第3話「ノイズの境界線」
新宿、夜。
二十一歳のバスター志望生、佐々木レンは、安物のゲーミングチェアに体を預け、モニターの光に顔を青白く照らされていた。
視線の先には、自分が撮影した例の動画がある。
再生数は、一晩で三百万を超えた。コメント欄は、チートだ、合成だと、かつてない熱狂で荒れ続けている。だが、レンの指先は、まだあの日見た「音のない絶望」を思い出して、わずかに震えていた。
「……ありえねぇだろ。あんなの」
レンはバスター養成所に通う、いわゆる「効率重視」の若者だ。
最新の演算補助、課金デバイス、攻略サイトのデータ。それが全てだと思っていた。
なのに、あの男はどうだ。
擦り切れた靴。半額のおにぎり。そして、見たこともない――物理法則が「欠落」するような鉄塊の一撃。
レンは動画を零・一倍速で再生する。
最新の画像解析ソフトをもってしても、男の動きは追えない。そこには、一瞬だけ画面全体に走る激しいデジタルノイズと、その中心で「世界から浮いている」ような男の横顔が映っていた。
「……見つけてやる。あんなの、絶対バグだ。認めねぇよ」
レンは、動画のノイズパターンから逆算した位相反応の残滓をスマホに同期させると、夜の街へと飛び出した。
★
一方、新宿から数駅離れた、築四十年の木造アパート。
健一は、洗面所のひび割れた鏡の前に立っていた。
「……ああ、またか」
溜息と共に吐き出した言葉が、異様に遠く聞こえる。
健一が、自分の右手を鏡に翳(かざ)した。
――透けていた。
指先から手首にかけて、肌の色が色褪せ、古いテレビの砂嵐のようなノイズが混じっている。
これが『フェイズ・イーター』を振るった対価。
空間を削り取る力は、引き換えに使用者の「存在確率」を食らう。
健一は、キッチンに置いた半額のおにぎりに手を伸ばした。
一口、齧(かじ)る。
「……砂だな」
味がない。
米の粘りも、具の鮭の塩気も、一切感じられない。
まるで、世界という映画の「音声データ」と「彩度」を少しずつ削り取られていくような感覚。
かつての戦場、ゴンドウの隣で笑っていた頃の熱だけが、幻覚のように脳裏で鮮明に燃えている。
その時。
アパートの安っぽいチャイムが、鼓膜ではなく、脳の芯を直接叩くように鳴った。
健一は眉を潜める。
この場所に、自分を訪ねてくる人間などいるはずがない。
ドアを開けると、そこには、肩で息をする若者が立っていた。
第一話で助けた若者――レンだ。
「……見つけた。あんた、幽霊……じゃなくて、バスターだよな?」
レンは、スマホの画面を健一に突きつけた。
そこには、一時間前に『認証済み・ゴンドウ』が書き込んだ、あの警告スレが映っていた。
「バスター界の伝説、ゴンドウさんが『探すな』って言った。……でも、俺は納得できねぇ。あんたのあの技、俺に教えろ」
健一は、透け始めた右手を、咄嗟にポケットに隠した。
目の前の若者は、瑞々しいほどの生気に満ちている。自分から失われた「世界の彩度」を、そのまま体現したような眩しさ。
「……帰れ。俺はただの、賞味期限を過ぎたオッサンだ」
「嘘つけ! おにぎり食ってる顔、死ぬほど怖かったぞ!」
レンが叫んだ瞬間、健一のスマホにも通知が届いた。
発信元は、ギルドの最高秘匿回線。
『健一。そのガキを巻き込むなよ。……お前の「消失」がどこまで進んでるか、俺には見えるぞ』
送り主は、ゴンドウ。
窓の外、新宿の空に、再び「異常位相」を告げる魔素の渦が巻き起こる。
健一の右手のノイズが、一段と激しさを増した。
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