料をタンクに流し込む」ようなその姿は、魔物以上に異様だった。

 

 その時、新宿の夜を切り裂くサイレンが窓を震わせた。

 魔素濃度が急上昇し、スマホの緊急警報が「赤」を告げる。

「行かせねぇよ。あんたの正体を暴くまでは」

 レンが懐から最新型のARゴーグルと、特注の電磁ナイフを取り出した。

「俺だって、養成所のSランクなんだ。足手まといにはならない」

 

「……お前が見ている世界は、まだ『色』がついている。踏み込むな」

 健一が立ち上がった瞬間、部屋の温度が数度下がったように感じられた。

     ★

 新宿東口、駅ビル崩落現場。

 そこは、通常の物理法則が窒息する場所だった。

 Cランク上位・『大空喰らい』。巨大な翼を持つ異生物が、大気中の魔素を吸い込み、周囲の「音」と「熱」を奪い取っている。

 レンは果敢に踏み出した。ゴーグルが敵の急所を青くマークする。

「これだ! 演算完了、いけ……!」

 だが、ナイフを振るう直前、レンは気付いた。

 青いマーカーが、前を走る健一の背中を通り過ぎる瞬間、ドス黒いノイズに変わるのを。

「……っ!? 演算が……合わない!?」

 直後、健一が動いた。

「パキィ」

 音が、遅れて届く。

 レンの目には、健一の姿が「コマ落ち」したように見えた。一歩前にいたはずの彼が、次の瞬間には魔物の背後にいる。

 健一の剣が通った軌跡。

 そこだけ、夜の闇が剥がれ落ち、真っ白な「虚無」が露出していた。

 物理的な切断ではない。魔物の存在そのものが、空間から「削除」されたのだ。

 魔物の叫びが途切れると同時に、健一の右手が激しく明滅した。

「……ぐ、あぁ……」

 膝をつく健一。駆け寄ろうとしたレンの前に、ズシン、と重い地響きが鳴った。

 闇の中から現れたのは、安物のカップ麺をゴミ箱に放り投げ、巨大な大太刀を引き摺る老人――ゴンドウだった。

「健一。……言ったはずだ。お前のその武器は、世界を切るんじゃない。お前の『明日』を切り捨ててるんだとな」

 ゴンドウの太刀が、健一の首筋に向けられる。圧倒的な威圧感。

 だが、レンがそれ以上に息を呑んだのは、膝をつく健一の口元だった。

 そこから流れているのは、血ではなかった。

 傷口から溢れ出していたのは、――ただの、砂のようなデジタルノイズだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る